書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

東郷堂 専用フィルムのスキャン

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前回で東郷堂の円カメラNice号について簡単に報告しましたが、東郷堂製の円カメラ用のフィルムは専用の紙製のホルダー(撮り枠)に一枚ずつ収められていて、撮影後はその撮り枠ごと専用の着色された現像液に浸すことで暗室無しで現像・定着・焼き付けが出来るというのが大きな特徴で各販売所でのいわゆる白昼現像のパフォーマンスが子供たちを虜にしていたというのは先も触れたとおりです。

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東郷堂の専用フィルムはゲバルト社のフィルムを輸入して切断し、紙製の撮り枠=専用ホルダに詰めたものとのことでおそらく無孔の映画用35mmではなかったかと思われます。手持ちのスキャナ(EPSON F-3200)の35mm用ホルダに収まりましたので、別に手に入れた現像セットに付いてきたフィルムを読み取ってみることにしました。

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フィルムが銀化を起こすなど劣化していたこと、またF-3200のドライバー上の補正機能をすべて強でかけたことでかえってディティールは劣化していますが取り急ぎ雰囲気はわかるものと思います。

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端にゲバルト社のロゴが読み取れますのでこのフィルムは輸入規制前(輸入規制後は富士フイルム製に切り替わりますが当時はまだ性能が悪く苦労したとの証言があります)であり、また奥に和服の女性二人がよく写っているので絞り固定、SS Bのみの円カメラの写りでなく、撮影は東郷堂の高級機ではないかと思われておそらく撮影者は大人です。

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この青年が撮影者なのか、それともモデルなのか。一連のフィルムに繰り返し現れます。戦前の若者の年齢を見分けるのは難しいですが、おそらく今の大学生ぐらいの年齢ではないでしょうか。この撮影場所も何度も出てきますが、家の中庭、あるいは玄関先でそれなりの大きさの家のようです。また最初のスーツといい、それなりの格好をしているのが印象的です。

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彼もまたなんどか登場します。兄弟か、友人か。この犬は飼い犬でしょうか。戦前に犬を飼えるとすればやはりそこそこの家には違いありません。

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冒頭の写真もそうですが野外に持ち出してのロケも試みていたようです。あまり成功しておらずブレているものが多いですが手持ちだったのでしょうか?

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これは冒頭の写真に写っている女性二人で、和服姿ですが、あまり着物の柄にはくわしくないもののかなり斬新なデザインでいわゆる銘仙的であります。

さて、この撮影者・被写体が示すように東郷堂のカメラは子供向けの円カメラだけでなく、むしろそれらは研究用として現像・定着液等とセット売りされる初心者向けキットであり中級機・上級機もラインナップされていたしそちらが本筋であったことはネット上で有志が公開なされているカタログ類からもわかります。

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白昼現像用の専用フィルムだけではなく、上級機むけにはロールフィルムバックも設定されてましたし、そうなればつまりはカメラ史における通常の蛇腹カメラそのものです。

カメラ誌・カメラ業界からは一部を除き無視されていた東郷堂は、独自の会報・通信を充実させていたのですが、これもまた記事が海外にしかないのが現状なのが残念です。

camerapedia.fandom.com

さて、東郷堂さえ記録が乏しいところなのですが、実は東郷堂が白昼現像を普及させたのは確かではあるものの決して東郷堂の発案によるものではなく、また東郷堂の成功に刺激されてそれに類する白昼現像定着法を使う入門者向けのカメラ(=円カメラ)は当時外にもたくさんありました。

東郷堂に輪をかけて記録は少ないのですが手元にいくつかそのようなカメラの資料があるので次はその紹介をしていきたいと思います。

東郷堂 Nice号(1934) 簡易報告

日本の現在のカメラ史・写真史というのはそれぞれプロ・セミプロ・マニアよりに描かれているきらいがあり、実態とズレているのではという思いがあります。

いま「東郷堂」といってもほぼ知られておらず、ネット上では海外の方がはるかに情報が詳細なのが現状です。

せいぜい白昼現像定着液を使う子供向けの円カメラとして当時の写真界・カメラ界からも色物扱いされていて、いわゆる写真史においてもほぼ取り上げられない東郷堂ですが、実際には海外まで特約店千軒を数える大企業でした。

camerapedia.fandom.com

当時、カメラが大変な高級品であった時代に子供たちでもなんとか手に届かなくもない値段で簡易なカメラをラインナップし、それを少年誌などの広告や通販を通じても子供たちに届けていました。また、各販売所での白昼現像のパフォーマンスは、そこに像が映し出される不思議によって子供たちを虜にしていました。

『カメラ面白物語』(1988,朝日新聞社編)に「『円カメ』一代トーゴーカメラ」と題した井上光郎による記事ありトーゴーカメラの晴天の元での現像・焼き付けの実演販売の様子が臨場感豊かに描かれています。この本は日本の写真・カメラを作品や機種だけでなくその周辺の文化を幅広く取り扱った数少ない本でお勧めです。

事実、このカメラをきっかけに、写真の道に入ったという著名な写真家達のかなり好意的な思い出は現代カメラ新書の『私のカメラ初体験』などでも拾うことができ、スタートカメラとして重要な役割を果たしていたことが読み取れます。

私のカメラ初体験 (現代カメラ新書)
 

 また、この東郷堂の方式をまねたカメラも盛んに作られたようですが記録は更に少ないのです。

当時の東郷堂の立ち位置、写真界との距離は、現在のチェキのようなものと思うとある程度理解しやすいかもしれないと考えます。ドン・キホーテではチェキ各種やフィルム全種まで手に入れることができ、盛んに売れていますが、それは写真界からは色物・別物扱いされているのは事実だろうと思うのです。

今より遙かにカメラというものにステータスがあった時代、東郷堂のカメラや機材は一般のカメラ店では扱ってもらえなかったため、東郷堂は書店や玩具店といった自分たちの顧客の集まる店と契約を結び独自の販売網を形成していました。 

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閑話休題東郷堂のNice号の簡易報告です。東郷堂のカタログにあるように初心者研究用として現像定着から焼き付けまでできる付属品一式と共に販売された由緒正しき「暗室不用白昼現像」のいわゆる「円カメラ」三機種のうち、ボックスカメラである他の二機種に対して一見アトム判と見まがうサイズと体裁の蛇腹カメラです。

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シャッター速度はO/I/Bの三種類。Oは構図確認用の開放(Openと思われる)、Bはバルブで実質的にシャッターはIのみで恐らく10から30分の一秒と思われます。ただ、専用フィルムの感度は一桁であったようなのでバルブで問題なかったのでしょう。twitter上でKanさんより「IはInstantという意味で、大体は1/30~1/60くらい。Kodakが単速シャッターについてこのような表記をしていた」旨のコメントをいただきました。

なお、サイズ的にアトム版を想起させる蛇腹カメラですが、絞り固定でもあり、レール上でレンズを移動させることは出来るようですが固定は難しく、ほぼ折りたためるボックスカメラと思って間違いないようです。

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サイズ感は先述の通りアトム判に近いものです。一見ピントグラスも外れそうですが残念ながら固定。専用フィルムに合わせて覗き窓も一回り小さいものです。上のスロットから専用の紙製撮り枠入りフィルムと押さえ用のなにかを入れていたものと思われます。

東郷堂のカタログには発行年月日がなく、掲載されている価格や巻頭で誇らしく掲げられる特許及び実用新案の数の推移から推測するしかない難物なのですがCamerapediaによれば1934年の発売となっています(冒頭のCamerapediaの記事内に当時のカタログが掲載されています)。1930年後半として3円80銭というのは7千円前後というところでしょう。現像焼き付けまでの一式揃いでもあり、当時としては破格の値段です。

camerapedia.fandom.com

パーレットが当時で17円くらいで現在の3万円といったところになるようですが当時の収入や生活水準等からするともう少し上、3倍くらいに換算しなければ合わないように思われます。なお、当時入り始めたライカはIA型で250円…。

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これはまた別に手に入れた東郷堂の現像タンクおよび簡易焼付機、現像薬等と専用印画紙と現像済フィルムに専用アルバムです。印画紙やフィルムが専用の紙製の撮り枠に収められていたことが分かります。また白昼現像に使用する薬品はフェノールフタレインにより赤く色づけられていたことが確認できます。

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フィルムは銀化しているものスキャンは可能な状態で、一枚をスマホでとって簡易に反転してみたところなかなかの紳士が現れました。撮影状況が不明ですが、子供がおもちゃに持ち出したという類いではないようです。また、フィルムの端にゲバルト社の名前が見えて当時の証言通りです。

このあたりについてはまた別項でまとめていきたいと思います。

トイデジブームを振り返って印象的だった機種を思い出す

トイデジの名機」というお題をいただいたので一晩考えてみました。

歴史的経緯をキチンと整理したわけではないのですがトイデジHOLGALOMOによるトイカメラのブームのそれとパラレルなものとして、どこまでをトイデジとするかは実はかなり難しいなと改めて思うところです。

実のところホルガやロモはソレっぽく、おもちゃっぽく作ろうとしたというわけ"ではない"ものだと考えています。敢えてそれを狙ったわけではなく、予算的な限界や生産上の経緯で描写に偏りが出たものを「遊び心のある」「個性的な描写」のものである、と「従来のカメラ/写真ユーザーの少なくともメインストリームとは違う層」が発見した視線の先にトイカメラトイデジ のムーブメントがが成立したわけです。

当時を思い起こすに、これはまぁ、ビネッティングを「周辺光量落ち=レンズの性能の悪さを示す唾棄すべきもの」過激になれば「そんな"酷い"機材で撮った"碌でもない"絵をよくも恥ずかしげもなく人に見せつけるものだ!」と言い放つような立場では、それをトンネル効果と面白がるトイデジ 的評価軸を理解できるようなことはけっして無かっただろうなぁと思います。

閑話休題。そう考えるとSuperHeadzのデジタルハリネズミもどちらかというとトイカメラの"発見された"面白さを二次的にエミュレートした機種であり本来的なトイデジとはいえないのかもしれないなどと思わなくもないのです。

そのようなことをつらつらと考えつつ、ざっくりトイデジ の名機にどんなものがあるかと記憶の底を掘り返してみるとこんなあたりが浮上するかなと。詳細は検索してみてください。当時はかなりの数が出ているので(それだけ大きなムーブメントでした)今ならまだ動作品も充分手に入るでしょう(スペックだけ見たら、なんでこんなに高いんだ!?と思われるかも知れませんが(笑))。

VistaQuest VQ1005 / VQ1015
・Vivitar ViviCam 5050

Vivicam 5050 パールホワイト VIV-5050-WHT

Vivicam 5050 パールホワイト VIV-5050-WHT

 

・トミー Xiaostyle

トミー、電池込みで111gの小型デジカメ「シャオスタイル」

タカラトミー xiao

TAKARA TOMY xiao TIP-521-MR マリーン

TAKARA TOMY xiao TIP-521-MR マリーン

 

 ・YASHICA EZ F521

新製品レビュー:ヤシカ「EZ F521」 - デジカメ Watch Watch

この他にもトイデジ ブームに乗って出てきたよく分からないグッズのようなカメラは本当にたくさんありました。今はきっと机の引き出しで忘れられているようなものたちですが、それは豊かなことだったのだと思います。

当時のブームのなかで発見されたトイデジ的な面白さの延長線上として二次的に生み出された機種まで対象を広げればこのあたりも名機と言えるでしょう。スマホではなかなか難しい体験としての面白さの見いだしうる機種達です。

・SuperHeadz DIGITAL HARINEZUMIシリーズ

www.superheadz.com


・ローライ Rolleiflex MiniDigiシリーズ

Rolleiflex MiniDigi (ミニデジ) AF5.0 レッド 24613

Rolleiflex MiniDigi (ミニデジ) AF5.0 レッド 24613

 

 ・BONZART AMPEL

 ・NeinGrenze NeinGrenze 5000T

NeinGrenze 5000T ニューリリースページ GDC(株式会社GLOBAL・DC)

Holga Digital

HOLGA DIGITAL Limited Color Neon Orange

HOLGA DIGITAL Limited Color Neon Orange

 

 

なお、シリーズ後半で迷走するPENTAX Optioシリーズの一部はヴィレッジヴァンガードにならんでもおかしくない、ある種尖った発想のモデルがあったのでそのあたりはトイデジのムーブメントでとらえても良いのかも知れません。当時のOptioの開発状況がどのようなものであったのか。どのようなマーケティングに基づいていたのかは今からでも知りたいところです。

Optioシリーズでトイカメラ的なイメージ(あくまでイメージ)と重なるモノと言ったらまずはI-10。

Optio I-10|コンパクトデジタルカメラ | RICOH IMAGING

そしてなんといってもレゴブロックを前面に装着したNB1000でしょうか。

Optio NB1000|コンパクトデジタルカメラ | RICOH IMAGING

まだ、他にも刺激的な機種がいくつもありました。

コンパクトデジタルカメラ PENTAXブランド生産終了製品 | 製品 | RICOH IMAGING

この一覧にOptio Xが入っていないのはなぜだろうと疑問を覚えたところが、K.I.Mさんから以下のご指摘をいただきまして。成る程そのとおり…

Optioの最後のあたりのチラシなどは本当に予算がないのかなぁという状況で、たとえばチラシに本体の写真がないのはデザイン上の問題としても、撮影サンプルもなく"イメージ画像"で、しかもそれが機種間で使い回されていたのを覚えています。

PENTAX Optioシリーズとトイデジトイカメラ(HolgascapeやLomography)のムーブメントの交錯するあたりに2000年一桁年代のカメラ/写真史が描けるかも知れないと思ってはいるのです。

あと、子供向けカメラの方向はフォローしていないので分かりません。機種として面白いものはいろいろあり、それなりに継続的に市場性を維持しているものとは承知していますが。

さて、ここまでで書いたようなトイデジトイカメラのムックやそれこそ定期刊行雑誌(写真誌!)に至るまで当時いくつか出版されて(それくらいのブームだったのです!)面白いのですけれど、ブーム後半までをフォローした本は一冊もないかもしれません。

今のフィルムカメラブームもそうですが、こうしてみると良くも悪くも一部の編集者・著者に偏っているなぁと。この辺りの本は多分まだ全て手元にあるとは思います(ただし倉庫の段ボールの中(汗))。

SNAP!別冊 トイデジLovers! (INFOREST MOOK スナップ!別冊)

SNAP!別冊 トイデジLovers! (INFOREST MOOK スナップ!別冊)

 

 

トイデジのアイデア

トイデジのアイデア

 

 

きまぐれトイカメラの使い方 We Love HOLGA

きまぐれトイカメラの使い方 We Love HOLGA

 

  

きまぐれトイカメラの使い方 We Love HOLGA Plus +

きまぐれトイカメラの使い方 We Love HOLGA Plus +

 

  

Holgascape―THE WORK BOOK OF HOLGA

Holgascape―THE WORK BOOK OF HOLGA

 

  

おそらくここらで紹介した機種が参考になると思われますが、どなたか夏コミに向けてテーマとしていかがですか?

追記

皆様からいくつかフォローをいただきました。ありがとうございます。

 

 

 

『カンノン』試作機の目撃譚(間宮精一による)

日中戦争突入後の1939年の「カメラクラブ」に国産カメラの特集があり別の原稿の資料として取り寄せたのですが、特集内でハンザ・キヤノンが取り上げられていて、このなかに興味深い証言がありましたので紹介したいと思います。

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戦前戦後のカメラ誌を読み比べているとむしろ戦前の方が紙質やデザインが良いことがあります。特に戦後すぐの雑誌については今後紹介することもあると思いますが、使われている紙といい、組版といい大変質が悪いのです。それが戦争の惨禍ということでもあるのでしょう。

この雑誌は1939年1月号ですから日中戦争は始まっていて既にその気配は雑誌内にも忍び寄っていますが、まだまだ戦争を感じさせるものが中心という訳ではありません。しかし、このあとほんの数年でカメラ/写真雑誌の誌面、論調はまったく違ったものになっていくのです。

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該当の証言のふくまれる特集はこのようになります。私はキヤノンについて詳しいわけではないのでひょっとしたらキヤノンファンには周知のものかもしれませんが、その際はどうかエピソードの出典のご紹介と言うことでご容赦を。

該当記事の執筆者は間宮精一で言わずと知れたマミヤ光機製作所の創業者ですが、この時期はカメラ製作への思いを胸に秘めていた彼が、いよいよその方面にむけて転進した頃になります。

さて、興味深いのが以下の部分です。

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文字に起こすと次のようになります。(旧字体新字体に、仮名遣いは現代仮名遣いに改めました)

キヤノンに対する過去の印象
確か五年程以前と記憶して居りますが、Yと云う人が、カンノン(観音)カメラと称するライカの模造品を持ち歩いて居るのを見た事があります。ほんの試作程度で至る所ハンダ付けの未商品化のものですが、工作の点やライカの特許を避ける点で相当の苦心が認められました。名称が似て居る点で現在のキヤノンと関係があるのか、無関係であるか私は知りませんが、その後一二年後にキヤノンが商品として登場しました。
(間宮精一,1939,「ハンザ・キヤノンを語る」,『カメラクラブ 昭和14年1月号』,ARS社)

1939年1月号の5年ほど前というならば精機光学研究所(=キヤノン)の創業期であり、文中に現れるこのY氏はカンノンの開発者である吉田五郎に間違いありません。

記事中では間宮はカンノンとキヤノンの関係をボカしていますが、彼がそれを知らなかったとは考えづらく、その後の吉田の放逐劇を知った上でのある種の韜晦ではないかと思われますが、とにもかくにもここで興味深いのは彼が「ライカの特許を避ける為の苦心」の見て取れる「カンノンの実機」を目の当たりにしていたことです。

キヤノン公式の記事「幻の試作機『カンノン』に込められた夢」で「その完成品を見たという人物はいない」とされるカンノンについて、少なくとも間宮精一は、先ほども触れたように動作品を実見していたということになります。もちろん何を持って『完成品』とするか、ということではあるのですが。

あと、ハンザキヤノンのいわゆる「びっくり箱ファインダー」はライツの実用新案を避けるための苦肉の策というのが定説になっていますが、パララックスの問題は確かにあるもののレンズフードと被らず見やすいという点を間宮が評価していたのは、バルナック型とそのコピー機の系譜では外付けファインダーを使うことの多い身としては興味深いところでした。

 

Fed(I)のマウント金具を交換してLマウント互換にする話 その2

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※ 以下の記事は2014年の原稿を元に再構成したものです。ソビエトのカメラ・レンズ史または写真史については国内に信頼に足る文献は少なく、伝聞に基づいた記述があることをご承知おきください。

マウント金具をFed3のものと換えてしまったのでもうFed改とでも呼んだがいいのかもしれなくなったFed(I)ですが、実写までにはまだまだ関門があります。まずはフランジバックの調整です。この時点ではフランジバックが短いと推測されるのでFed3に入っていたスペーサーも全部放り込んだのですが、デプスゲージなどは持っていないので実写で確認するしかありません。さて前ピンか後ピンというところから調整が始まるわけですが、いったい何本のフィルムを消費することになるか…

操作しやすい信頼のジュピター8を付け、被写界深度が一番浅くなるF2.0に合わせて露出の問題でF2.0は使えずF4.0で試写をします。この時点では距離計がズレていると目されるのでファインダーは使わずレンズの焦点距離の指標で合わせながら目測で撮っていきます。

その結果です。(写っているのは絞りF4で試したもの)。

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下に見えているのはメジャーです。設定した焦点距離に合わせて手製の目印を移動させながら撮っていきます。

この写真から以下のことがわかります。

  • その1
  • Fed1のフランジバックが実用と見なしうる精度では合っていること。このやり方で一発で合ったというのはかなり奇跡的な話です。追加したスペーサーは2枚で計4枚のスペーサーが入っていますから0.2mm短かったということになります。
  • その2
  • シャッター幕が酷く劣化していて張り替えが必要なレベルなこと。この写真はなるべくマシなのを選んだのですが、他のはもう漏れているというかシャワーを浴びているというか。

そこでシャッター幕については急場しのぎの対策にかかります。見ての通りシャッター幕がボロボロです。この個体はヤフオクで"美品"という触れ込みのものを落札したのですけれども、日本語の怪しい業者でこの業者は2019年現在でも出品を続けているので注意が必要です。

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海外の「美品」は"一応動いている"というレベルのことがままあります。この辺りがソビエトカメラなんてまさしく動けばいいという感覚を生み出している遠因では無いかと思われて残念でなりません。

分解した時点で見るも無残に劣化したシャッター幕は確認していました。マウント金具から覗き込んだ時点でひび割れだらけでしたら期待していませんでしたが、これはヒドい。

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光を当ててみると、お前は「シャッター幕の仕事を果たす気があるのか!?」と言いたくなる勢いで光のシャワー状態です。むしろフランジバック確認用の試写の時点でよくあの程度で済んだものだというところですがそのあたりは撮ってみなければわからないところです。

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さて、最終的にシャッター幕を張り替えるしかありませんが、当座はこの幕を応急処置でも何とかしたい。こういうときはホームセンターや100円ショップを歩きながら考えます。水漏れ防止のシーリング材でも使おうかと思っていたところ、もっと簡便なものが見当たりました。化粧売り場のマニキュアです。それも黒。ある程度の伸縮性と耐久性、それからもちろん遮光性が期待できます。なにより安い。108円です。

同じく100円ショップで買ったメンディングテープでマスキングして、なるべく薄く塗りこんでいきます。

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塗ってはヘラで薄くのばし、光をあててはまだ漏れているところを探しては埋めていくという地道な作業でしたがマニキュアの速乾性には助けられました。それにしても百均のマニキュアの溶剤の臭いは強烈で、本当にこれは化粧なのか深刻に疑問を抱くレベルです(苦笑)。

この臭いは指先にちょっと塗るだけでもずいぶん残りそうな具合で、もちろんこんな臭気を発するシャッター幕をカメラ内部に組み込むのもよくない話でしょうが当座のこととして割り切ることにします。

分解ついでにこれまで掃除していなかった巻き上げノブ周りも掃除しました。

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緑の物体は固まってしまっ古いグリスでこれがスムーズな動作を妨げています。この緑の塊をベンジンで拭いさり、新しいグリスを薄く塗ります。これだけで巻き上げ動作が軽快になります。本家のバルナックライカとは言いませんが、手持ちのカメラの中でも巻き上げの感触が気持ちのいい一台になりました。

ソビエトカメラの悪評のかなりの部分は生産後に五、六十年経った機械式カメラとしてはごく当然なレベルとしての整備不良という一言で解決するのじゃないかという印象を持っています。

試写
シャッター幕が十分に乾いたところでもう一度組み立てて距離計を調整し何枚か試写します(冒頭の花壇もそれです)。距離計の調整の手順はバルナックライカのそれと同じですので割愛します(詳しい記事が色々出てきます)。

試写用に使ったフィルムは当時常用にしていて先頃廃版になった富士のSUPERIA X-TRA 400です。レンズはFed1標準の沈胴式レンズFed(Industar-10 L39マウント互換に調整済のもの)です。

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少々褪せたような感じに写るのはこの時代のレンズの共通点ですが、この時代のレンズはそもそもカラーで撮ることを前提にしていません。実際このレンズもモノクロ撮影用のイエローフィルターがおまけについてきました。

もうすこし別のカラーネガフィルムも試してみたいところだったのですが、このあと当時お願いしていたDPEが店舗での現像受付を終了したのを受けてモノクロでの自家現像に注力していくようになっていきましたので追求はしませんでした。

最終的にはこのFed(改)は専門の修理店に依頼してシャッター幕を張り替えていただくとともにオーバーホールをしていただき現在も手元で快調に動作しています。