書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

夏休みの自由研究「身の回りの色んなもので現像してみよう」

twitterの方でつぶやいた「身の回りのもので現像できるものはなにか」という話題のメモです。もちろん自由研究というのは冗談で実際に試したわけでもありませんが、理科に強い小学校高学年ぐらいからなら本当にここからアイディアを得ることができるかもしれません。ただし、内容については全く保証できません(汗)。

なお、ここでいう現像とは銀塩写真についてをいい、感光材料の上に撮影されたそのままでは目視できない潜像を薬品で処理して目に見えるようにすることで、デジタルカメラスマホ)のRAW現像ではありません。

現像の一般的なやり方はネット上でも多数公開されているのでまずはそちらをご確認ください。

閑話休題

美白化粧品現像

いきなり化粧品!となるかもしれませんが、美白効果が指摘されるハイドロキノン(ヒドロキノン)はもともと現像主薬なので、自由研究レベルの現像(どんな結果(=出てくる像)になるかは分からないが、なにがしかの像は出る)のは確実です。

もちろん濃度などが関わってきますし、その化粧水に他に何が含まれているのかについても変わってくるでしょう。肌につけるものなので安全性は一定担保されていると思います。

コーヒー現像/紅茶現像/ビール現像

ハイドロキノンは結構多くの食材に含まれていて、コーヒー現像はこの手の話題の定番です。紅茶現像もほぼ理屈は同じです。

 

緑茶現像/ワイン現像

緑茶も定番です。ネットを検索すると緑茶・ワインともハイドロキノンが含まれているという記述にあふれていますが、美容・健康系の文献は表現が誇大に過ぎちょっと眉につばをつけてみなければいけないところがあります。どちらもポリフェノールとまとめられるあたりのカテキンとかのほうの作用ではないかと。紅茶と現像結果に差が出るとしたらその辺りではないかと思います。探求してみてください。

緑茶(煎茶)では現像できて抹茶現像がうまくいかないという話が本当ならおそらくそうです。そういう意味で、赤ワインでは現像できても白ワインは難しいかも。

(2023/09/15 追記)結局、緑茶現像の情報が載っている雑誌(今は亡き「写真工業」2006年8月号)を取り寄せました。試してみるとならば役立つ記事かと。

ただし、タイトルの「自然に優しい緑茶現像液」というのは端的に嘘だと思います。この件については近衛騎兵さんのおっしゃる「大量のサツマイモと松根で戦闘機を飛ばしている様なもの」というのが妥当な評価でしょう。

野菜スムージー現像

野菜のスムージーで現像できるという話題です。ちょっとこれは自信がありません。銀塩ではなく鉄塩写真のほうかもしれません。ハイドロキノンが多く含まれた果物なのかもしれません。ビタミンCという線もあるのかもしれませんが。

 

日本酒現像は多分無理じゃないかな…

日本酒で現像するという話題は戦前の「カメラ」誌(ARS社)の記事にあるのですが、これは「水の代わりに日本酒/ビールを使う」というものでパロディというかジョーク記事というか、統制が強められていく戦時体制への皮肉を込めた記事に思います。

すくなくとも日本酒単体で現像するのは無理ではないかな…と思いますが、どうなんでしょうか。

周囲を化学の目で観察すること

現像というのは還元作用なので結果に質を求めないなら色々試すことは出来ると思います。それこそ写真史の歴史は薬品開発の歴史でもあるので先人の取り組みを調べると没食子酸から緑茶が想像されるように色々と発想の元は出てくるでしょいう。

身の回りのものでの現像に注目が集まるのは二つの理由があると考えられます。一つは銀塩写真が日常生活を支えるものから趣味・表現の分野のものになって現像インフラが身の回りから無くなって今後いっそうの薬品類の入手困難が想定されることです。身の回りのもので現像できるならありがたいということですね。

またもう一つは環境意識の高まりで「自然由来のものを使った現像なら環境負荷が低いのではないか、自然に優しいのでは?」という考えが生まれがちなのだろうということです。

恐らく両者とも難しい、成り立たないと思うのですが、これらの取り組みを通して「安全であること、安定していること」という意味で既製の薬品の素晴らしさを再認識することになるかもしれません。

そして「安いこと」も重要です。日本酒といい、ビールといい、ワインといい、実はコーヒーにしろ紅茶にしろ「それで現像したらものすごく高くつく(しかも結果は安定しない)」というのは継続する上では障害になっていくでしょう。

「自然由来の」現像液の環境負荷について

市販の現像液(または公開された処方)は現像主薬以外に色々な薬品が入っています。安定的な結果を求めるにはそれが必要なわけで、身の回りの「自然なもの」の成分を現像主薬にしたとしても安定的な結果を求めるにはやはりそれらの添加が必要です。

そもそも「自然なもの」のなかの現像主薬となる成分を使っているわけだから、現像関係の薬品に懸念されるほどの環境負荷があるなら身近なもの由来の現像液にも同じだけの環境負荷があり、また現像薬以外の成分が余計に含まれるだけに環境負荷はかえって高くなるのではと思われます。

しかし、それらが(例えば)身近な食材であるならそれらは往々にして趣味の現像よりよほど頻繁にかつ大量に下水に流されているはずです。その先の下水道のインフラはどうなっているのか。

私たちはつい環境と自分たちが直結しているように想像してしまいますが、それはある意味思い上がりで、先人達が整えたインフラは私たちを幾重にも自然から切り離しています。

これらの現像に本当に取り組んでみると身の回りのものの見え方が変わって、私たちをとりまくインフラについての認識が深まるというのは大いにあることだと思います。こういう方面に接続するのも面白いかもしれませんね。

nandakadarui.booth.pm

aremo-koremo.hatenablog.com

2023/09/15 追記 おまけ(ビタミンCについて)

この手の話題でしれっと「それだけでは弱いので補助としてビタミンCを追加する」という記述が差し込まれていることがあるのですが、かなり問題含みな記述といいますか。

多少加えるなら補助ですが、バンバン加えているようなのはもうそっちが現像主薬だろうという。

脇役のような顔をして実は黒幕、世間に受ける好青年を表に立てて裏で暗躍するフィクサーというはありがちなドラマのプロットかも知れませんが、これらの「自然に優しい」「環境に良い」という看板の影をよく見つめてみることだと思います。

そして、そこに隠れているのは別に悪者ではなくて「現像というドラマを支えている、本来は主役を張るべき実力派」なのかもしれません。

なお、ビタミンC(アスコルビン酸)を現像主薬とする現像液もちゃんと市販されていました(例えばコダック X-TOLなど)。

最後におまけのおまけ

「私たちが日頃口にする100%ジュースのなかでも日々現像はおこなわれているのだよ!」

ナ ナンダッテー!!
 Ω ΩΩ

 

関連領域

夏休みの自由研究として取り組むならこの辺りもありかもしれません。リンクの紹介のみ。

dc.watch.impress.co.jp

ja.wikipedia.org

 

 

(2023/08/04版)永見徳太郎 写真誌等掲載記事(カメラ・写真関連中心)類 一覧

以下は永見徳太郎の主に上京(1926年)後を中心に、カメラ・写真誌、ときに総合誌に掲載された中で主にカメラ・写真に関する記事を掲載したリストである。一部、評伝的な関心からそれ以外の執筆記事も掲載し、また補足も書き入れている。

閲覧に当たっては編集中 (2023/08/04 現在) のリストであり、なお抜けが多い未完成品であることをご承知おきください。

 

東郷堂(戦前)と「趣味」誌「東郷堂通信」誌について

今回の更新は戦前東郷堂の「趣味」(趣味社(東郷堂))、「東郷堂通信(東郷通信)」(東郷堂)で分かっている分の掲載記事を追加したのが主な作業になる。手元にない分の記事はJCIIのレファレンスサービスで戦前東郷堂の発行した雑誌に永見徳太郎が書いた記事のリストを送っていただいたものを利用させていただいた。

「趣味」誌は暗室不要の白昼現像を利用する初心者向けカメラで有名だった東郷堂(戦前)が発行した文芸誌である。同社製カメラのファンクラブ向けの会誌として配布されるとともに、当時のカメラ流通網から締め出されていた同社製品の直売所・特約店で一般向けにも販売された。

東郷堂の最盛期には外地を含め直売店63ヶ所、特約店1000軒を構えたというからかなりの規模での流通になるが、現在入手は困難で収蔵している公共図書館はJCIIくらいであり残念ながらかなりの欠号がある。これは東郷堂とそのカメラが現在で言うロモ(ロモグラフィー)的な立ち位置であったことが関係するといえば伝わるだろうか。当時のカメラ流通網から閉め出されていたというのはそういうことである。

戦前に少年時代を送ったのちの大写真家達は、しかし東郷堂的な暗室不要・白昼現像カメラで写真とそのセンスオブワンダーに出会ったのだということは様々な伝記から読み取れることでもあるのだが。

 

閑話休題。「カメラ文芸誌」と名乗ったとのことだが、月例懸賞や撮影技法指導というカメラ誌的な側面と小説・漫画やその他一般文芸も幅広く載せた読みものとしての性格も併せ持った誌面だった。

「東郷堂通信」(東郷通信)は東郷堂のPR誌でもともと「趣味」誌の付録であったものが独立創刊(1936年2月)したもの。「趣味」とリンクした内容が多いがこちらに独自の記事が掲載されることもあり、今回のリストに追加されたように徳太郎に取材した記事も複数ある。

永見徳太郎と東郷堂の縁がどのように結ばれたのかは不明だが、1936年4月には確認される限り最初の記事を「趣味」誌、そして新創刊したばかりの「東郷通信」ともに掲載している。

この時期、彼は当時最高級のカメラの一つであったコンタックスの愛好者会「コンタックスの会」を佐和九郎らとともに結成(1935年(あるいは1934年))して精力的な活動をしていたころであり、一方でこの時期に入門機として最底辺に位置づけられたといっていい東郷堂とそのカメラに付き合いを深めていったというのは興味深い。

すでに過去に文字を起こしているが、1937年には「カメラクラブ」(ARS)で「東郷堂製カメラの躍進」を書いている。同号の鈴木八郎の記事などからは、永見が東郷堂製のカメラを精力的に広めようとしていた姿が浮かび上がってくるし、また後世からはなかなか見えづらい大衆のカメラ趣味の実相が垣間見えるところなのだ。

photoworks.hatenablog.com

この記事を執筆した前後に永見はコンタックスの会を退会し、安カメラの研究に取り組む旨を宣言している。(ただし、この件については1939年のコンタックスの会の名簿に永見の名が載っているという萩谷剛の指摘がある)

photoworks.hatenablog.com

彼と東郷堂との付き合いは30年代を通して続き、時局差し迫って1941年1月に東郷堂から改めて発行された「明快ニュース」に至るまで彼の執筆記事は確認できる。

「カメラ文芸誌」という「趣味」誌の立ち位置は、写真界に一定の立ち位置は占めていても当時の主流にはなじめなかったと思われる彼にとっては居心地のよい所だったのかも知れない。なにせこの「趣味」誌において一度は永見徳太郎の写真が表紙を飾っているのだから。

今後の課題

そのほか「フォトタイムス」(フォトタイムス社)、「カメラクラブ」(ARS)、「AMATURE CAMERA」(紀文閣・玄陽社)などに執筆記事や作品の掲載が多数ある。ある程度は収集しているので、単著も含め、今後拡充していく。

記載分はかなりの部分で国会図書館デジタルアーカイブを参照している。ある程度は実本が手元にあるが、国会図書館のインターネット送信の対象となっていない記事については内容が確認できていない。

そしてこの先、長崎歴史文化博物館に収蔵されている尺牘集(※書簡集)は上京前のもの、とのことだが同時に上京後の書簡も保管されているとのことで、それらの整理から終戦から失踪までの間の彼の活動がなにがしか浮かび上がってこないかということを期待している。

従来の伝記作家の視界の外にあった部分で年譜の後半で「体調を崩したか」などとされていた空白部分である。今後充実させていくことで永見の上京後の精力的な活動と彼の活動を通して浮かび上がる昭和の写真史があると考えている。

充分に追えていないが、歌舞伎座やその他の舞台においての彼の職業カメラマンとしての撮影仕事も今後発掘が進むことが期待できるのではないかと思われる。 

旧来の評伝が、長崎との関わり、また芥川や菊池ら著名な文豪との関わりに傾いていることが後半生の記述の薄さにつながっている。それを補完するための作業である。あるいは、戦時中の永見の活動が見ようによっては時局におもねったととらえられかねないことからの曲筆もあったのではないか。それは永見という人間のありかたをかえって歪めるものであろうと私には思われる。

※ 赤字が今回追加したもの は注釈 は写真に直接関係ない記事

1928

・アサヒカメラ 5(4)(25),朝日新聞出版, 1928-04

 記事 寫眞珍談(一)/永見德太郞 / p387~389

・アサヒカメラ 5(5)(26),朝日新聞出版, 1928-05
 寫眞珍談(二) / 永見徳太郞 / p510~511

明治文化研究,三省堂,1928-03(第四巻第三号)に「寫眞雑考(一)」

明治文化研究,三省堂,1928-06(第四巻第六号)に「寫眞雑考(二)」

 ※なお、次の七号の国会特集号広告に「国家議員候補者列伝を手にして」の記事の掲載予告があるがあまりに記事が多くなったことで分冊と謂うことで掲載されず。分冊分の掲載が予告された9月号に掲載があるかは今後の課題。

中央公論 43(6)(485),六月號,中央公論新社, 1928-06-01
 ペーロン/永見德太郞 / 89~92

・アサヒカメラ 6(1)(28),朝日新聞出版, 1928-07
 記事 寫眞珍談(4) / 永見德太郞 / p84~87

・アサヒカメラ 6(3)(30),朝日新聞出版, 1928-09
 記事 寫眞珍談(5) / 永見德太郞 / p309~310

中央公論 43(11)(490);十一月號,中央公論新社, 1928-11-01
 關西美食祿/永見德太郞 / 209~217

・歌舞伎 第4年(12)(47),歌舞伎出版部, 1928-12
 毛剃の史實 / 永見德太郞 / p78~79

1932

東京堂月報 19(12),9月號,東京堂, 1932-09
 ブック・レヴィユーから 坪内博士の高著『歌舞伎画證史話』/永見德太郞 / 34~

・アサヒカメラ 16(6)(93),朝日新聞出版, 1933-12
 上野彦馬 / 永見徳太郎 / p595~597

1934

・アサヒカメラ 17(1)[(94)],朝日新聞出版, 1934-01
 上野彦馬 / 永見德太郎 / p105~107

・カメラ、 ARS社, 1934-04
 「写真に縁ある流行唄」

 ・アサヒカメラ 18[(1)][(100)],朝日新聞出版, 1934-07
 第三特輯 名士アマチユア傑作集 新緑の日本アルツス / 永見德太郎 / p128~129 

・アサヒカメラ 18(2)(101),朝日新聞出版, 1934-08
 舞台寫眞の研究 / 永見德太郎 / p212~214

・アサヒカメラ 18[(3)][(102)],朝日新聞出版, 1934-09
 寫眞放談 / 永見德太郞 / p382~383

・アサヒカメラ 1934-10
 「帝都夜間撮影記」

 ・アサヒカメラ 18(5),朝日新聞出版, 1934-11
 特輯 露出の祕訣 顯微鏡寫眞の面白味 / 永見德太郎 / p551~564

 ・オール女性 昭和9年4月号 表紙・島崎蓊助に寄稿あり

1935

・写真月報 40(1),写真月報社, 1935-01
 文壇フオトグループの誕生 / 永見德太郞 / p108~114

・アマチユア・カメラ 4(2)(38),玄陽社, 1935-02
 コダツクヂユオ六二〇の試寫 / 永見德太郞 / p123~125

・アマチユア・カメラ 4(3)(39),玄陽社, 1935-03
 花談議 / 永見德太郞 / p168~172

・旅 12(4),新潮社, 1935-04
 カメラは與太る/永見德太郞 / p72~73

・アマチユア・カメラ 4(6)(42),玄陽社, 1935-06
 初夏の伊豆大島行 / 永見德太郞 / p371~374

・アマチユア・カメラ 4(7)(43),玄陽社, 1935-07
 長崎バツテン初期時代の私 / 永見德太郞 / p474~476

・旅 12(8),新潮社, 1935-08
 能登の海女達/永見徳太郎 / p144~147

・総合文化雑誌「大和」第1巻第2,3号 大和発行所に寄稿有り

1936

・アサヒカメラ 21(1)(118),朝日新聞出版, 1936-01
 繪畫に現はれた寫眞 / 永見德太郎 / p116~119

・アマチユア・カメラ 5(2)(51),玄陽社, 1936-02
 特輯 最近の一般寫眞界の興隆とアマチユア寫眞熱の勃興について(二) / 福原信三 ; 堀口敬三 ; 永見德太郞 ; 岡利亮 ; 塚本閣治 / p108・124~

・東郷通信(東郷堂通信),趣味社(東郷堂),1936-04, 写真趣味を勧む

・趣味,趣味社(東郷堂),1936-04, カメラ綺談 地団駄物語

・趣味,趣味社(東郷堂),1936-05 ,夜間撮影の面白味

・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
 カメラを通して見た藝術家 / 永見德太郞 / p271

・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
 アマチユア放言 / 永見德太郞 / p699~702

・東郷通信(東郷堂通信),趣味社(東郷堂),1936-09 , 思ひ出すまゝ

・趣味,趣味社(東郷堂),1936-09, 特集写真ページ 舞台を覗く

・趣味,趣味社(東郷堂),1936-10, 輝くメイスピイ

カメラ・クラブ創刊

1937

・カメラ 18(1)(187),アルス, 1937-01
 ローライの夜間撮影と補力現像 / 永見德太郞 / p80~82

・ペン 2(1),三笠書房, 1937-01
 カメラの選び方 / 永見德太郞 / p90~93

・アサヒカメラ 23(1),朝日新聞出版, 1937-01
 強力現像の威力 舞台寫眞の結果 / 永見德太郞 / p213~216

・雄弁 28(1);新年特大號,大日本雄弁会講談社, 1937-01-01
 新しき家寶/永見德太郞 / 165~165

・長崎の迎陽亭で2月21-23日にわたって所蔵品の売り立てを行う(目録有り)

・実業の日本 40(3),実業之日本社, 1937-02
 カメラは高級品でないといけないか / 永見德太郞 / p62~63

・アマチユア・カメラ 6(2),玄陽社, 1937-02
 カメラの善用惡用――爐邊讀み物 / 永見德太郞 / p145~147

・アサヒカメラ 23[(3)][(132)],朝日新聞出版, 1937-03
 記事 アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p559~563

・趣味,趣味社(東郷堂),1937-03 ,カメラ今昔物語

・アサヒカメラ 23(4)[(133)],朝日新聞出版, 1937-04
 續アーティスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p814~816

・趣味,趣味社(東郷堂),1937-04 ,入選作品を見て

・上方 (77),上方郷土研究会, 1937-05
 サツマとヒウガと其他/永見德太郞 / 5~

・いのち 5(5),光明思想普及會, 1937-05
 大衆向カメラで樂しむ / 永見德太郎 / p220~224

・カメラ ,アルス, 1937-05, 安カメラで舞台が撮れる

・カメラクラブ,ARS社,1937-05, 東郷堂製カメラの躍進

・趣味,趣味社(東郷堂),1937-06, 劇場内密話

・アサヒカメラ 24(1),朝日新聞出版, 1937-07
 續々アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p145~147

・東郷堂通信,趣味社(東郷堂),1937-07, メイスピイ評判記 楽屋裏から

・趣味,趣味社(東郷堂),1937-07, フヰルターを尊重しよう

・カメラ 18(8)(195),アルス, 1937-08
 舞臺寫眞でよくやる縮尻 / 永見德太郞 / p163~165

・アサヒカメラ 24(2),朝日新聞出版, 1937-08
 盛夏凉風寫眞術 昔は寫眞を何と言つたか / 永見德太郎 / p404~407

・趣味,趣味社(東郷堂),1937-10, 月例懸賞写真入選作品批評

・アサヒカメラ 24(4)(139),朝日新聞出版, 1937-10
 古寫眞ものがたり / 永見德太郎 / p648~651

・アサヒカメラ 24(5)(140),朝日新聞出版, 1937-11
 古寫眞モノガタリ / 永見德太郎 / p785~787

・アサヒカメラ 24(6)(141),朝日新聞出版, 1937-12
 古寫眞ものがたり / 永見徳太郎 / p920~922

・書物展望 7(12)(78),書物展望社, 1937-12
 寫眞新聞 / 永見德太郞 / p24~29

 1938

・カメラ 19(1月號)(200),アルス, 1938-01
 夜間撮影の失敗防止法 / 永見德太郞 / p39~41

・アサヒカメラ 25(1)(142),朝日新聞出版, 1938-01
 虎笑五題 / 永見德太郞 / p106~107

・東郷堂通信,趣味社(東郷堂),1938-02, それ以来百年

・カメラ 19(3月號)(202),アルス, 1938-03
 咲いた咲いた櫻の花が / 永見德太郞 / p260~261

・アサヒカメラ 25(3)(144),朝日新聞出版, 1938-03
 愉快な記念寫眞 / 永見德太郎 / p438~440

・アサヒカメラ 26(1)(148),朝日新聞出版, 1938-07
 女形扮裝寫眞笑話 / 永見德太郞 / p115~116

・アサヒカメラ 26(2)[(149)],朝日新聞出版, 1938-08
 尾上菊五郞丈寫眞美談 / 永見德太郞 / p334~335

・カメラ 19(12),アルス, 1938-12
 幽靈寫眞を撮る / 永見德太郞 / p600~601

 1939

・写真サロン13号(1)/玄光社
 「室津と赤穂」

・アサヒカメラ 27(1)(154),朝日新聞出版, 1939-01
 偲べ聖戦其舞台劇 / 永見徳太郞 / p104~106

・カメラ 20(4),アルス, 1939-04
 忠君愛國劇を寫すには / 永見德太郞 / p466~469

・江戸と東京,江戸と東京社,1939-06(第五巻復活第四号)に「高遠紀行 絵島をしのぶ」

・カメラ 20(9)(220),アルス, 1939-09
 どの座が舞臺撮影を許すか / 永見德太郞 / p352~354

・アサヒカメラ 28(4)(163),朝日新聞出版, 1939-10
 秋の撮影旅行異聞 / 永見德太郞 / 697~698

・カメラクラブ,ARS社,1939-10

 古レンズにて代用の望遠レンズ

 コラム執筆

 カメラクラブ三周年記念よもやま座談会に参加

 ※ カメラクラブ3周年記念倍大号の座談会に参加。そうそうたる出席者の中に永見の姿がある(写真あり)。

・趣味,趣味社(東郷堂),1939-10, 家庭写真の提唱

1940

・カメラ 21(1)(224),アルス, 1940-01
 迎春祈世 / 永見德太郞 / p114~117

・旅 17(4),新潮社, 1940-04
 櫻二題/永見德太郞 / p56~57

・カメラ 21(4)(227),アルス, 1940-04
 下田と寫眞の因縁 / 永見德太郞 / p414~417

・旅 17(5),新潮社, 1940-05
 旅に出た下岡蓮杖/永見德太郞 / p76~78

・政界往来 = Political journal 11(6),政界往来社, 1940-06
 カメラ雜音 / 永見德太郞 / p230~232

・写真新報 50(9),写真新報社, 1940-08
 樂屋裏秘帖 / 永見德太郎 / p6~8

・カメラ 21(11)(234),アルス, 1940-11
 村童と子供 / 永見德太郞 / p504~506

1941

・明快ニュース,東郷堂,1941-01, 新春の写材

・日蘭協会会報,東京・日蘭協会,1941-02,日・蘭印通行回顧号に「日蘭親善・混血児の記録」

・写真研究(月刊國際藝術寫眞雑誌GALERIE 改題),ガレリー・ニツポン・プレス,第五巻二号,1941.03,のp51に近況報告

・自警,自警会(警視庁内),1941-06に「江戸時代の奢侈品禁止」

・黒船 18(7),黒船社, 1941-07
 私の舞台寫眞 / 永見德太郞 / p24~25

・國民演劇 1(6),牧野書店, 1941-08
 舞臺寫眞の撮影 / 永見德太郞 / p114~118

・黒船 18(11),黒船社, 1941-11
 第二回寫眞展目録 / 永見德太郞 / p21~23

1942

サンデー毎日 昭和17年5月10日号,大阪毎日新聞
 ヒンヅー教の祭礼

1943

・旬刊 美術新報 第65号 昭和18年7月上旬号 ヂォットオと北宗画
 黄檗僧と北宗画

・旬刊 美術新報 第50号 昭和18年2月上旬号 アフリカ美術・南蘋派
 長崎の沈南蘋派

1947

・心の花 51(10)(588),竹柏会, 1947-10
 十月集--(その二)「わが文わが歌」と長崎 / 永見徳太郎 / p17~18

・心の花 51(11)(589),竹柏会, 1947-11
 三人集 / 永見徳太郞

1948

・余情 (8),千日書房, 1948-06
 「じやがたら文」 / 永見德太郞 / 73 ※再録か?

・心の花 52(7)(597),竹柏会, 1948-07
 石藥師の圖 / 永見德太郞 / p31~32

永見徳太郎(1937)「安カメラで舞台が撮れる」(「カメラ(1937年5月号)」ARS社)

佐和九郎・永見徳太郎らが中心になって1935年に結成されたコンタックスの会はコンタックスの愛好者団体としては世界初だったらしい。写真誌に掲載された愛好者団体の活動報告を拾っていくと例会だけでなく撮影会や展覧会などを定期的に開くとともに各地に次々と支部が結成されていっていることが読み取れ、かなり活発な動きを見せている。

永見徳太郎はこの会の顧問等を務めていて初期の連絡先は永見邸になっている。ただし永見は1937年の上半期、この文章の末尾で触れられている通り、掲載号が出た5月までにはコンタックスの会を退会している。タイミング的には同じARS社でも「カメラクラブ」に書き始めて東郷堂をプッシュし始めるあたりで、まさに同月発売のカメラクラブに彼は「東郷堂製カメラの躍進」を書いていた。このあと彼は東郷堂(趣味社)発行の月刊誌(総合誌)「趣味」や広報誌「東郷堂通信」の執筆陣の常連になっていく。

photoworks.hatenablog.com

ここにどのような心境の変化があったのか「改良改良と新型を見せ付けられては経済上破綻を来しそうなので遂に私はこの圏外から逃げ」たと書いているが、次第に彼を追い詰めていくことになる経済的な問題はなかったか。この年、彼はまだ手元に残っていた美術品を地元長崎で競売にかけている。

また、このあと日中戦争がぼっ発し様々な統制が実施されていくことになるが、そのような空気の変化を読んでいたところがあるのかもしれない。

なお、1941年の官報で残務整理委員が指定されているのでコンタックスの会の解散は時局的にもこの頃だろうと思われる。

 

※ 永見徳太郎(1950年 逝去)の著作権の保護期間は終了している。

※ 掲載にあたってこれまでとは方針を改め、字体は当用のものに改め、補助語はひらがなにし、一部組み版ルールに従って省略された句読点を補うなどしている。あくまで個人研究用のメモである。「カメラ」の該当号は国会図書館の個人向け送信サービスで閲覧可能なので必要な方はそちらをあたっていただきたい。

 

安カメラで舞台が撮れる
永見徳太郎

イカコンタックスの出現は、たしかに現代写真熱に、拍車をかけたモード品として、近代生活者の嗜好に適したのであるが、最近の情勢や如何、将来は益々進展するか等の論は、此処ではしない。

イカと呼べば、写真と答えるほどの人気を持つ頃、私も数ヶ年間両者を使用したが、改良改良と新型を見せ付けられては経済上破綻を来しそうなので遂に私はこの圏外から逃げてしまった。

夜の帷中にあつて、流動美を写しとどめるには、高価な代物が便利であることは分りきって居るけれど、職業人は別だが、一般の人々でカメラだけが身分不相応な豪華品ではどうかと思う。幸いに現代では感光材料の上に昔とは格段の差を生じ、年に月に秀逸なのが輩出し、露出がかなり短縮されていることを忘れてはならない。そのうえに現像方法には強力現像なるものが存在して露出不足をかなりの程度まで補ってくれるので思いがけない収穫さえキャッチし得る。

今日のカメラ道では、高級カメラでなくばいけないの理由は成り立たない。高級高価カメラを持ったとて威張る必要もなければ、持たないからとて肩身狭く感ずる理由も無い。

安カメラで舞台を狙うのは一般に困難中の困難とされて居るから、実例を一つ。

断っておくが、私は高価品と羨望されるカメラを持たぬのじゃない。中級品もまた安カメラも愛撫中で第二号第三号と十数号まで備えているのだ。持たないではあるいは使わないで豪華級と安カメラの比較談議を初めているのじゃない。F:1.5 級レンズで、夜の傑作を作ったと天狗になっても、当たり前で自慢する神経が怪しい。私が近頃愛用のカメラはコダック・ボックス・カメラのワンエー判、現在驚く代物じゃない。実を申せば中野の古写真機店で捜し出したので大枚2円50銭払って抱えて帰った古代品。ずっと奥にレンズが鎮座して、覗くと埃の煙幕、耳かき棒にハンカチを巻きつけ、掃除してもまだ汚くて手がつけられぬ。F数は記してないがまずF:11より幾らか暗いと思われる。何か試そうと、さくらクロームを入れてやってみた。A店の電気照明室に入って、カメラを手摺に置き、片手でそのボックスの重箱形をしっかり押さえる。三脚穴さえ無いからおどろく。

シャッターは1/20程度のが一つ有るっきり、バルブもできない、タイムがあるばかり。そのうえ、絞りはなくて明け放しだけ。でも縦横の両位置にスリガラスのファインダーが有るには有るが、朦朧としている。何しろ栄養不良で、 ややともすれば危なっ気な破綻だらけの外観、何百円の高級品に比べたら殿様と足軽。その足軽で大名気分を見せようとすればホネではあるが、それが面白くてたまらない。「フィルムだけ高感度の高級品にすれば良かった」との苛立たしさを自制して、ここぞと思うところで静かにタイムのレバーを押さえ、胸のなかで時間を数える。舞台の人物が不意に動くんじゃないかと気になる。安カメラの最大欠点は、暗い鏡玉付なのだから、躍動の迅速なのは閉口である。

レヴュウは激しいテンポの変化がおこるが、旧劇はスロー状態がポツポツ有るので、呼吸を心得ておけば救われる。結局五枚撮った。一秒、二秒、三秒の三種露出、微粒子現像で三秒のが少し過度、他は予想外の良成績、画像の鮮明な点にすっかり敬服し、高尊安卑の考えをもつ人に知らせてあげたい。その後、ライカ党の俳優坂東鶴之助君が来遊したので、この引伸を見せると「へえ」とカメラと見比べ驚きの表情をした。私の作品でコンタックスやライカ、ロライフレックス其他のと、このボックスのと一緒にならべても、決して遜色がないんだから、カメラ術は面白い。

五枚の試写の中で、動作の早いのを一枚撮ったのがある。朝比奈が、手足を非常に動揺させる舞である。タイム三秒だから、現像のあと眺めると、白い煙のやうに衣裳がポヤポヤ認められるだけ、それが中村福助君扮する朝比奈である。こんなに動く場合は前後のシャッターが切られる高級品には及ばないが、普通の舞台は大丈夫という自信を得たのである。

一定の距離より離れると、安カメラの有難いことには、固定焦點だから、ヤレ自動焦点距離計がどうとかと、文句が起こらないのである。2千円以上のをブルジョアは唯一人が持つのだが、一個2円づつのカメラを千人が楽しむとすれば、カメラ発達の為には、大変な問題である。 一部少数の専有に帰するより大衆万人の慰安愉悦を求めるのが普及繁栄策にもなろう。

だから、その2円50銭のに上質のフィルムおよび強力現像をほどこせば、 1/2以上1/10位のスローシャツター露出を手加減で行い、少しくらいの動きなら目的が達せられるのである

明るい高価なレンズを用いなければ、夜の世界の被写体を逃すと説を為す者も、以上の実験で、蒙を啓く源を知り得たであらう。

安カメラそのものが、至極簡単な構造だから故障が起きても、修繕も難しくない。また雨に波に濡れても、金属製の部分が少ないから、鯖の心配も無用。ぞんざいに扱っても頑固で壊れない、仮に損傷したところで借しくない。

高級品を欲しいばかりに悪事を働いたり、また盗難が頻々と起こるそうだが、安カメラにはそうした不祥事を耳にしないだけでも朗らかだ。 安カメラ自身の力を知っておけば、使用範囲も多いコンタックスの会の創立者自身の私が飜然悟る処あってかどうか知らないが、今は同会をサッサと脱退して安カメラの研究に身をやつしている。

(作例として永見撮影による「白浪五人男 濱松屋」「源義朝」「壽草摺」の三点と佐藤晴雄提供の「三人吉三」 が掲載されているが省略。撮影データは文中にあるとおり。前述の通り「カメラ」の該当号は国会図書館の個人向け送信サービスで閲覧可能なので必要な方はそちらをあたっていただきたい)

 

(注釈)
* 2円50銭、2千円 = 貨幣価値を現在に換算するのは難しいが、戦前はおよそ2000倍が一つの目安になる。とすると2円50銭が5千円、2千円が400万円というところだろうか。前者が現状(2023年現在)の写ルンです+αレベルのレンズ交換式カメラ、後者が中判デジタルとしてみると近いだろうか。昭和12年の高等官・初任俸給月額が75円とのこと。
* レビュウ = 踊り・歌・寸劇 などで構成された舞台芸能、歌劇。レビュー。
* 旧劇 = 歌舞伎のこと
* 板東鶴之助 = 歌舞伎役者の名跡
* 中村福助 = 歌舞伎役者の名跡
* 朝比奈 = 朝比奈義秀、ここでは歌舞伎の演目の登場人物

 

撮影メモ 20220928

*カメラ:ARS ARSEN
*レンズ:Anastigmat Grimmel 50/4.5
*フィルム:ReraPan 100 S(かわうそ商店)
*撮影開始:2022/09/28
*撮影場所:市街地周辺 15時ごろ

*メモ:新しいカメラ(ジャンク)の試写。ARSENの巻き止め機構の確認。