書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

長田重昭氏旧蔵(推定) マミヤ製 一眼レフ試作機 等についてのレポート(速報版)

※ 以下、今後に向けた個人用の記録用メモとして作成した文章です。推測による記述が非常に多く、内容の正しさについてはこれを「一切」保証しません。

Twitterの引用部分には誤字・脱字や、また後から修正された見解がそのまま載っていますが、システムの性質上投稿後の修正ができませんので、それを踏まえて読んでください。

※ (速報版)となっておりますが、今後、記事の内容が拡充されるかは一切未定です。

 

目次

00.はじまり

01.落札した出品について(概要)

02.MAMIYA製 ハーフサイズ一眼レフ試作機

03.レンズシャッター一眼レフ試作機(プリズマットPH?)

04.レンズシャッターAE機試作機(ELCA?)

05.Mihama-X / 駿河精機の背景

06.雑感

07.捕逸

 

00.はじまり

2020年7月2日、ヤフオクに「古い カメラ 長田重昭 製作 一眼レフレックスカメラ Tourelle Des Visions 解説 設計図付き アンティーク ビンテージ レトロ」と題されたターレット型のレンズ切り替え式中判カメラが出品されました。

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詳細不明、謎のカメラで自筆での解説・設計図付き。既製品を元に改造したマニアによる一点ものかとも思われ、そうであれば確かに珍しくはありますが、その重要性については議論の分かれるところです。

しかし、同じ出品者から、出所を同じくするのだろう機材の出品が続き、次第にその「正体」が浮かび上がっていくにつれ、ざわめきが広がり始めます。

例えば、記録の存在しない一眼レフであるNAGATA FLEX、既成のカメラを元にした加工品と思われるこのあたりまでは、そうはいっても一点ものの文脈でとらえられるモノでしたが…

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どうも何らかの試作を思わせる真鍮製カメラが続いたり…

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また、LANGFELDという謎のブランド名がつけられた一連のカメラが出品されたりして、そのなかにこれまで存在は知られていても非常に珍しいとされる機種につながるデザインが見いだされたりすることで、一連の出品は「マニアの趣味」から「カメラ史」に接続していくのです。

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当然一連のカメラの制作者と思われる長田重昭氏への注目が集まっていきます。

LANGFELDという耳慣れないブランド銘の出典も恐らくこういうことであろうと言う予想が投稿されます。

また、紀元歴とおぼしき年号が使われていることからこのうち数点のカメラについては製作年度が推定され、長田氏がどの世代の方なのかが見えてきます。それは一方ではなぜ今回まとまって流出したのか、という事情につながることでもあります。  

そして長田重昭氏がマミヤの関係者であり、長期にわたってカメラ史の最前線にたっておられた技術者であることがわかってきます。

また、このときの周辺の投稿を眺めていると長田氏と直接の面識があられたと思われる方々のコメントが差し挟まれているのにも気づかされます。 

今回の一連の出品は長田重昭氏の旧蔵品と思われ、マミヤ時代に限らずその前後も含めた資料であること、「何らかの事情」でまとめて市場に出たことはほぼ間違いないと思われます。

そして、続々と出品される中に「MAMIYA」銘の、しかしこれまでは知られていなかったり、または知られてはいても市販品とは細部、あるいは大きく全体の異なったカメラが登場したりし始めました。

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マミヤの製品化されたなかにこんな中判一眼レフは存在しないのですが、後のRBシリーズへつながっていく流れを感じさせます。

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こちらは35mmレンズシャッター機として世界初の露出計連動等を売り文句としたMAMIYA ELCAなのですが、大まかなシルエットは共通ながら、よく見れば一台ごとにはっきり見て取れるほど仕様が違います。もちろん製品版とは大きく異なるものです。

これらは全て本来は社外に出るはずのない試作機なのでしょう。当時の市況を背景に、製品版として世に出るまでに各社内でいかに膨大な検討がされているその実際の姿が読み取れ興味深いのです。

このあたりまでに一連の出品はかなりの注目を集めるようになっており、オークションの終了間際は白熱・高騰することとなりました。

 

01.落札した出品について(概要)

私も参戦していましたが、何度かの撤退とそのたびに予算を組み替えての再参戦を経て当初の予算を大幅に超えて一つの出品を落札するのが精一杯でした。

私がなんとかかき集められるモノをかき集めて(本来はき出してはいけないモノをはき出して)清水の舞台から飛び降りる覚悟で落札したのが次の出品です。
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一見してなんでもないジャンクカメラの集まりです。私が興味を持ったのは右下のOLYMPUS PEN-Fとの影響関係を感じさせるハーフサイズとおぼしき一眼レフ機でしたが、実は左上のミハマ-Xがかなりの珍品です。

これらの出品者となった古物商は大まかなカメラの分類はともかく、カメラの来歴や特殊性についてはまったく承知していなかったものと思われます。これも指摘のあるところですが正直なところ、もし一点ごとのていねいな出品であったりしたら、かえって一台あたりの値段が高騰して、私はどれかひとつでさえ落札ができなかったかもしれません。

実のところ私はマミヤの事業について通り一遍の知識でさえ怪しいのです。

そこで、Twitter上でなるべく情報を公開することにして皆様のお力に頼ることにしたのですが、最終的には皆様から大変多くの情報提供や資料のご恵投のご協力を頂くことになりました。

結果、この一セットだけでも、日本の戦後カメラ史の断層の露出したなかなかに興味深いものであることがわかってきます。 

最悪の場合、上記のように「なにか面白そうだけれどよくわからない」「ロマンの産物」というあたりが落としどころとなって終わりとなりかねないところもありましたが、幸いにそうならず済みそうなのは、本当にひとえにご協力いただいた方々のおかげです。皆様のご厚意に心より感謝を申し上げます。

 

02.MAMIYA製 ハーフサイズ一眼レフ試作機

・全体像 / 外観

実際問題として、実物を確認するまで一見ペンタ部に見える部分がそうではなく、一眼レフではない、という可能性もありました(それはそれで面白かったろうとは思いますが)。

 

・裏蓋 / 内部 / フィルム巻き上げ機構 など

 

・レンズ交換式の事実が判明 / マウント周辺部 / ミラー 

 

・交換用(望遠)レンズの存在

そして、実は一連の出品の最後の方で、予想外の高騰に刺激を受けてなのか本来は出品の予定がなかった(ひょっとしたら処分予定だった)のではないかというモノまで続々と出品され始めます。これらがきちんと本体とセットとして出品されていたら、落札価格はこんなものでは済まなかったでしょう。

それらについてはまたあとで触れますが、Twitter上でおつきあいのある旭コンタックスさんが試作用のパーツとして集められたのではないかと思われるレンズ等をまとめた出品の中に、このカメラのものと思われる交換レンズが含まれていたのに気づかれて一式を落札され、ご厚意で望遠レンズをお譲りいただくことになりました。 改めて御礼申し上げます。

 

・マウント径 / 試写

 

・フィルムの装填と機構上の特徴について

実際にフィルムを装填して動作確認をしてみます。十全な状態であるとはいえないカメラを不用意に操作することは故障を引き起こす可能性も高く、注意が必要です。

このような機構を採用したカメラは他にも例があるというご指摘をいただいています。 

 miffyさんからのご指摘です。

 一眼レフでありながら、PEN-Fではなくレンズシャッター機のPENのサイズを目指したというのはありそうです。

 

・このカメラの関連資料とカメラ史上の位置づけについて / 意匠登録

冒頭で「既製品を元に改造したマニアによる一点ものかとも思われましたが、そうであれば珍しくはありますが、その重要性については議論の分かれるところ」だと書きました。

確かにMAMIYAの銘はありましたが、これが本当に社内の公式な企画として取り組まれたものなのか、当時社員であられた長田氏が個人のプロジェクトに戯れに刻んだもの、という可能性もなくはなかったのです。

しかし、既製品から流用しての改造品という訳でなく新規に作られていること、またその精度から企業のプロジェクトである蓋然性は高まっていました。そしてTLの皆さんのお力で、裏付けとなる公的な文書が発掘されていきます。

これまでほとんど世に知られていなかったこのカメラは、確かに市場というカメラ史の表舞台には出てきませんでしたが、しっかりとその足跡を残していたのです。

この前後に鍵アカウントから「このハーフ一眼レフ試作機に使われている擬革は、マミヤオートデラックスII(1962年)などで使われているMの字をかたどった擬革同様」というご指摘をいただいており、このカメラの検討されていた時期の傍証となります。

 

・旧蔵時の姿を求めて

先ほど「本来は出品の予定がなかったのではないかというモノまで続々と出品され始め」たと書きましたが、それぞれの出品が元々入っていただろうことが読み取れる空き箱や革ケース、予備のパーツなどが出品され始めました。

こうなれば乗りかかった船です。

いずれこれらのカメラはしかるべきところに納めることになるでしょうが、その将来に向けて、できうる限り旧蔵時と思われる姿に近づけておかなければならないという使命感のようなものに駆られて、もうひと踏ん張りすることになります。

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ただ、この一眼レフの関連と思われるパーツが同時に出品されていた他のカメラのパーツと一緒になっていたため、恐らくその落札者ではないかと思われる方と競合するなど、予想以上の出費となってしまったのはご愛敬です。

なお競合者様には、ハーフサイズ一眼レフ試作機用以外のパーツは引き渡しますのでもしここをご覧になっておられたらTwitterのDMでご連絡ください。

この最後の出品のなかに入っていたのは機構の検討用の模型と思われるモノでしたが、ここからこのカメラになるまでいったいどれくらいの過程を経ることになったのか、そして、ここまで至っても市場に出ないことがあるのだということには、物作りの厳しさを思い知らされます。 

同時進行的に様々なことに取り組んでいるため、どうしても調べるのが遅くなってしまいご紹介いただいた資料の読解もまだまだです。

このカメラの内部は独自の機構の可能性が高いため私ごときで手をつけることは不可能でしょう(むしろやるべきではに)から、ご紹介いただいた資料に目を通し、なんとか一度、試写ぐらいまではたどり着きたいものだと思っています。 

 

03.レンズシャッター一眼レフ試作機(プリズマットPH?)

さて、このセットに含まれていたカメラはあと三台あります。くどいようですが、マミヤについては通り一遍の知識も怪しい私ですので到着時の簡易報告を並べつつ、皆さまからお寄せいただいた見解をまとめておきます。

・外観

 

・お寄せいただいた見解

  

04.レンズシャッターAE機試作機(ELCA?)

こちらは恐らくELCAの開発初期、それもELCAの銘が定まる前の時点での試作機と思われます。ベースとなっているダイキャストはELCA以前の35mm機のものです。

冒頭で述べたように、ELCAの試作機がまとめて出品されていましたが、本来はこの一台はその筆頭としてまとめられていなければならないものだったのでしょう。 

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実は別の出品にももう一台試作のELCAが入っていたようで、全てが揃っていれば大変興味深いモノだったろうにと、特にELCAが「世界初」を謳って(誇大なものもあったようですが)市販に至ったカメラであるだけに残念なところです。

この試作機の時点ではCOLOUR 35という名称で開発が進められていたのでしょうか。当時いよいよカラーネガフィルムの普及が始まっていたという情勢が背景にあったのかもしれません。

・外観 

・お寄せいただいた見解 

 

05.Mihama-X / 駿河精機の背景

最後に、これはマミヤ製のカメラではないのですが駿河精機のMihama-Xが含まれてしました。先に触れたように珍品と言っていいカメラの一台で、下記にあるように過去の出版物の転載としてでなく、現物の写真がネット上に出たのは今回のオークションが初めてではないかという指摘をいただいたほどです(ただ、すでに詳細は失われていますが、実際には一例ほど中古での出品画像と思われるものがあるようです)。

駿河精機とミハマシリーズについてはぜひ近内一眞氏の『ミハマシックス物語』に目を通していただきたいのですが、ミハマの歴史の最終局面になって登場した35mm機である35-AとXの関係には詳細不明な点が色々あったのですけれども、今回の出品の経緯で少なくともMihama-Xは長田氏の手によるものだったのではないかという可能性が浮上したことになります。 

それを踏まえてカメラ・コレクターズ・ニュースの該当号の記事を読み直すと、今となっては確認することはできませんが、粟野幹男はある程度このカメラについて経緯を把握されていたのではないかと思われる節があります。

今回入手したカメラの中ではこのミハマ-Xが一番古いと言うことになるのでしょう。、ファインダーはかなり曇っているものの、このセットの中でこの一台だけは現状のままでも実写可能で、近日中に試してみたいと思っています。

06.雑感

私程度では手に負えないモノ、手に余るモノを勢いに任せて招来してしまった、という思いは正直あります。

広く浅くが信条の私による、せいぜいが表面をなぞった程度のまとめは気合いの入った皆さまからすれば喰い足りないもどかしいものであろうことは、本当に申し訳なく思います。

皆さんから寄せていただいた情報・見解の引用部分はともかく、本人は精々「触ってみた」程度のことしができていないまとめには力不足を痛感します。

また、最初にその姿に魅せられたままの勢いで突っ走りましてそこに公開は全くないのですが、以下に触れるように、市場に出たわけではなく後につながらなかった35mmハーフサイズ一眼レフの試作機よりも、ELCAやプリズマットPHに連なると思われる試作機の方がよりカメラ史としてはより重要なのかもしれません。

長田氏の個人ブランドであったろうLANGFELDからCarolなどこれまで知られていた機種への展開や駿河精機との関係など、今回の出品の全体を手がかりに追えるモノ・コトはまだまだたくさんあるのでしょうけれども到底私の手に負えるものではなく、ただ記録だけを留めておきます。 

また、最近のインターネット(特に日本語圏のWorld Wide Web)上にこのような形で情報を置くのがいいのかどうかというのも悩ましいところで、PDFなり冊子なりでワンクッション置くことが必要だったろうかとも思いますが、それをやろうとすると恐らく出せないままになるという予感もあり、Twitter上で追っておられた方には何の新情報もない拍子抜けのまとめで申し訳ないのですが、Twitterの急流ではあとから流れが追いにくく、備忘録として一端まとめさせていただきました。

このカメラ達が、そのポテンシャルを開放するのはもっと先のことになるでしょうが、私の手元に引っかかったのも何かの縁と言うことでご寛恕いただければと思います。

07.捕逸

カメラメーカーとして歴史・実績のあるマミヤですが、途中に倒産を挟んだにしろまとまった書籍が非常に少ないことに驚きました。

以下でも触れられているクラシックカメラ専科の特集号やカメラ新書の作ぐらいしか思いつかないのが現状です。

かつての四畳半メーカーに限らず、むしろ今でも活躍するようなメーカーでもよほどの大メーカー以外ではなかなかこういうモノは社内はともかく社外に向けてはまとまらないモノなのかもしれません。 

90年代~00年代頃のネットであればもう少し記述もあったかもしれませんが、当時の頁はそのころの主要サービスが終了したことで大量に消滅しています。

awane-photo.com🔰 (@cvcnet)さんがいくつか参考となるサイト(Internet Archive上ですが)を紹介してくださっているので最後に引いておきます。

たくさんの知見を寄せていただいたみなさま、本当にありがとうございました。 改めて心より感謝を申し上げます。

撮影メモ 20200712

*カメラ:Kiev-4a(Custom Paint)
*レンズ:Helios-103 53/1.9
*フィルム:ILFORD XP-2
*撮影開始:2020/07/12
*撮影場所:市街地周辺

メモ:ロシアから届いたカスタムKiev(先行試作機・試用分)のテスト。Kievとはまだ十分に「友達になった」という感覚はないのだけれど、届いたからには使わなければとおっかなびっくりフィルムを詰めるなど。

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写真集紹介コンテスト「 #あなたの一押し写真集 」全エントリー紹介

5月15日から6月5日にかけてツイッター上で「 #あなたの一押し写真集」という写真集紹介コンテストを開催しました。

当初の期間(5月27日まで)の終了間際にエントリーが増えてきたので受付期間を延長したのですが、予想を遙かにこえるご投稿をいただきました。本当にありがとうございました。

 昨日でエントリー期間が終了しましたので取り急ぎ全エントリーをまとめます。基本的にご恵投をいただいた順です。

なお、審査対象とするにはレギュレーションに従ったものである必要がありますが、TL上の投稿を見てタグを使っていただいた投稿もあり、企画の意図を鑑みて幅広く収録しています。

追記(2020/06/07)

再チェックして5冊の抜を追加しました。申し訳ないです。特に5月31日ごろに投稿されたものを拾い損ねていたようで。あと、エントリーの終了直前。確認不足をお詫びいたします。きちんと管理できないのでこちらのコメント欄は閉じているので、他に抜けがあったらtwitterの方で教えていただければ幸いです。

追記(2020/06/08)

ご連絡をいただいて2冊を追加しました。6月4日・5日分です。まだ抜けがありましたら本当に申し訳ありません(汗)

 

当初予定:5月15日~5月27日までのエントリー

 

期間延長:5月28日~6月4日(終了前日)までのエントリー

 ここで審査委員三名で話し合って募集期間の延長が決定されました。

  

 

最終日:6月5日(受付終了日)のエントリー

期日も迫ってきて一日あたり3~5投稿、投稿のない日もありと、だいぶん落ち着いてきたかなと思いきやの最終日、ここまで様子を見ていたのか、新規のご投稿はじめ終了間際まで出し惜しみ無しの投稿の続く一日になりました。

 〆切まで残り1時間半を切ってからのラストスパート

 

エントリー終了!

みなさまご参加ありがとうございました。後日の結果の発表をお待ちください。途中でいただいたコメントや、また今回のご投稿をみて考えたことなどはいくつか書いてみたいと思います。

長崎に関わる写真家・写真師考

twitter上で全国47都道府県の写真家をnoteでまとめている方がいらっしゃったのに触発されて以下の様なコメントを戯れに書いてみました。

 twitterの文字数に制限を受けているので色々説明不足ですし、もっと追加しないといけない方々がいらっしゃるのですが、とりあえずのとっかかりして。

この次に追加するとするなら、地元の出版社から写真集を出版されていたり、長崎をテーマに自費出版をされているような方々になるでしょうか。もちろん出版はされていなくても長崎をベースに出版物を舞台にカメラマンとして活動している方もいらっしゃるし地元の美術界で活動している方々もいらっしゃる。

なにを持って、写真家・写真師とするか、中央での評価をもって基準として良いのか、など考えなければならないことは尽きないのですが、とりあえずのメモとして関連のものをスクラップしておきます。

ここから展開して、元々興味を持っていた戦前の東郷堂の活動と永見徳太郎の年表で空白になっている部分が接続するというマリアージュが発生し、重点的に永見を折っているという次第なのです。

実際問題として思い上がるわけではないのですが、写真史というよりも独立した領域としての写真というジャンルそのものさえ低調となり、また東郷堂という戦前カメラ史の辺境(実際には写真史において特に戦後の名カメラマン達のスタートカメラとして機能したという意味で重要なのにほとんど無視されている)の資料をある程度集めているうえ、これまたある程度地元の郷土史や当時の文学史、また社会史に通じている人間が、さてこの先出てくる可能性を期待するくらいなら、自分がやるしかないよなと思い立ったということなのです。

永見徳太郎については近日中にまとめて、気が向いたらですがWikipediaの記述を修正しようかと。そこから見えてくる、戦後に接続しなかった、あるいは接続はしたのだけれども大文字の「カメラ史」「写真史」からは無視され、しかし実は今なお続いているし、そこを無視したからこそ写真趣味が根無し草になってしまった、そういう領域が見えてくるのでは無いか、そのようなことを考えているのです。

 

 

撮影メモ 20200510

*カメラ:Fake Humanoid(Ukrainen / Black)
*レンズ:Jupiter-12 35/2.8
*フィルム:FOMAPAN 400(expired)
*撮影予定:2020/05/10
*撮影場所:未定
*メモ:ちょっと特殊な経緯で成立した「ライカ」の幻影のさらに解像度の低い複製品という、ある意味物語性は豊かな個体。レンズよりまえに本体の方の動作を確認。

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