書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

パウル・ヴォルフ(井上鍾 編)1942『ライカ写真の完成』番町書房より抜粋

f:id:afcamera:20210522161931j:plain

パウル・ヴォルフの『ライカ写真の完成』より一部(「フイルム・フイルター・現像」pp.9-25)を抜粋します。ヴォルフ(1951年 逝去)の著作権はあらゆる意味で切れていますが、これは翻訳であるため訳文に翻訳者の二次著作権が発生します。しかし、翻訳者不明のため公開後五十年で保護期間は満了しています。

ヴォルフはライカ写真の名手と知られ、戦前の日本に紹介された初期こそ名前を間違えられるなどしましたが、すぐに大きな影響を与えるようになりました。

ja.wikipedia.org

この「フイルム・フイルター・現像」の章で彼が解説するのはいわゆる「たっぷり露光、あっさり現像」と言われる微粒子現像法の要諦ですが、そもそも彼がこの方法を発見し、普及に努めたことが高倍率での引き延ばしが必要であくまで特殊用途向けという扱いだったライカを世界的なカメラへと飛躍させたといえます。

dc.watch.impress.co.jp

この『ライカ写真の完成』が番町書房より出版されたのは1942年で、すでに太平洋戦争に突入し物資の統制が行われていたにもかかわらずこのような豪華な美術書が出版された時点でヴォルフの影響の大きさが感じられます。編集の井上鍾はライカの代理店として有名だったシュミット商会の社長です。

ja.wikipedia.org

前置きが長くなりました。本文を尊重して一応旧字体歴史的仮名遣いで起こしていますが、一部エディタで入力できない漢字などがあり、そこは現行の書体になっています。また現代仮名遣いになっていたり入力ミスがあったりした場合はすいません。

あくまで自分用のメモです。利用はご自身の責任にてお願いします。

なお、本文中の形式段落を改行にて強調しています。ご了承ください。

---------------

イカ寫眞の完成

ドクトル・パウル・ヴォルフ

フイルム・フイルター・現像

フイルムとフイルターとそれから現像は寫眞原板を製作する場合最も肝腎な要素であつて、これらが相關聯して原板の良否を決定するのである。

イカ十數年の歴史は寫眞界の革命であり、驚異であるのみならず、また粒子、鮮銳度、並びに諧調の諸問題に對して無言のうちに行はれた苦しい戦の歷史であつた。これらの問題は小型カメラの出現以前には知られないか、或ひは殆んど意に介されなかつたものであつた。これが今では總べて解決されライカならば大型カメラよりも容易であり、といつても自動的に良い結果が得られるといふわけでは決してないが、過去數年來の著しい進歩によつて技術が簡易化されたことはたしかである。この進歩に關しては吾々は特にフイルム工業に感謝せねばならぬ。しかし將來フイルム製作技術の進歩によつて小型寫眞技術が一層簡易化され、容易となつても、フイルムの進歩にのみ賴ることなく、真に技術的にも藝術的にも優秀な作品を作るためにはいくらでも研究の餘地があることは勿論である。

小型フイルムを使用するライカの出現はそれまで全く思ひもかけなかつた色色な問題をひき起したが、これらの問題は非凡な熟練者には解決出來ても、簡單に手取り早く萬事を片附けてしまひたいといふアマチユアには、自分の工夫ではどうしてもうまく行かないので徒らに手を拱いてがつかりしてしまふことがあつた。

なぜなら所謂純正微粒子現像液は普通のものよりずつと高質であるのみならず製造者のいふやうには永く保たない。例へば廣告では純正微粒子現像液はライカフイルム十五本を同樣に現像しうるやうにいつてはゐるが、實際はさうは行かない。たとへ現像時間を延長しても、液は變化し從つてその作用も變化するから硬調でしかもフラつトなしかも往々にして粒子の粗大なネガになるのである。

所謂純正微粒子現像をめぐつてこの騒ぎは獨逸のアマチユアの眼にはどう映じたであらうか。純正微粒子現像とは一體如何なるものであるか。この問題について詳述すれば非常に長くもなり、徹底的に論ずるためには化學的記述が必要になつてくるが、アマチユアの場合露出をうけた感光膜層へ臭化銀溶.劑と共に作用して最後に非常に微細な銀組織を形成する物質例へばパラフエニレンディアミン(パラミン)、オルソフエニレンディアミン、トルヰレンディアミン等の物質のあることを知れば十分であつて、この反應に於て特異なのは臭化銀結晶の一部が現像液中に溶解することである(物理的現像)。この純正微粒子現像液で處理されたネガはその膜層の表面が强く光るのが外觀上の特徴であり、又表面には部分的に褐色を呈する銀組織像が現はれる。

これに反して普通の微粒子現像液は決して本來の粒子の大きさを還元せず、たゞ互ひに隣接の粒子群が凝集して大きな粒子となることをふせぐだけである。この外には緩慢な反應を呈する現像液であること(少量の現像成分とアルカリ)が一般に問題であつて、反應が緩慢であれば自然と調子の硬化と粒子の粗大化を防ぐわけである。

所謂純正微粒子現像を行ふ場合に必要な條件は或る程度の露出過度を行ふことである。このことは純正微粒子現像法の主張者には故意に黙殺され或ひは反對されてゐるが、この十分な露出といふことは本書の著者も明確な認識の下に純正微粒子現像の根本條件であると再三論じた處であつて、最早彼等はきまり切つたことと考へてゐるのか、或ひは本心をいつわつての反對であるのかも知れない。

扨󠄃適正な露出とか、二倍三倍の露出といふことがいはれるが、さういふ場合にはまづ何を標準にするかといふことをはつきりと知つてゐなければならない。これにはドイつの工業規格によつて定められた感光度表示法卽ちDIN法があるのみであつて、所謂「勘」では無論駄目であり、電氣露出計と雖もそれぞれ差異があるから正確な標準に使用することはできない。DIN法(及びこれを基準とした露出計法)は常に信頼し、檢定に使用しうるものであつて、現像液と關係あるあらゆる記述、例へば「過度に露出することは不要」とか、「普通より二倍乃至三倍の露出を與へよ」等と記載してあるものでも、DIN法或ひはこれに準じた信賴するに足る基礎に據つたものでないものは凡て架空の説であり、何等の意味も持たないのである。嚴格にいへば、凡ての所謂純正微粒子現像液は所謂調整微粒子現像液に比較すれば例外なく二倍乃至數倍露出時間を延長する必要があり、DIN現像やブレンつカテキン一苛性ナトロン現像等のやうに特殊の藥品によつてフイルムの實効感度を低下させるやうなものでは更に數倍の露出時間の延長が必要であらう。といふのは臭化銀の一部は現像の場合フイルムの中から遊離し、且つ何れの微粒子現像法に於ても早目に操作を打切るのが普通であるから、實際の感光度の喪失は決して驚くに足りないからである。

また所謂純正微粒子現像の缺點としては感光度が犠牲にされるだけでなく、更に鮮銳度の損失は一層莫大である。この鮮銳度の損失は感光膜層の厚いものに殊に大きいが、これは感光膜層内で光が散亂することに起因するものである。從つて露出時間が長ければ長いほどこの現象は著しくなるが、上に述べたやうにすべての純正微粒子現像液はある程度の露出過度を必要とする結果不鮮明なネガとなり、鮮銳な畫をまづ第一の目的とするアマチユア寫眞家を大いに失望させることになるのであつて、その原因は現像液によるものではなく露出過度によるものである。

鮮銳度喪失の程度は、特に今日の感光乳劑のやうな場合には、普通の近接被寫體の撮影に於ては氣にするほどのこともないが、細部の多い被寫體を嚴密に撮影する場合には非常に著しい缺點となつてくる。膜層の厚いライカフィルムで露出不足から露出過度へと段々に露出時間を變へて試驗し、そのネガの部分的引伸をやつてみると、今述べたやうな現象をよく觀察することがでできるが、最も鮮銳なネガは必ず露出の短いものであることが解る。

然しながら吾々は一般のやり方と、高度の要求とを區別しなければならない。このことは今日なほ一致しないものであつて、熟練者の手によれば素晴しい效果をあげる方法も、未熟練者の手にかゝればむしろ失敗の原因となる場合が多い。だから未熟練者は分相應の望みにとゞめて最も簡單な方法でやれば満足な結果をうるであらうし、これと反對に熟練者は前者とは別な方法によるがよからうし、殊に近接被寫體を取扱ふ場合は未熟練者は熟練者の真似をすべきではない。

だからといつて今日迄の原則『露出は十分に現像は短く』を今後は時代遅れとして捨て去り、鮮銳度のために短い露出のみを禮讚するのは謬りである。實際露出の短いネガは最も鮮銳であつても、それは良い畫に對する要求の只一つを充たし得たに過ぎないのである。アマチユアにとつてもネガは鮮銳であることが最大の要求であることには違ひないから、露出時間と現像と鮮銳度との間の關係を豫め知つてゐるべきであらう。

しかし、良いネガであるためには鮮銳度以外にも重要な條件がある。それは卽ち調子であつて、明部と暗部との間にできるだけ均整のとれた理想的な諧調がなければならない。普通の寫真撮影の場合でさへハイライトではなく陰影部を標準としてシャターを切るのであつて、明暗比の大なる被寫體(逆光撮影のやうな場合)に對しては、明暗比の小なるものゝ場合よりも露出を多くすべきである。そして、この自明の原則は小型カメラ寫眞術に於ても勿論守られるべきであり、否むしろ小型カメラによる寫眞術に於て理想的なネガを得ようとする場合には最も嚴格にこの原則を守るべきであつて、作畫に特殊の目的のある場合には殊にさうである。輝かしいハイライトと深い陰影とを以ていつまでも魅力のある黑白寫眞を作らうとする場合には、本書の著者が打ち樹てた『露出は十分に現像は短く』の原則は常に遵守されねばならないのである。普通寫眞術に於て困難ないくつかの問題の間に最良の妥協を見出すことが甚だ困難であると同樣に、小型カメラによる寫眞術の場合も亦全く同樣なのである。

そこで次のやうな規則をつくることができる。卽ち、短い露出と普通の現像によれば最も鮮銳な畫が得られる。この方法は初心者には絶對に正しい方法である。ところで十分な露出と短い現像によれば、被寫體の明暗比が非常に大きい場合にも常に均整のあるネガが得られる。この方法は、熟練者や作畫に十分經驗のある人が行ふべき方法である。

以下十數年のライカの經驗によつて、ライカの撮影に成功するにはどんな性質のフイルムが良いか、卽ち標準フイルムとはどんなものか、及び最良の處理をするにはどんな方法によればよいかといふことについて述べてみようと思ふ。それはいづれもアマチユアにとつて必要なしかもアマチユア向きの簡單な處理方法の根本にも密接な關係があるわけである。

普通の場合には最高感度のフイルムを使用するのは避けるべきであるといふ理由は既に述べたが、それだからといつて常におそろしく低感度のフイルム(10/10-11/10DIN)を使用することも亦同樣に誤りである。といふのは、かういふフイルムは調子があまりにも硬く、昔いつたシャイナー十七度(約4/10DIN)のフイルム位しか露出が與へられず、從つて多くの場合感光度の不足を嘆ぜざるを得ない。また露出寛容度も非常に狭いので露出は非常に正確にしなければならないし、明暗比の大きい被寫體にあつては明部及び暗部のディテールが潰れ、全體にわたつて調子の均整が保たれ得ないのである。

本書の前篇『ライカ寫眞』の中に述べたクルツケンハウザー教授の著書とこの主張は決して矛盾するものではない。彼の書に掲載されてゐる寫真は全部静止した被寫體であつて、全部シヤターはタイムで撮影されて居り、或る寺院の内部などは實に數時間の露出がかけられてゐる。かういふやり方は昔の大型カメラ時代には常に行はれたことであつて、これらの寫眞はこのフイルムの通常撮影の場合には標準にはならない。

一般の場合に最も適當なものは中庸感光度(16/10-17/10DIN)の新パンフイルムである。このフイルムならば特殊の報道寫眞や舞臺寫眞を除けば殆んど何れの場合にも感光度は十分であつて、粒子は本來微細であるから、好みのまゝの現像液を使用しても18×24糎の光澤紙引伸ならば粒子は現はれず、調子はやゝ硬いが、この性質にさへ注意して居ればよいのである。このフイルムを使つて『露出を十分に(但し、過度ではない)現像を短く』の鐵則に從へば、何の苦勞もなく明暗兩部に満足すべきディテールのある均整のとれたネガが得られるのである。たゞ感光乳剤製造上の理由から十分な微粒子性及び鮮銳度を得るために幾分調子が硬いのが普通であるが、それは止むを得ない。好季節に絞9、1/60秒で普通の被寫體ならば立派なネガが得られる筈である。勿論現像には後章に述べるやうな注意が肝要ではあるが。

新パンクロフイルムの感色性は、露出倍數約二倍のフイルター、例へばライツ黄色一號を用ふれば諧調の正しい寫眞が得られるやうになつてゐる。卽ち、靑色は適當に抑へられ、白い雲は暗い空から十分なコントラストを以て浮び、赤色、(皮膚の色等)も以前のパンフイルムのやうに白堊の如く白くは現はれない。又、どの風景にも多量に含まれる黄緑色は十分明るく現はれる。緑色フィルターは新パンフイルムには全く不必要なものとなつてゐる。といふのは、このフイルムは赤色に對し特別に高い感光度を持つてゐないから綠色フィルター中に含まれてゐる靑色によつて抑へる必要がない。これを抑へれば赤色は餘りにも暗くなり、また中濃度の黄色フィルターに比べて露出倍數はずつと大きく、約四倍乃至六倍となるのである。

二千米以上の高山では一般に黄色フイルターも不必要であるといふのはこれを用ひると空が餘りに暗くなるだけでなく、遠方の漂渺たる氣分(大氣遠近感)を現はすことができないからである。その上黄色フイルターは强い紫外線によつて螢光作用を起し、量つた不鮮銳なネガとなる。むしろこんな場合には紫外線除けのフィルターを使用すべきである。但し空がほとんど雲に蔽はれてゐる場合は例外で、雲の間に僅かの小さな靑い切れ目がのぞいてゐるやうな場合には黄色フイルターを使用して空を少し暗くする方が寫眞としては效果的であらう。


瓦斯入電球による照明でパンフイルムを用ひて正しく色調を再現しようとすることはなかなか困難なことである。それは、瓦斯入電球は靑色光線に乏しいからポートレートの場合、顔は白堊像のやうに白くなり、靑い眼は暗くなる。そこでこの場合には大抵は靑色フイルターの力を借りることが必要となる。但しこの場合、フイルムの一般感光度がずつと低くなることは當然である。色の再現を助けるために電球に靑綠色のセロフアンの覆ひをつけたり、或ひは反射用笠の裏面を靑綠色に塗る人もある。人像専門寫眞師がポートレート撮影に往々オルソフイルムを使用するのはこのためであつて、これによつて皮膚の色調を、殊に、眼の色を自然に近く再現できるからである。

繪畫や地圖等のやうな多彩な被寫體の場合には往々或る色を抑へ、或る色を强めるために數種のフイルターを使用しなければならないことがある。かういふ場合には次に述べる補色の原理が役に立つ。卽ち、補色といふのは互ひに反對なそして互ひに消し合つて無色になるやうな二つの色をいふものであつて、例へば、レンズに綠色フィルターをかければその補色の赤を抑へ、陽畫には赤は暗色か眞黑になつて現はれる。黄橙色フイルターは空の靑董色を抑へるから空は陽畫には項合ひに現はれる。卽ち、フイルターは被寫體のその色を强め、その補色を吸收し、陽畫ではその色を暗くするものである。

f:id:afcamera:20210522163256j:plain

寫眞撮影にフイルターを使用することは、熟練者にとつては丁度ピアノのペダルのやうなもので、これをマスターすれば特殊の效果を發揮することができるのであるが、それらの一々をこゝで詳述するのは無理なことであらう。根本原則だけを定めることはできるが、凡ゆる場合を考へて、その一々に適應する定則を確立することはまづ不可能である。そこで次に最も重要なフイルターとその作用だけを述べることにする。

橙色乃至赤色フイルターは風景撮影に於て特に雲の効果を狙ふときに使用される。この際綠色は幾分抑へられて暗くなる。赤色フイルターは霧のかゝつた遠景を撮るときに必要であつて、赤外線フイルムの代りをつとめる。尤も赤外線フイルムに更に適當なフイルターを併用すれば一層遠景をよく描寫することができるが、粒子が荒び、解像が不良となる缺點がある。

灰色フイルターは映畫撮影者に特に用ひられ、レンズを開放にして焦點深度を浅くする必要がある場合に光線量を調節する絞の代りに使用される。

偏光性フイルターは特別の材料、例へば、漆塗り、木材、紙、等のやうなものを一定の角度から撮影する場合に反射を避けるために使用するものであつて、アマチユアには大して必要のあるものではない。

一般にフイルターを使用して撮影した寫眞は、フイルターを使用しないものと比べると輪廓が不鮮明であつて、これには物理學的にも化學的にも理由のあることである。しかし、フイルムの膜層が薄ければ薄いほどこの作用は少いのであつて、近頃の新しいパンフイルムでは實際上ほとんど顧慮する必要はない。

最近の新しいパンクロフイルムの解像力は、普通の目的の寫眞なら全く十分であつて、密着と殆んど區別できない程の引伸印畫が得られる。勿論、複寫或ひは技術用寫眞等のやうに特殊の目的のためにはペルツの製圖用フイルムBのやうな特殊乳劑フイルム、或ひは單膜層フイルムのやうな解像力の一層優秀なものを使用すべきであるが、しかしかういふ特殊フイルムの鮮銳度でさへすぐれた小型寫眞用レンズの鮮銳度には遠く及ばない。つまり、小型寫眞機ではレンズの鮮銳度をフイルムが再現し得ぬのである。こゝに寫眞化學に對する重大な課題が未解決のまゝ残されてゐるわけである。昔の最高感光度フイルムを今尚ほ禮讚してゐる人たちは、このフイルムで撮つた寫眞は現在の中感光度の改良パンフイルムで撮つた寫眞よりも鮮銳であると主張するが、それは勿論誤つた結論であつて、この誤りは昔のフイルムの感光度や調子とも關聯してゐるのである。赤色に對して感度の高いフイルムは勿論遠くまで描寫し得、從つて赤色感光性を抑へたフイルムによるより遠景の點では遙に鮮明な寫眞をうることができる。然しかういふ超赤色感光性といふものは同時に缺點を伴ふものであつて、これについては既に述べた通りである。

フイルムのハレーシヨン防止法としては今日ではフイルムの灰色ベースを感光膜層下面の着色を行つてゐるが、このハレーシヨン防止法の良否は寫眞の鮮銳度に關すること甚だ大であり、今日なほ大いに改良の餘地がある。感光乳劑層のハレーシヨン防止は露出及び現像を適度に行ふことによつて大いにこれを助けることができる。卽ち、膜層の深部に達するやうな餘りに過度な露出や、餘りに過激な現像は避けねばならない。

新改良パンフイルムのやうに進歩したものゝ現像は最早問題にすべきものはなく、只一言で説明ができるものであつて、今日普通の場合では一切複雑怪奇な現像を排すべきことは既に述べた通りである。

只一言といふのはアマチユアには所謂調整微粒子現像液(たとへばペルツ製の管入)に指定溫度で約七分間入れて絶えず揺り動かしさへすればそれでよい。但しこの七分といふ時間は一般アマチユアの撮影範圍に屬する被寫體を前提としたもので、この時間は特殊の場合には勿論變へなくてはならない。

さてライカフイルムに與へられるべき現像時間はこの現像液を動揺することを前提としたもので、若しさうしなければ肉乘りの薄い不均等なネガになつてしまふ。またフイルムを現像液から定着液へ移す間にも現像は進行するものであるから、嚴密に適當な時期に現像液から引上げ、手早く次の處理にうつらねばならない。この事實は最近の調子の硬いパンフイルムの場合殊に注意すべきである。

現像はかくも簡單容易なものであるが、若しこれを信じない人があるならば漸次露出時間を長くして各二枚づゝ撮り、その一つを上述のぺルツ調整微粒子現像液で、他の一つを市販の或ひは自ら調合した超微粒子現像液で現像すると、その結果は中々面白い。卽ち、この兩者はまづ豫期の通りその肉乘りが異つてゐる。例へばペルツ調整微粒子現像液で處理したものは、絞F12.5 1/100秒の露出で適當とするとき、超微粒子現像液で處理したものでは同じ絞で1/40秒の露出をかけなければ同樣なネガは得られない。更に引伸をやつてみると一層面白い。假りに普通の大きさ、例へば13×18糎に引伸してみると、兩者の間に粒子の點では何らの差異が認められず、ペルつ調整微粒子現像液で處理したフイルムは暗部のディテールがよく出るのが判る。十倍の引伸印書を作るに及んで初めて超微粒子現像液で現像したものゝ方が灰色の中間色に於てより粒子の微細であることが認められる。

(*譯者註 これまで新しいパンフイルム又は改良パンフイルム等の言葉で表現してゐるものはAgfaのパンF或ひはEastmanのプラスX級のものを指す)

この實驗によつて吾々は一つの結論に到達する。卽ち、アマチユアは普通の場合にはつねに所謂調整微粒子現像液(アグフアのフイナール、コダツクのDK76、ペルツ調整微粒子現像液、ライカノール等)によるのが賢明であつてこれらの現像液はいづれも相當永持ちがするし、値段も安い。たゞ特に大きく引伸をする時のみ特別の超微粒子現像液を使用すればよいのである。かうした簡易な處理方法の利益としては、露出時間がより短くてすむためにカメラの活躍範圍がずつと擴大されるのみならず、多くのライカネガのボケの原因である手震れがなくなり、又費用と時間の節約にもなるわけである。

專門家にあつてはアマチユアとは全然異つた要求のために止むを得ずこの超微粒子現像法を行はねばならないことが屢〻あるけれども、アマチユアは今日の進歩した感光乳剤化學の恩恵に與り、一定の標準方法によるのが賢明である。現像法その他の技術が簡易であればあるだけ注意や努力を作畫の方に傾けることができ、技術上の問題で効果の上がらぬ努力をくりかへしてゐるよりも、作畫に專心する方がどれだけ喜びが湧いてくるか分つたものではない。勿論ライカを手にするアマチユアに對してかういふやり方を紹介すればこれに對して非難のあることは十分覺悟の前である。世の中には例へばこゝに述べたやうな方法で處理したネガは軟かすぎるとか、硬過ぎるとか、乃至は粒子が粗いといつて簡易な處理方法を非難する人はいくらもあるかも知れない。しかしかういふ苦情は初めから豫測してゐることで、この苦情を發せしめないためには、まづ次の諸點を考察しなければならない。

 

1.露出時間が正しかつたかどうか

今日のフイルムでは露出時間などはどうでもよいといふやうなことはお伽噺に過ぎない。成程理論上或る程度まではこれも本當ではあるけれども、それは被寫體の明暗の範圍如何によるわけである。その上露出が正しかつたかどうかはネガの良否に必ず影響するものであつて、露出が不足であれば、暗部のディテールを出し得ないことは勿論、餘りに淡いネガからの印畫では止むを得ず硬調印畫紙を使用する結果粒子が多く現はれる。これに反して露出が過ぎれば鮮銳度を減じ、粒子が粗くなり、寫眞に力がなく平調なものとなる。

2.ネガの硬すぎるもの

黒と白とからできてゐる寫眞が普通の方法で紙上に印畫される限り、自然の明暗はフイルムの上では大體に於て再現されてる印畫紙の上ではその再現は中々むづかしい。從つてフイルムの現像時間は、明暗比が1:30位の普通の被寫體の密着印畫や引伸が立派にできる中庸度のコントラストのネガを得るやうに心がけるべきである(ガンマ約0.7)。然し、被寫體の明暗比が1:30以上である場合は決して稀なことではなく、施つてかういふ場合にはネガに手工的或ひは化學的な補助を與へなければそのネガはあまりにも硬すぎ、満足な引伸はできないことになる。


3.ネガの軟かすぎるもの

これに反して、同じフイルムを使用しても、例へば曇天の場合等には被寫體の明暗比が小さいためネガが軟調にすぎることになる。從つてこの場合には硬調の印畫紙を用ひねばならないことになる結果、比較的粒子の荒れる惧れがある。

かういふ場合にはどうすればよいか。三十六枚を色々に撮影したライカフイルムを現像するには普通の被寫體を撮つたものを標準とするべきであり、又總べての現像液での現像時間もこれを標準とすべきである。多くの場合はネガのこの調子の差異は引伸の場合に適當な調子の印畫紙を選ぶことによつて調整することはできるが、たゞ極端な場合にはこの方法では不十分で、止むを得ず化學的補正處理を加へなければならない。


この化學的な補正處理をするためにはまづネガの定着及び水洗が完全に行はれたことが第一の條件である。水洗後には蒸溜水を通すのがよい。といふのは、かうすれば過敏な膜面に乾燥斑の残るのを最も簡單に防止することができるからである。また補正處理を行ふ前には、乾燥時に與へた膜面の指紋やその他の汚れをフイルム浄剤のやうなもので完全に拭ひ去つておかなければならない。なほこの補正處理は普通はフイルムの或る一齣にだけ施するのであるから、フイルムは四枚乃至六枚づつに切離すのがよい。この方法は一般にフイルムを分類して保存しておく場合にも、是非勵行されるやうおすゝめする。

硬調に過ぎ、或ひは軟調に過ぎ且つ淡すぎるライカのネガを補正する最近の方法には二種類あるが、共に從來の寫眞術の缺點を一切取除きうるものであるから、小型カメラによる寫眞術にとつては殊に重要なものである。さて、その方法の一つである『オイグラドール中で減力する法』はたゞハイライトを弱めるだけであるから、陰影部の潰れることはなく、又粒子にも影響しない。この方法は絕對確實で、何の豫備知識のない初心者にも實行ができる。

この反對の他の一つの方法は新しい補力法であつて、その効力は甚だ强く、肉乘を二倍にすることができ、粒子にも影響がない。この方法はルミエール及びザイエウエッツ兩氏の創始になり、ドイツではフエザクロームの名稱で販賣されてゐる。

これら藥品の理論についてはこゝでは論ぜられないが、要するに上述のやうな特殊の場合にアマチユアの絕對信頼しうるものである。

以上ライカアマチユアが今日信頼するに足る技法とその理由を述べた。卽ち一般撮影用としては17/10DINの新しいパンフイルムを使用し、特殊の場合例へば複寫或ひは科學寫眞のやうなものゝ場合には10/10DINの低感度のフイルムを使用する。この反對に舞臺撮影その他光線不足の場合には21/10DINの最高感度のフイルムを使用する。但し、これらのフイルムを使用した場合に特に注意すべきことは現像に決して未熟の技巧を弄してはならないことである。さうでないと何も寫つてゐないといふやうな憐むべき結果になる。

また、最高感度のフイルムが低感度のフイルムより粒子が粗大であることはもとより明らかなことであり、感光度が高いといふことに對して拂はれねばならない代償である。若しこの粒子を特殊の微粒子現像法によつてなくなさねばならないと信ずる者があれば、その人は寧ろこのフイルムの本質的な特長卽ち最高感度を放棄することになり、最初から低感度のフイルムを使用す.ればよいわけである。高感度フイルムは大いにその特徴を發揮させ、これを適當な方法例へばブレンツカテキン一苛性ナトロンで現像すべきである。

新聞寫眞にあつては、どんなに光線の状態が惡くても兎に角その事件をフイルムの上に捉へることが肝腎で、そのネガの良し惡しなどは第二義的な問題である。しかしこの場合には有難いことにネガの技術的缺點は新聞印刷の網目が隠してくれる。吾々にもこれと同樣の逃道があつて、最高感度のフイルムを使つたものはすべて幾分ラフな印畫紙に伸し、若しまた特に大きな引伸の場合には、更に大粗面の印畫紙を使用するのがよい。但し、初心者はそのネガの良否をはつきり識別するために、つねに光澤紙に引伸してみるべきであらう。

イカ寫眞界にも達人は中々澤山あり、夫々獨得の秘法を持つてゐて、他の如何なるものよりも優れたものであることを信じて疑はない。往々彼等の必法は互ひに全然相反することがあるが、それでも彼等は各自その秘法を主張して譲らない。それも尤も無理はないことであつて、或る技術に習熟してこれをマスターしうる域に達すると色々なことが可能になるものであつて、つまり生徒が扱へば有害な方法でも先生が扱へば非常に良い効果を現はすこと.があり、山の頂上に達するにも路はいくつもあるの警へと同樣である。

しかしアマチユアはまだ手探りで山登りをするやうなものであるから色々な道を求めてはいけない。簡単で確かと決つた方法によるのが一番速かに成功しうる道である。ことに今日考へうる最も明瞭にして、最も必要な點だけに限つた方法のみを推奨するのは全くそのためであつて、この方法は今後も永くその價値を失はないものと信じる。以上により初心者にとつても必要な知識が深められゝば幸甚である。

 

日本写真界の現状 ① いま出ている写真雑誌と編集者を紹介して下さい (フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」所収)

1958年6月の写真誌概況。フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」所収の記事。昨年のアサヒカメラ(アサヒ新聞社)に続き日本カメラ(日本カメラ社)が倒れて会社清算にまでいたり、フォトテクニック誌に源流をもつフォトテクニックデジタルの休刊が発表されたいま、写真誌を振り返る手がかりとして面白いかと思うので紹介する(無署名記事により 著作権保護期間終了済)。

f:id:afcamera:20210522102528j:plain

冒頭でここに至るまでの戦前からの流れが簡単にまとめられている。アルス学校と呼ばれた一大勢力の源流で戦前の写真表現を牽引しリアリズム写真運動の拠点として50年代の前線であったCAMERA(ARS)は既に休刊(1956)している。

ja.wikipedia.org

ilovephoto.hatenablog.com

九誌とその姉妹紙を合わせての十五誌(記事末に名前だけ紹介されている三誌を加えれば十八誌)だが、大きく新聞社系とアルスから出た雑誌に大別されている。

・アサヒカメラ(大正15年4月 創刊/朝日新聞社

・サンケイカメラ(1954.6 創刊/産業経済新聞社

・カメラ毎日(1954.5 創刊/毎日新聞社

・月刊カメラ(1939.6 創刊/光画荘)※光画月刊の後裔

・カメラの友(光画荘)※月刊カメラ姉妹紙・創刊年次記載なし

・写真工業(1952.6 創刊/光画荘)※この時点で唯一のメカニズム専門誌

・8ミリ(1956.11 創刊/光画荘)

・写真サロン(1933.1 創刊/玄光社

・小型映画(1956.5 創刊/玄光社※写真サロンの僚友誌

・フォトアート(1949.5 創刊/研光社)

・特集フォトアート(1957.6 創刊/研光社)※フォトアート姉妹紙・臨時増刊、別冊より独立創刊

・日本カメラ(1950 創刊)

・8ミリシネマン(1956.12 創刊/日本カメラ社) ※日本カメラ姉妹紙・1958.3に「カメラとシネ」より改題

・フォトコンテスト(1956.9 創刊/写真文化振興会)

・Photo 35(1955.10 創刊/新日本写真会)

・カメラスクール(日本カメラ教育協会)(※名前のみ)

・カメラマン(地方紙 ※名前のみ)

・旬刊フォト(地方紙 ※名前のみ)

これまで見逃していたが、正体がよくわかっていない「カメラマン」誌が地方の機関紙的なものとして記載されていた。少なくとも全国紙の編集部に認知される存在ではあった。そしてこで紹介されている各紙のうちの数紙もこのあとほどなく休刊を迎える。

f:id:afcamera:20210522102634j:plain

ごく自然に8mmカメラ誌が写真雑誌と同カテゴリにあるとに違和感を覚える向きがあるかもしれないが、当時としてはこれは当たり前でカメラ雑誌のなかでも8mmカメラは比較的大きく扱われる。カメラ趣味と映像趣味は近いところにあった。

 この後いったん分かれていくこの層での写真と動画が再び出会うには80年代の家庭用ビデオでの試みを経て、PCとデジタルカメラの普及、最終的にはYoutubeスマホの登場を待たねばならなかった。そしていまは実情として、かえって写真が映像(ショートムービー)に飲み込まれつつある状況かもしれない。

f:id:afcamera:20210522102706j:plain

この時点での十五誌(末尾で名前だけ紹介される三紙を含めれば十八紙)のなかではほぼ末尾に位置していたフォトコンテスト誌のみがカメラ時代→フォトコンテスト(復刊)→フォトコンとして現在まで血脈を伝えている。それが2021年5月の光景である。

カメラ雑誌の"月例"写真を批判する(「フォトコンテスト」(1960年11月号),写真同人社)

f:id:afcamera:20210515165025j:plain

「フォトコンテスト」誌1960年11月号ではこの年度の”他のカメラ雑誌の”月例受賞作からフォトコンテスト誌がベストテンを選出するというなかなか挑発的!な企画が行われたのですが、その特集に際しての武烈孫(ブレッソン)氏の批評。

 いや熱い。そして、ほとんどアサヒカメラや日本カメラの休刊時に言われたようなことがこの時点で既に提起されていることに苦笑せざるを得ない。
(匿名記事にてすでに著作権の保護期間は終了しています)

先に掲載した1961年1月号の評論「六○○万人の戸惑い」とは問題関心を共有しながら論調が異なるのが興味を引くところでしょうか。

-----------------------

2 カメラ雑誌の"月例"写真を批判する

武烈孫


今年一年間の、月例写真ベスト10をえらぶという仕事がしゅったいして、アサヒカメラ以下六誌六十冊(一月号から十月号まで)の月例写真欄をまとめて見る機会にめぐまれた。めぐまれたというと、大変ありがたいようだが、実状はその反対で、かなりめいわくな気分である。そんなことは商売以外に、よほど物好きな写真狂でもなければ、やる気になるものもないだろう。

というのは、むかしはそうでなかったのである。マス・コミがまだこれほど発達せず、写真を要求しなかった時代には、カメラ雑誌の比重も、新しい人たちには想像もつかないくらい高かったし、従ってそのカメラ雑誌に占めるアマチュアの月例写真というものも、写真の流れの中心部に近い深い流れを流れていた。写真を知り、写真を語る場合には、この中心近い深い流れを知らなければ、何もいえないほどの比重を、月例写真はもっていたのである。


いまは事情が一変してしまっている。マス・コミが発達し、写真がそのほうへ吸い上げられ、人々と写真の関係は、けっして特殊なものではなくなっている。大衆を相手とする写真のない雑誌など、もはやなりたたない。写真はごく当り前の、便利で的確なコミュニケーションの道具になっている。写真の中心の流れは、カメラ雑誌から一般の雑誌へと、次第にその様相を変えたのである。

それはまた、写真のつくり手の移動をも意味している。むかしはカメラ雑誌の流れのほうが、なんといっても本流で手ごたえがあったわけである。しかし近頃では、ちょっと打ち込んだ作品なら、アマチュアでも、カメラ雑誌よりも一般雑誌のグラビアに売り込むことを考えるようになっている。そのほうが餌も豊富だし、出世も早い。なんといっても、本流に乗りたいという感情はリクツのほかなのだ。

こういう時代にも、カメラ雑誌は依然として、かなりの月例人口をかかえ、それが有力な読者対策というかたちで、入選だ、佳作だをくりかえしている。しかし、そこにはもはや写真の本流はない。いうなれば、かつて本流であったよどみがあり、それに僅かにチョロチョロと水が流れ込んでいるぐあいである。


こんにちの月例写真というものは、要するに時代を変えていくような、本流としてのエネルギーとは関係がなくなっているのである。いわばむかしは一個のエネルギーの源であり、時代をいくつか変えていった、熱い芸術的意志があったわけだ。その熱い意志をめぐって、アマチュアと編集者が四つになって創造の意志をたかめ合った。しかし本流を他にうばわれたこんにちのカメラ雑誌は、そうした創造の意志のかわりに、保身の意志をつよめないわけにいかなくなっている。

この点、カメラ雑誌は、まことにブザマな時代離れを演じながら、なお命脈をたもつために、熱い芸術的意志のない月例制度に若干の保償をえているかたちである。だからこんにちの月例写真というものは、積極的な写真の意志から維持されているものとは程とおく、ただただ、カメラ雑誌の消極的な保身のために――もっと端的にいえば、カメラ雑誌社の何人かが、食いっぱぐれのないために、読者のご機嫌をとりむすぶてだてに維持されている、といっても過言ではないくらいである。

皮肉な人は、これをサロニズムの偉大な遺産などと呼んでいる。たしかに月例写真というものは、サロニズム華かなりしころに発達して、サロンにおける現物の陳列を印刷化したところに、当時の大きな意義があった。部落の交流が活発になり、小さくヒネかけた写真芸術が、とにもかくにも拡大した視野の中から創造のエネルギーをうみ出していったのである。そうした遺産があればこそ、まだまだこんにちの月例も、アマチュアの一部には、純粋な創作活動のハケ口と認められ、尊重もされている。だがそれすら、こんにちの写真事情から考えると、いたましいサロニズムの後遺症のような感じがするのである。


こうした月例写真のこんにち的事情を頭にして、各誌一年分のそれをひとまとめに見るという仕事は、なかなかつらいとナットクしてもらえよう。しかもただ見るだけではなく、何百のそれらの作品から石をのぞき、玉をえらぶという段では、何がいったい石であり、玉であるのか、わかりようがない。つまりこんにちの月例写真には、その写真をささえる時代の熱い意志が、いまいったような意味で失われているからだ。仮りに月例写真を芸術としてみよう。と、芸術の本性は不変であるかもしれないが、芸術の表現は、時代に動的に反応しなければウソである。しかし、時代に動的に反応していく構造が、はたして月例写真のむかしながらの形のなかにあるだろうか。かなの疑問である。ということは、カメラ雑誌そのものが、時代に動的に反応していく構造にあるだろうか、という疑問に通じた問題でもあるからである。

写真に寄せられた時代の熱い意志というものは、とうのむかし、カメラ雑誌から逃げ出してマス・コミ一般の手に移っている。とすれば、カメラ雑誌は真剣にマス・コミの写真を超えた、"明日"の写真を探求しなければならないはずである。が、現状は片手に旧きよき時代の写真をにぎりつづけ、片手にせっせとマス・コミの落穂を拾って時代に合わせたつもりでいる。ススだらけの農家に電気洗濯機があるようなチグハグな感じである。このチグハグな"現実"を月例にも要求して、雑誌じたいが何がナニやらわからなくなっている。電気洗濯機を買うよりも、まずススだらけの家を建て直そうという熱い意志がないのである。呼びかけようという気がないのだ。

あるカメラ雑誌の編集長は、筆者にむかってこう言ったものである。「カメラ雑誌というやつは、婦人雑誌と同じでね――なるほど、どれもみな似たり寄ったりで、どれを買ったっていいようなものである。そこに熱い意志というものがあるだろうか。はたしてアマチュアはそれで満足しているのだろうか。そう思いたくはないのである。が、また別のある編集長はこう言う。「ウチは、"家の光"でね」

――だから、そんな熱い意志というもののない、たんに雑誌社員が食いっぱぐれないためにせっせとサービスするだけの、それほど値打ちの下がってしまった月例写真というものに、唯一の発表の場をもとめざるをえないこんにちのアマチュア写真から、すばらしい玉がうまれ出るなどということは、まずオトギバナシと思っていいのではないかという気がする。アマチュアに対しては、まことにいたましい気がするのである。しらずしらずに、アマチュアもまた、それが慣習であるように、好んでその空気に埋没しているのである。

そのいい例は、写真欄の全体から割り出せるのである。

たとえば、そうしたカメラ雑誌の表座敷に陳列された写真であるが、これがそもそも百貨の見本市みた(注:原文ママ)ようで、ヌードやグラマーのパートがあり、三池争議や安保斗争のパートがあり、俳句の一つもひねりたくなるような山水のパートがあり、精薄児(注:原文ママ)の絵みたいな造形のパートがあり、といったふうに到れり尽せりで、編集者の無知を証するのか、あるいは趣味の広さをあらわすのか読者にはわからないから、何んでも写して応募してみようということになって、わき座敷の月例欄までがそのヘタな縮図になる以外にない。かくて百ページに余る写真欄は、表座敷からわき座敷まで、いったい何のために印刷されなければならないのか?といったつまらない質問にも返答のできないナンセンスな文化をさらすだけで、芸術的にも、社会的にもまるっきりプラスにならない映像のハキダメに、プロもアマチュアも、せっせと写真を投げ捨てるだけである。

これでは写真が泣くだろう。だから、応募をやめろといってもやめられないアマチュアは、どうせハキダメに捨てる写真だから、せめて"捨て賃"を高くとろうと現実的になるしかない。それに対して、カメラ雑誌の"捨て賃"は余りにも安いのが、また困った問題である。

経済の二重構造ということが、最近よくいわれる。だが二重構造は、大企業と中小企業の関係のような経済のしくみにばかりあるわけではない。身近かな問題として、カメラ雑誌をささえるプロとアマチュアの関係にも、それがあらわれている。アマチュアは、何十年写真を発表しても、カメラ雑誌の二重構造のしくみの中ではアマチュアである。かれらは、この二重構造の制約の中にあえぐだけで、その写真の生命が終ってしまう。そんなところにも、アマチュアの創造のエネルギーを小さくしてしまう原因があるわけだ。


ここらで結論をのべなくてはならないが、つまり、そういう時代の熱い意志を。失った、消極的な商業主義になり下がったカメラ雑誌に、教育され、同化され、埋没していくのがアマチュアの能ではないということである。アマチュアは、それがすべての人ではないにしても、能ある人はもっと自分を大切にしなければならない。生きるために「へ」(注:原文傍点)もひれないでいるような編集者や、現代においてろくな才能もない写真家の審査に呼吸を合わせキンタマまで抜かれてしまうようなアマチュアではどうにもならない。どこまでが商業主義で、どこまでが後退主義か、見きわめのついた人はさっさとやめるベきである。時代に対する熱い意志のない写真を何十万生産しても、それはまったくイミのないはなしである。六十冊のカメラ雑誌をかなり丹念に見たところでは、まずそういった感じが第一に頭に来た。ちょっと悲しい気持である。今年度の"月例スター"に関するかぎり、ルビーのようなあやしい光りを感じさせる作家はいなかった。月例作家は年々小粒でシロウトくさくなっていくのである。このままでいけば、ついには"さくらコンテスト"のような、常識的な人生パターンや、事物の表面的な解釈でしかものの言えないアマチュアのために、輝かしかるべきアマチュア写真は全面的に押し流されていくような気がする。

月例写真は、たとえそれが雑誌の商業政策から出たことであっても、段階的な部門が幾重にもあることだし、ある部門では大いにコマーシャル・ベースを行くのもよいが、ある部門では、やはり熱い意志をもった、確信にみちた写真芸術を打ち立ててもらいたい、すくなくともその方向から一歩も外れない姿勢だけでも示しつづけてもらいたいと思う。

月例がパッとしないのも、年々小粒でシロウトくさくなっていくのも、結局するに社会的にも芸術的にも、時代と密着して行けないカメラ雑誌とアマチュアの乖離にあると思われる。アマチュアの創造的エネルギーなどという殺し文句が、批評家の口から出たのはついこの間のことだった。にもかかわらずアマチュアに潜在する創造的エネルギーの触発される面が、いまのカメラ雑誌にはほんとうに少いのである。

(「フォトコンテスト」(1960年11月号),写真同人社)

f:id:afcamera:20210515165139j:plain

f:id:afcamera:20210515165152j:plain

 

六○○万人の戸惑い アマチュアの"定義"をめぐる論争 (「フォトコンテスト」(1961年1月号),写真同人社)

f:id:afcamera:20210515142011j:plain

「フォトコンテスト」誌(1961年1月号)所収の評論が興味深かったのでテキストを起こしました。(匿名記事にてすでに著作権の保護期間は終了しています

主要なカメラ誌で一瞬起こりかけた名取洋之助とそのほかの写真評論家、ハイアマチュアの間の議論ですが、それがそもそも既に分厚く存在したアマチュア層からはどう見えたのか。

「どうもこういう言論は、国民国民とわめきながらそれが一部の国民しか指していない政治論者のロぶりと同様、アマチュア、アマチュアと唱えながら、六〇〇万人の存在とは縁のない、ごく一部のプロづいたアマチュアしか味方にしていない論議の印象をうけるのである。つまりこういう批評家にとって、六〇〇万アマチュア路傍の石ころでしかないらしい」

フォトコンテスト誌は元々ペトリとの関係が深い雑誌だったらしく、初期はペトリの友の会(ペトリクラブ)の会報という側面ももっていたらしい。

w.atwiki.jp

のちに刊行号数を引き継いで写真批評主体の「カメラ時代」誌に衣替えするものの、この路線は一年で止み、この辺りの経緯を正しく把握はしていないが再び「フォトコンテスト」誌が創刊する。その後は地方のアマチュアに焦点を据え「旬刊」「月刊」など刊行形態や版元、誌名を変えながら、現在の「フォトコン」誌(日本写真企画)へ続いている。

--------------------

昨日/今日/明日

甘茶亭の写真界時評

六○○万人の戸惑い

▼アマチュアの"定義"をめぐる論争

昭和三十一年に創刊した本誌は、この新年で足掛け六年を生きぬいてきたことになる。当時は、写真人口四〇〇万などといわれ、その爆発的な増加が、何かといえば取り沙汰されるような状態であって、日本のカメラ産業が繁栄を謳歌していた時代である。

昭和三十二年の本誌には、表紙の題字上に「四〇〇万人のカメラ雑誌」というキャッチ・フレーズが刷り込まれている。写真雑誌界のニュー・フロンティアをめざした気おいといえば愛きょうもあるが、とにかく「四〇〇万人」は写真界の合い言葉の観があったことは事実である。

それがいまでは、六五〇万とか、七〇〇万とかいわれるように、池田内閣の所得政策より一足先にカメラ人口は倍増をとげている。カメラのような耐久消費材が、国民のあいだに年毎にふえていくのは当たりまえの話だが、そのめざましい増加ぶりは、カメラ雑誌が売れて笑いが止まらないだろうというようなシロウト筋の見方になって、われわれ出版にたずさわるものをニガ笑いさせている。

■□

同じことは、写真機や感材のメーカー筋にもいえるようだ。さぞ景気がいいでしょうねえと、いわれるということである。が、このほうは、これから厳しくなる貿易自由化の問題をかかえて、前途に楽観はゆるされない、というところらしいのである。その理由の一つとして、われわれ日本人の"舶来崇拝"があげられている。貿易の自由化によって、ドイツ製その他の外国カメラが日本にどしどし入ってくると、こちらがどしどし出て行く以上に喰われるのではないか、という心配があることである。フィルムなんかでも、現在はまったく富士、さくらの独占企業になっているわけだが、今後はコダックやイルフォードなんかがじゃんじゃん売り込んでくることが予想される。写真界の地図がかなり変わってくるのではないかと、早くもその対策に額を集めているのが三十六年の年明けの表情であるようだ。

■□

しかし一方、写真ジャーナリズムのほうでは、貿易の自由化なんていう政治には影響されないが、別の思想という政治には、これから大いに揺れ動きそうな様相を見せている。そのいちじるしい事例は、去年の安保騒動を頂点とした報道写真家のキャンペーンであり、一部写真評論家のオピニオン・リーターぶりである。

カメラ芸術八月号の論壇で、重森弘海氏は「デモに参加した写真家たち」という一文によって、デモに参加しない日和見写真家や無関心評論家を攻撃し、デモに参加せざる者は写真家に非ず、とでもとれそうな主張をかかげている。この意見は、無事泰平の写真界にバクダンを投げたようなものなのだが、やはり全体として無事泰平のムードの濃い写真界には、さっぱり波紋が起こらなかった。しかし写真界の基調がやはり無事泰平であるだけに、まかり間違うとそういった主張は、言論ファッショめいた印象を与える心配もある。泰平のムードにいらだつのか、この人の言動はときどきハネ上る傾向があるようだ。

では、それほど無事泰平の基調のつよい写真界が、なぜ思想という政治に揺れ動きそうな様相があるのかというと、いまの写真ジャーナリズムの表層が、どっちかというと、まん中から左寄りの球をストライクにとる傾向がつよいからである。前記重森弘淹氏や、伊藤知巳氏、渡辺勉氏などがそのオピニオン・リーダー(理論的指導者)の代表で、この人たちが写真ジャーナリズムで最も活躍し、いわばまん中から左寄りの球でないとストライクにとらない。写真でも、土門拳をはじめ、田村茂、浜谷浩、長野重一東松照明、藤川清といった第一線のスターが、いずれも左寄りの直球をビシビシほうっているわけだ。

カメラ雑誌は、これらの動きを最もつよく押し出して、ジャーナリズムの面目を昂揚しつつある。だからそういった時点下に、右寄りの編集者兼評論家兼写真家の名取洋之助氏が発表した、プロとアマチュアの公式的な分離論が袋叩きにあったのは当然ともいえたのである。

この時ならぬ波紋は、去年の写真界のトウ尾を飾るにふさわしい賑やかさで、いろいろの雑誌にとりあげられ、ほとんど一発で名取論は潰滅のうき目を見てしまった。読者の中にもそれらを読まれた方があると思うが、まだ一つ、大きな問題が残っていると思うので、改めてここにとりあげてみよう。あなたに関係のある問題である。

名取氏の論というのは、カメラ芸術に連載された「欧州パトロール」という記事の最終回で「日本の写真界を顧みて」と題する洋行帰りとしてのエッセイの一部分である。その論旨を要約すると、
「日本の写真人口は多く、カメラも立派だが、写真を生かして使っているかどうかということになると、いささか首をかしげないわけにゆかぬ。……本来実用的なものの実用性を忘れ、趣味に走るのは日本人の特性だ。しかし、これがアマチュアだけのことなら大した問題ではない。ところが、問題は趣味尊重のアマチュア精神が、本来実用の写真をつくるベきプロの人たちにも浸透しているところにある。その結果、商売道具であるべき技法上の秘密を、カメラ雑誌などに発表したり、プロとして発表する権利のない失敗作や、試作品を公開したりする。プロ作家をしてそういうあるまじき逸脱をさせるのは、ひとつには趣味性と実利性が奇妙に混在したカメラ雑誌という日本独特の雑誌のあり方の罪でもある。また、プロ、アマの混乱を指摘すべき批評家までがまきこまれて混乱はさらにひどくなる。批評家は、アマ、プロの区別をせずに、同じようにリアリズムを求めたりし、"社会的関心"を高めることを要求する。カメラ雑誌という非実用(趣味)の場に社会的テーマの写真がはんらんし、プロまでがカメラ雑誌を本当の仕事の場だと錯覚する。――結局、日本の写真界のゆがみは、写真の実用性を重視しないところからきている。実用の写真と趣味の写真、プロとアマとはっきり区別するところにしかそのゆがみを正す道はない……」というのである。

■□

これに対して、反論の一番手は渡辺勉氏によってあげられた。(カメラ芸術十月号)
「プロとアマの相違を、失敗が許される許されないなどという基準に求めるのは、一見もっともらしいが危険なことでもある」ばかりでなく「実用性というスローガンで写真のあらゆる問題を割り切ったり、写真家の態度や表現への意欲に対してさえ実用性を要求する氏の意見は俗論というほかはない。こういうことをしていたら、写真家はマスコミの中に陥没して自己喪失の状態にもなりかねないし、写真家に表現の伸展と新たな創造を期待することもむずかしくなる」というのが、その要旨である。

また、二番手の重森弘淹氏はこう反論する。(フォトアート十一月号)
「プロとアマの同存状態は外国にはないと名取氏はいい、プロはプロ、アマはアマともう一度別れて出直すことが必要だと説く。……しかし次ぎのような事実はどうか。たとえ名取氏の指摘するような写真雑誌における同存状態が日本写真界独特の現象だとしても、戦後のプロとアマチュアの交流は、事実上アマチュアの写真意識を変革し、向上させたではないか。あるいはこういうかたちにおける交流が、いわゆる写真ブームをつくり上げる大きな原因ともなっている。しかも、こうした広汎なアマチュア大衆の支持によって、プロ作家もまた成長し、体質を変えていったといえないか。
 アマチュア大衆を母体にしたリアリズム運動などというようなものが、果たして外国にあっただろうか。あまつさえ、名取氏のいう実用主義的な写真の方向には程遠いものであったかもしれないが、すくなくもサロニズムから脱却し、たんなる趣味写真に終始するようなアマチュアイズムから自らを解放したのである」

三番手の吉村伸哉氏は、こう解説する。(カメラ芸術十一月号)
「写真のアマチュアにむかって、"君らは趣味の写真をとっているのであって、決して実用の写真をとっているのではないのだよ"といったとしたら、おそらくたいがいの人は目を丸くするだろう。名取氏の意見にそのコトバ通りに従わなければいけないとしたら、われわれは日常の写真を、"実用性"というカテゴリーにいささかも抵触することがないよう、おそるおそる"趣味的"にとらねばならないことになりそうだ。また、どんなときでも、グラフジャーナリズムに実利的な商品として売れるような可能性がないように、注意してシャッターを切らねばいけないということにもなるかもしれない」
と、アマチュアの側に立って、チクリと皮肉をいうのである。

三者三様、それぞれ反論のもっていきかたはちがっているけれども、根本は同じで、要するに名取氏の乱暴な二元論に反対し、写真の創造性の追求にプロ、アマの区別などあるわけはなく、趣味とか実用とかいうように、写真が単純に割り切れるものではない、といっているわけである。

考えてみると、ずいぶんバカバカしい論争で、中学生の討論会みたいな材料でしかないわけだが、六〇〇万(少く見積って)のわが党の士は、これをどんなふうに理解されるだろう。

■□

関係があるといったのは、まさしくそこの点なのであり、どうもこういう言論は、国民国民とわめきながらそれが一部の国民しか指していない政治論者のロぶりと同様、アマチュア、アマチュアと唱えながら、六〇〇万人の存在とは縁のない、ごく一部のプロづいたアマチュアしか味方にしていない論議の印象をうけるのである。つまりこういう批評家にとって、六〇〇万アマチュア路傍の石ころでしかないらしい。

たとえば、重森氏のいうリアリズム運動もそれほどのものではなかったのだし、それによって「サロニズムから脱却し、たんなる趣味写真に終始するようなアマチュアイズムから自らを解放した」アマチュア写真などというものは、プロづいたごく一部の"月例作家"をのぞいてほかにはない。批評家がプロ、アマの区別をしないという名取氏の非難は、その意味で当たらずといえども遠くないのであるが、要するにこの論議は、写真というものを、ものの創造の次元にまで煮つめて考える人たちと、そうでない、たんなるカメラ万年筆論者との意見のくいちがいの上に咲いたアダ花のようなものであったわけだが、わが党六〇〇万の士にとって、いずれを是とするかは、また問題のあるところだろう。

というのは、本誌の読者をはじめとする完全に大多数のアマチュアは、プロが屁をひろうがどうしようが、そんなことには一向頓着ない"趣味"の写真家である。しかも十分に"実用"の写真を心得て撮っている専門家でもある。分けろという名取氏の意見にも合わないし、プロもアマも本質は同じだという渡辺氏や重森氏の主張にもそわない。「私は誰でしょう」と質問せざるをえないのである。

そして、こういう大多数の"例外"の立ち場からすると、われわれの存在を置き忘れて、アマチュア、アマチュアと、あまり勝手な風を吹かせてもらいますまい、といいたくもなろうというものである。正直にいって、そんな空論を書いて一金のもらえる批評家の奇妙な、"実用性"、こそ問題であり、そうした写真ジャーナリズムが左寄りの球をストライクにとっても、とらなくても、何ンの関係もないのがアマチュアというものではないか?


(「フォトコンテスト」(1961年1月号),写真同人社)

f:id:afcamera:20210515141917j:plain

f:id:afcamera:20210515141931j:plain

 

東郷堂『ナイス号 撮影法』

f:id:afcamera:20210402142636j:plain

f:id:afcamera:20210402142659j:plain

東郷堂のNice号の撮影マニュアルです。Nice号については以前簡易な報告をしていますが、今回入手した個体にはこれまで見たことのない撮影法の冊子が入っていました。東郷堂と暗室不要・白昼現像フィルム使用カメラについては以下の記事でまとめているのでご覧ください。

photoworks.hatenablog.com

そちらでも1934年の発売ということにしていますが、「だいたいその頃」とご理解いただければ。ただでさえ軽く見られる『円カメラ』の系統で、さらに最廉価帯の入門機でありながら、なかなかのモダンなデザインで仕上げてあることに驚かされます。

このあと日本は急速に第二次世界大戦と太平洋戦争に突き進んでいき、出版物をはじめ各種の製品が戦前の水準を取り戻すのには戦後かなりの時間がかかってからになりますが、かえって戦中、戦後のイメージが強すぎて大正末~昭和初期のイメージが正確に伝わらない状況になっているのでは、というのは懸念するところであります。