書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

海外写真界の現状 ①(フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」(1958.6)所収)

先だってから紹介しているフォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」(1958.6)所収の記事で「写真界知識編」コーナーの一つ無署名記事により  著作権保護期間は満了

「海外の有名写真家を紹介して欲しい」という質問に対する回答という設定で編集されたコーナーで、1958年時点で10ヶ国の180人にも及ぶ写真家を紹介している(名前だけならさらに20人以上があげられている)。もちろん、「当時の日本写真界からみた海外写真界」ということには留意が必要だ。

10ヶ国にはそれぞれごく短い概況がつくのが当時の理解としても興味深い。なお、中国とソビエトの写真家は含まれないが、大国ながら資料がなく紹介できないことを断っている(ソ連との国交回復は1956年末。中国との国交正常化は1972年を待たねばならない)。しかしながら中南米・東欧・中東・アジア・アフリカには言及がないことは注意しておきたい。

おそらく収録された写真家と解説のある程度は執筆者が重なっていると思われる平凡社の『世界写真家全集』(1956~59)に典拠があるのではないだろうかと考えているが、そこからの抜き出し方に編集の意図が見えてくるだろうからいずれ確認してみたい。

さまざまな限界はあるにしろ、これだけ世界が狭くなったという現代に、それぞれの国の動きをフォローし興味深い写真家を紹介できるだけの編集部・ライターが、休刊した写真誌にどれだけいたろうか。

もっとも、この増刊を発行したフォトアート誌も長く続いたとはいえ80年代は迎えられなかったのだから、そのような海外の動きが読者にどれだけ同時代を共有するものとして届いていたのか、届いていたとしてもそれはいつごろまでかというのは別に問わないといけない話ではあるのだろう。

なお、紹介されている各国別の写真家の数を紹介順に載せておく。アメリカが圧倒的なのは当然で半分以上を占めるが、五十音別でも紹介作家数でもないにも係わらず、ドイツを冒頭で紹介し北欧から最後アメリカに至る並びには、編集者の思いのようなものが透けて見えるようにも思われる。

・ドイツ(26名)
 うち女性1名。名前だけならあと8名紹介されている。
ノルウェー(2名)
・オランダ(5名)
 うち女性1名。名前だけならあと4名紹介されている。
スウェーデン(2名)
 名前だけならあと2名紹介されている。
・イギリス(8名)
 名前だけならあと8名紹介されている。
オーストリア(2名)
 うち女性1名。
・スイス(8名)
・フランス(24名)
 うち女性5名
・イタリア(7名)
アメリ(96名)
 うち女性15名

女性をカウントしているのは個人的な関心による。人名だけの紹介などでは取りこぼしがあるかもしれない。

また、この180名のうちには数名の故人が含まれている。

・ユージェーヌ・アッジェ(ウジェーヌ・アジェ 仏 1927没)
・アルフレッド・スティーグリッツ(米 1946)
パウル・ウォルフ(パウル・ヴォルフ 独 1951没)
・ウエルナー・ビショーフ(瑞 1953)
ロバート・キャパ(米 1954没)
・イーラ(米 1955)
・デーヴィッド・シーモア(米 1956)

そも戦前に逝去した作家でここにあげられているのはアッジェ(アジェ)しかいない。特別な扱われ方をしているわけではないが、特別視はされていたのだといえるだろう。

特集の同時代性がよく現れているが、アウシュビッツで虐殺されたザロモンはおらず、またムンカッチ(ムンカーチ)も見当たらないが、レンガーパッチュとウォルフ(ヴォルフ)は入っているあたりに過渡期の興味深さがある。なお、このあと急速に忘れられていくのはザロモン、ムンカッチではなくウォルフである。

元の雑誌の紙もよくなく紙焼けが激しい。また印刷の質も良くないため、文字を起こすにあたっては当然読み間違いもあるものと思われるので、利用する際はスキャン画像中の原語表記を確認していただきたい。

今後『世界の写真家101』(1997,新書館)所収の作家との比較や原語表記の追加、音写の修正、プロフィールの確認等もしていきたいが今後の課題としておく。(2021/05/26)


海外写真界の現状

外国の有名な写真家を各国別にして紹介ねがいます

日本は世界の中でも、有数の写真国であって、したがって写真家のレベルも、けっして低いものではありません。

しかし日本では写真家の発表の場、つまりマーケットが、外国にくらべて狭く、そういったことから、写真家の数は多い方だとは申せません。もっともこの比較はアメリカとかフランスとかにくらべた場合であって、例えばスウェーデンやノールウェーあたりにくらべれば、けっして遜色がないといえます。

x x x

海外の写真界で最も広大なスケールをもつ国は、いうまでもなくアメリカであって、それだけにおびただしくすぐれた写真家がおり、世界を舞台として活躍に活躍をつづけております、ついで芸術の国、フランスでありますが、フランスはいわばヨーロッパの芸術の粋を集めて、秀れた写真家を輩出しております。それにイギリスは、写真史上からいっても重要な写真国で、この三国は特に顕著な写真王国を形成しています。

ここではこういった各国の著名な写真家を網羅したものなのですが、ソビエトや中国など大国でありながら、その詳細については資料不足のため発表できなかったものもありますからその点はご了解ください。

x x x

さて海外の写真家の団体ですが、現在最も活発な活動をしているのは「マグナム」(MAGNUM)であります。団体というよりは写真通信社でありますから、組織というほうが正しいかも知れませんが、ともかく各国の優秀な写真家がこの組織のメンバーで、創立は一九三六年ですから、もうかれこれ二十余年が経過しています。現在までに有名なロバート・キャパとウェルナー・ビショーフ、それにデーヴィット・シーモアの偉大な写真家を失ったことは記憶に新しいものですが、ともかく「マグナム」のスタッフはこういった生死の間で、きびしい報道写真を撮りつづけています。

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つぎに特筆しなければならないのは「ライフ」のスタッフカメラマンです。このグラフ誌の擁する写真家のすばらしさはもう説明するまでもなく、一九五八年四月に日本でも開催された「ライフ傑作展」を見て、いまさらながらその卓越したカメラワークに驚きました。


ドイツ

ドイツにはこの他にシュトレロウやシャーゲスハイマー、トルエール、ゼーベンス、フレーター、ウィントシュトッサー、エンゲル、ラチなどかなりベテランの写真家がいる。

・ エーリッヒ・アンゲネント
・ ハーバート・バイヤー
・ フリッツ・ブリル
・ ジゼーラ・ビューズ
・ ハンス・コルデス
ワルター・ラウチンバッハー
・ ハイン・エンゲルスキルヘン
ジークフリート・エンケルマン
パウル・フリース

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・ マックス・シェーラー
・ ハインツ・ハーエク・ハルケ
・ ケル・ヘルマ・ピーターセン
・ ペーター・ケートマン
・ オスカー・クライゼル
・ ベルント・ローゼ
・ モホリー・ナギ
・ ハインツ・ミュルラー・ブルンケ
アルバート・レンガー・パッチェ
・ クルト・レーリッヒ

・ フェー・シュラッパー
・ トーニ・シュナイダース
・ オット・シュタイナート
・ ウォルフ・シュトラッヘ
・ アルフレッド・トリチュラー
・ フアルトウル・フォン・シュウエルフューラー
パウル・ウォルフ


ノールウェー

北欧の中ではスウェーデンやオランダほど写真が盛んではないが、これは主として歴史上にもとづくものかどうかは別として、写真家の少ないのはいささか淋しい感じがする。

・ ペール・クリストフェルセン
・ ロルフ・モルテンセン

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オランダ

写真の歴史としてはけっして古い方ではないが、北欧の中ではオランダはスウェーデンと同様程度の発達ぶりである。オス、オールトハイス、イエッセ、コッペンスも有名。

・ マリア・オーストリア
・ ヘンク・ヨンケル
・ アールト・クライン
セミ・ブレッセル
・ ケイス・スヘイレル


スウェーデン

オランダと共に歩んできたスウェーデンではある。ユーハンソン、マルムベイの二人も優秀な写真家として知られている。

・ ロルフ・ウィンキスト
・ グスタヴ・ハンソン


イギリス

アウアーバッハ、カッシュ、ハウィンデン、サシッキー、ホフキンス、ハットン、メーン、マックベイン、などがこの他の写真家として知られている。

・ バロン
セシル・ビートン
・ ブライアン・ブレイク
・ ビル・ブラント
・ バート・ハーデイ
・ ホッペ
・ アドルフ・モラート
ジョージ・ロジャー


オーストリア

オーストリアの写真は一八三九年にドイツから入ってきたといわれている。左の二人の写真家以外に、エルンスト・ハースに多大の影響をうけているといわれている。

・ エーリッヒ・レッシング

・ インゲ・モラート

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スイス

アメリカやフランス、またイギリスに比肩し得るほどの盛況ぶりをもつのがスイス写真界ではあるが、特に素晴らしい写真家を輩出している。

・ ウエルナー・ビショーフ
ロバート・フランク
・ ルネ・グレブリ
・ エルンスト・ハース
・ ユルク・クラーゲス
・ ペーター・メッシュリン
・ ゴッタルト・シュー
・ クリスチャン・シュタウブ


フランス

芸術国フランスの写真は、文字どおり世界でも卓越したものである。ここにあげきれない写真家も多数あって残念ながら割合した。

・ ユージェーヌ・アッジェ
・ イジス・ビデルマナス
エドゥアール・ブーバ
ブラッサイ
アンリ・カルティエ・ブレッソン
・ ジャン・フィリップ・シャルボニエ
・ リューバン・ド・レイ
・ ジャン・ジャック・デケール
・ ジャン・デュゼード

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ロベール・ドアノー
・ ノラ・デューマ
・ ルネ・ジャック
・ エルジー・ランドー
・ テレーズ・ル・ブラ
・ セルジュ・リド
・ ウィリアム・メーワルド
マン・レイ
・ マルク・リブー
・ ウィリー・ロニ

・ エマニュエル・スーゼズ
・ モーリス・タバール
アンドレ・テヴネ
・ アグネス・ヴァルダ
・ サビーヌ・ウェイヌ


イタリア

イタリア写真界の隆盛ぶりは主として戦後のことである。戦前においては専ら絵画の傾向を帯びたサロン写真であったが、現在の写真はもっと飛躍的な発展を示している。

・ マリア・デ・ビアージ
・ ピエロ・ディ・ブラージ
ジーノ・ボロニーニ
・ マリオ・フィナッツイ

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・ フェデリコ・ガローラ
・ アリーゴ・オルシ
・ フルヴィオ・ロイテル


アメリ

何といっても大国である。アメリカのジャーナリズムは最もスケールが大きい。したがって写真家の檜舞台ともいうべきそのマーケットも著しく大きい。写真家の秀才も他を圧倒している。

・ ベレニース・アボット
・ アンセル・アタムス(注 アンセル・アダムスの誤標記)
・ リチャード・アヴェドン
・ ルース・バーナード
・ アーウイン・ブルーメンフェルド
・ マーガレット・バークホワイト

・ ウィーン・バロック
・ ジェームス・バーク
・ コーネル・キャパ
ロバート・キャパ
エドワード・クラーク
・ ラリー・コルウエル
・ ジェリー・クック
・ ラルフ・クレーン
・ イモージェン・カニンハム
アンドレ・ド・ディーンズ

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・ ルーミス・ディーン
・ マックス・デスフォー
・ ロバート・ディスレリ
・ ジョン・ドミニス
・ ハロールド・イー・エッジャートン
・ アルフレッド・アイゼンステット
・ エリオット・エリソフォン
・ エリカ
エリオット・アーウィット
・ ルイス・フォーラー

・ ナット・ファイン
アンドレアス・ファイニンガー
アルバート・フェン
・ トウルード・フライシュマン
・ バートン・グリン
・ フリッツ・ゴロ
・ アラン・グラント
・ ミルトン・グリーン
・ モリス・ジャッフ
・ サンフォード・ロス

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・ フィリップ・ハルスマン
・ フリッツ・ヘンレ
・ ターナ・ホーバン
・ ジョージ・ホイニンゲン・ヒューネ
・ エール・ジョエル
・ ハリー・ケー・シゲタ
・ コンスェーロ・カネーガ
・ ユーサフ・カーシュ
・ マーク・カフマン
アンドレ・ケルテス

・ ドミトリ・ケスル
・ ウォーレス・カークランド
・ ドロシー・ラング
・ リサ・ラーセン
・ ニーナ・リーン
・ トーマス・マッカヴォイ
・ レオナード・マッコム
・ フランシス・ミラー
・ ウェーン・ミラー
・ リゼット・モデル

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・ バーバラ・モーガン
・ ラルフ・モース
カール・マイダンス
・ アリク・ネーボ
・ アーノルド・ニューマン
・ ルース・オーキン
・ ホーマ・ページ
ゴードン・パークス
・ アーヴィング・ペン
・ ナット・ファルブマン

・ ジョン・ローリングス
・ ハル・ライフ
・ アーサー・ロスタイン
・ マイケル・ルージエ
・ ウォルター・サンダース
・ フランク・シャーシェル
・ ジョー・ジャーセル
・ ポール・シュッアー
・ デーヴィッド・シーモア
・ ジョージ・シルク

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ユージン・スミス
・ ハワード・ソシュレク
・ ピーター・スタックボール
エドワード・スタイケン
・ デニス・ストック
・ ポール・ストランド
スザンヌ・サース
・ ジョン・ヴァション
・ ウィリアム・ヴァンディヴァート

・ グレイ・ヴィレット
・ ロバート・ケリー
・ ハンク・ウォーカー
・ ドーディ・ウォーレン
・ トッド・ウェッブ
・ ウィージー
・ ブレッド・ウェストン
エドワード・ウエストン
・ ジェームス・ウィットモアー
・ イーラ

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AERA.dot/『アサヒカメラの90年』 勝手リンク集

AERA.dotの連載「アサヒカメラの90年」(鳥原学 全24回  ※元はアサヒカメラ誌上での連載)についてもまとまった目次がなく、また設定されているタグが機能しない(!)という状況で、検索するにもこの記事の存在を知らなければたどり着けないというというありさまなので、まずは自分の為に勝手リンク集を作りました。

これらの記事もいつまで維持されるのかという感じではあり、またリンク先が変更されればそれまでですが、こういう記事がそこにあったという情報があれば将来的にWebArchiveあたりからもたどれるでしょうから痕跡を残しておくことにします。


[連載]アサヒカメラの90年 第1回 (2016/03/03 11:00)

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[連載]アサヒカメラの90年 第2回 (2016/03/09 11:00)

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[連載]アサヒカメラの90年 第3回 (2016/03/15 12:00)

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[連載]アサヒカメラの90年 第4回 (2016/04/19 11:00)

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[連載]アサヒカメラの90年 第5回 (2016/05/19 17:37) アサヒカメラ

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[連載]アサヒカメラの90年 第6回 (2016/06/03 16:05)

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[連載]アサヒカメラの90年 第7回 (2016/06/21 10:52)

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[連載]アサヒカメラの90年 第8回 (2016/07/20 11:55)

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[連載]アサヒカメラの90年 第9回 (2016/08/22 16:40)

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[連載]アサヒカメラの90年 第10回 (2016/09/21 17:05)

dot.asahi.com

 


[連載]アサヒカメラの90年 第11回 (2016/10/20 10:14)

dot.asahi.com

[連載]アサヒカメラの90年 第12回 (2016/11/25 14:55)

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[連載]アサヒカメラの90年 第13回 (2017/01/17 13:24)

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[連載]アサヒカメラの90年 第14回 (2017/01/22 13:24)

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[連載]アサヒカメラの90年 第15回 (2017/02/22 14:44)

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[連載]アサヒカメラの90年 第16回 (2017/03/21 13:02)

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[連載]アサヒカメラの90年 第17回 (2017/04/24 10:36)

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[連載]アサヒカメラの90年 第18回

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[連載]アサヒカメラの90年 第19回 (2017/06/26 11:32)

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[連載]アサヒカメラの90年 第20回 (2017/07/27 12:20)

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[連載]アサヒカメラの90年 第21回 (2017/08/25 11:11)

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[連載]アサヒカメラの90年 第22回 (2017/10/25 12:42)

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[連載]アサヒカメラの90年 第23回 (2017/10/25 15:34)

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[連載]アサヒカメラの90年 第24回 (2017/11/17 11:44)

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(URL一覧)

[連載]アサヒカメラの90年 第1回 (2016/03/03 11:00)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016051700152.html

[連載]アサヒカメラの90年 第2回 (2016/03/09 11:00)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016051800223.html

[連載]アサヒカメラの90年 第3回 (2016/03/15 12:00)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016051800226.html

[連載]アサヒカメラの90年 第4回 (2016/04/19 11:00)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016051900163.html

[連載]アサヒカメラの90年 第5回 (2016/05/19 17:37) アサヒカメラ
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016051900174.html


[連載]アサヒカメラの90年 第6回 (2016/06/03 16:05)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016060300220.html

[連載]アサヒカメラの90年 第7回 (2016/06/21 10:52)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016062000176.html

[連載]アサヒカメラの90年 第8回 (2016/07/20 11:55)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016072000076.html

[連載]アサヒカメラの90年 第9回 (2016/08/22 16:40)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016082200191.html

[連載]アサヒカメラの90年 第10回 (2016/09/21 17:05)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016092100244.html


[連載]アサヒカメラの90年 第11回 (2016/10/20 10:14)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016102000034.html

[連載]アサヒカメラの90年 第12回 (2016/11/25 14:55)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2016112500108.html

[連載]アサヒカメラの90年 第13回 (2017/01/17 13:24)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017011700102.html

[連載]アサヒカメラの90年 第14回 (2017/01/22 13:24)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017012000092.html

[連載]アサヒカメラの90年 第15回 (2017/02/22 14:44)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017022100081.html


[連載]アサヒカメラの90年 第16回 (2017/03/21 13:02)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017032100047.html

[連載]アサヒカメラの90年 第17回 (2017/04/24 10:36)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017042400012.html

[連載]アサヒカメラの90年 第18回
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017052300014.html

[連載]アサヒカメラの90年 第19回 (2017/06/26 11:32)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017062600016.html

[連載]アサヒカメラの90年 第20回 (2017/07/27 12:20)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017072700009.html


[連載]アサヒカメラの90年 第21回 (2017/08/25 11:11)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017082500021.html

[連載]アサヒカメラの90年 第22回 (2017/10/25 12:42)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017101800086.html

[連載]アサヒカメラの90年 第23回 (2017/10/25 15:34)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017102500063.html

[連載]アサヒカメラの90年 第24回 (2017/11/17 11:44)
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2017111700011.html

 

日本写真界の現状 ②(フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」(1958.6)所収)

先だって1958年6月の写真誌概況(フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」所収)という記事を投稿しましたが、これはこの増刊の中の「写真界知識編」(p371~)という特集の一部でした。

この特集では当時の日本写真界、そして世界の写真家を総合的に捉えようというものでもちろん偏りはあるのですが当時の認識として興味深いので一部を紹介してみようと思います無署名記事により  著作権保護期間は満了しています)。

 

(特集表紙)

写真界知識編

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写真界は年ごとに生長しています。そして写真が応用される範囲も益々広くなりつつあります。そうした見地から少くとも写真をやる人にとって、現在の日本写真界をはじめ世界の写真界の事情を知っておくことは無駄ではないと思います。どんな写真家がいるか、ジャーナリズムはどうなっているか、アマチュアのカメラクラブにはどんなものがあるか、といった点をくわしくのべてみました。

日本写真界の現状

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日本の写真界は一体どんな組織になっているのでしょうか

一口に日本写真界といっても、その規模は大きく説明しにくいようです。

日本の写真界を大別しますと、カメラメーカーや感光材料メーカーを本源とする、一連の生産販売組識と、われわれアマチュアに関係のある写真製作部門の二つとなります。ですから前者を普通、写真工業部門とよんでおり本邦においては小売業者の末端にいたるまで、いろいろな組織や団体があってその活動を展開、また海外における活動としては、いわゆる輸出の振興に大きな役割を果たしているわけです。

ですからこういった写真工業の組織は、直接には私達に関係が稀薄であるといっても、けっしていいすぎではないようです。それよりも、私達写真を製作する者にとっては、新聞や雑誌など、いわゆるマスコミュニケーションの世界で活躍している写真家を形成している姿を知ることの方が、より興味があり、より必要だと思うのです。

こういった観点から日本の写真界をよくながめてみましょう。

プロとアマということ

まず写真家をよぶときに、よくあれはプロで、これはアマチュアだとかよんでいます。それでは一体プロフェッョナルとアマチュアの区別は、なにを基準としているかという疑問点にぶつかるでしょう。

字句の上からだけでいいますと、プロとは写真製作を業としている人、アマとはそれ外の人ということにはなるのですが、これだけでは、おそらく疑問点を解決したことにはなりますまい。

結論から先にいいますと、この区分は実にあいまいであります。ただ一般にプロというときには、主として街の営業写真館をのぞいた、雑誌や各種の宣伝物など、そういったジャーナリズムで活躍している写真家を指すようです。ですから営業写真家を含めた場合もその人の活動半径で、アマとプロの区別ができるようです。

日本写真家協会

ところで雑誌や新聞などジャーナリズムの世界で活躍している写真家の組識している団体に「日本写真家協会」(JPS)というのがあります。会員百十数名で最近まで木村伊兵衛氏が会長、渡辺義雄氏が副会長でしたが木村氏は写真界につくした功績をたたえられ顧問格となり、会長に渡辺義雄氏、副会長に松島進氏が就任したのはごく最近です。この団体は営利団体ではありませんから、共同の営利を目的とした事業は行ないませんが、共同の作品活動や写真振興のための事業をつけているわけです。具体的には展覧会や撮影会などがあげられます。

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「集団フォト」と「ギネ・グルッペ」

この他にプロの形成している団体に、主として報道写真家を中軸とする「集団フォト」と、いわゆる女性写真家と称して、女性をモデルとする写真家のグループ「ギネ・グルッぺ」とがあります。この二つのグループは特異な存在として注目されております。この他にも団体がありますが、ここでは省略します。

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パウル・ヴォルフ(井上鍾 編)1942『ライカ写真の完成』番町書房より抜粋

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パウル・ヴォルフの『ライカ写真の完成』より一部(「フイルム・フイルター・現像」pp.9-25)を抜粋します。ヴォルフ(1951年 逝去)の著作権はあらゆる意味で切れていますが、これは翻訳であるため訳文に翻訳者の二次著作権が発生します。しかし、翻訳者不明のため公開後五十年で保護期間は満了しています。

ヴォルフはライカ写真の名手と知られ、戦前の日本に紹介された初期こそ名前を間違えられるなどしましたが、すぐに大きな影響を与えるようになりました。

ja.wikipedia.org

この「フイルム・フイルター・現像」の章で彼が解説するのはいわゆる「たっぷり露光、あっさり現像」と言われる微粒子現像法の要諦ですが、そもそも彼がこの方法を発見し、普及に努めたことが高倍率での引き延ばしが必要であくまで特殊用途向けという扱いだったライカを世界的なカメラへと飛躍させたといえます。

dc.watch.impress.co.jp

この『ライカ写真の完成』が番町書房より出版されたのは1942年で、すでに太平洋戦争に突入し物資の統制が行われていたにもかかわらずこのような豪華な美術書が出版された時点でヴォルフの影響の大きさが感じられます。編集の井上鍾はライカの代理店として有名だったシュミット商会の社長です。

ja.wikipedia.org

前置きが長くなりました。本文を尊重して一応旧字体歴史的仮名遣いで起こしていますが、一部エディタで入力できない漢字などがあり、そこは現行の書体になっています。また現代仮名遣いになっていたり入力ミスがあったりした場合はすいません。

あくまで自分用のメモです。利用はご自身の責任にてお願いします。

なお、本文中の形式段落を改行にて強調しています。ご了承ください。

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イカ寫眞の完成

ドクトル・パウル・ヴォルフ

フイルム・フイルター・現像

フイルムとフイルターとそれから現像は寫眞原板を製作する場合最も肝腎な要素であつて、これらが相關聯して原板の良否を決定するのである。

イカ十數年の歴史は寫眞界の革命であり、驚異であるのみならず、また粒子、鮮銳度、並びに諧調の諸問題に對して無言のうちに行はれた苦しい戦の歷史であつた。これらの問題は小型カメラの出現以前には知られないか、或ひは殆んど意に介されなかつたものであつた。これが今では總べて解決されライカならば大型カメラよりも容易であり、といつても自動的に良い結果が得られるといふわけでは決してないが、過去數年來の著しい進歩によつて技術が簡易化されたことはたしかである。この進歩に關しては吾々は特にフイルム工業に感謝せねばならぬ。しかし將來フイルム製作技術の進歩によつて小型寫眞技術が一層簡易化され、容易となつても、フイルムの進歩にのみ賴ることなく、真に技術的にも藝術的にも優秀な作品を作るためにはいくらでも研究の餘地があることは勿論である。

小型フイルムを使用するライカの出現はそれまで全く思ひもかけなかつた色色な問題をひき起したが、これらの問題は非凡な熟練者には解決出來ても、簡單に手取り早く萬事を片附けてしまひたいといふアマチユアには、自分の工夫ではどうしてもうまく行かないので徒らに手を拱いてがつかりしてしまふことがあつた。

なぜなら所謂純正微粒子現像液は普通のものよりずつと高質であるのみならず製造者のいふやうには永く保たない。例へば廣告では純正微粒子現像液はライカフイルム十五本を同樣に現像しうるやうにいつてはゐるが、實際はさうは行かない。たとへ現像時間を延長しても、液は變化し從つてその作用も變化するから硬調でしかもフラつトなしかも往々にして粒子の粗大なネガになるのである。

所謂純正微粒子現像をめぐつてこの騒ぎは獨逸のアマチユアの眼にはどう映じたであらうか。純正微粒子現像とは一體如何なるものであるか。この問題について詳述すれば非常に長くもなり、徹底的に論ずるためには化學的記述が必要になつてくるが、アマチユアの場合露出をうけた感光膜層へ臭化銀溶.劑と共に作用して最後に非常に微細な銀組織を形成する物質例へばパラフエニレンディアミン(パラミン)、オルソフエニレンディアミン、トルヰレンディアミン等の物質のあることを知れば十分であつて、この反應に於て特異なのは臭化銀結晶の一部が現像液中に溶解することである(物理的現像)。この純正微粒子現像液で處理されたネガはその膜層の表面が强く光るのが外觀上の特徴であり、又表面には部分的に褐色を呈する銀組織像が現はれる。

これに反して普通の微粒子現像液は決して本來の粒子の大きさを還元せず、たゞ互ひに隣接の粒子群が凝集して大きな粒子となることをふせぐだけである。この外には緩慢な反應を呈する現像液であること(少量の現像成分とアルカリ)が一般に問題であつて、反應が緩慢であれば自然と調子の硬化と粒子の粗大化を防ぐわけである。

所謂純正微粒子現像を行ふ場合に必要な條件は或る程度の露出過度を行ふことである。このことは純正微粒子現像法の主張者には故意に黙殺され或ひは反對されてゐるが、この十分な露出といふことは本書の著者も明確な認識の下に純正微粒子現像の根本條件であると再三論じた處であつて、最早彼等はきまり切つたことと考へてゐるのか、或ひは本心をいつわつての反對であるのかも知れない。

扨󠄃適正な露出とか、二倍三倍の露出といふことがいはれるが、さういふ場合にはまづ何を標準にするかといふことをはつきりと知つてゐなければならない。これにはドイつの工業規格によつて定められた感光度表示法卽ちDIN法があるのみであつて、所謂「勘」では無論駄目であり、電氣露出計と雖もそれぞれ差異があるから正確な標準に使用することはできない。DIN法(及びこれを基準とした露出計法)は常に信頼し、檢定に使用しうるものであつて、現像液と關係あるあらゆる記述、例へば「過度に露出することは不要」とか、「普通より二倍乃至三倍の露出を與へよ」等と記載してあるものでも、DIN法或ひはこれに準じた信賴するに足る基礎に據つたものでないものは凡て架空の説であり、何等の意味も持たないのである。嚴格にいへば、凡ての所謂純正微粒子現像液は所謂調整微粒子現像液に比較すれば例外なく二倍乃至數倍露出時間を延長する必要があり、DIN現像やブレンつカテキン一苛性ナトロン現像等のやうに特殊の藥品によつてフイルムの實効感度を低下させるやうなものでは更に數倍の露出時間の延長が必要であらう。といふのは臭化銀の一部は現像の場合フイルムの中から遊離し、且つ何れの微粒子現像法に於ても早目に操作を打切るのが普通であるから、實際の感光度の喪失は決して驚くに足りないからである。

また所謂純正微粒子現像の缺點としては感光度が犠牲にされるだけでなく、更に鮮銳度の損失は一層莫大である。この鮮銳度の損失は感光膜層の厚いものに殊に大きいが、これは感光膜層内で光が散亂することに起因するものである。從つて露出時間が長ければ長いほどこの現象は著しくなるが、上に述べたやうにすべての純正微粒子現像液はある程度の露出過度を必要とする結果不鮮明なネガとなり、鮮銳な畫をまづ第一の目的とするアマチユア寫眞家を大いに失望させることになるのであつて、その原因は現像液によるものではなく露出過度によるものである。

鮮銳度喪失の程度は、特に今日の感光乳劑のやうな場合には、普通の近接被寫體の撮影に於ては氣にするほどのこともないが、細部の多い被寫體を嚴密に撮影する場合には非常に著しい缺點となつてくる。膜層の厚いライカフィルムで露出不足から露出過度へと段々に露出時間を變へて試驗し、そのネガの部分的引伸をやつてみると、今述べたやうな現象をよく觀察することがでできるが、最も鮮銳なネガは必ず露出の短いものであることが解る。

然しながら吾々は一般のやり方と、高度の要求とを區別しなければならない。このことは今日なほ一致しないものであつて、熟練者の手によれば素晴しい效果をあげる方法も、未熟練者の手にかゝればむしろ失敗の原因となる場合が多い。だから未熟練者は分相應の望みにとゞめて最も簡單な方法でやれば満足な結果をうるであらうし、これと反對に熟練者は前者とは別な方法によるがよからうし、殊に近接被寫體を取扱ふ場合は未熟練者は熟練者の真似をすべきではない。

だからといつて今日迄の原則『露出は十分に現像は短く』を今後は時代遅れとして捨て去り、鮮銳度のために短い露出のみを禮讚するのは謬りである。實際露出の短いネガは最も鮮銳であつても、それは良い畫に對する要求の只一つを充たし得たに過ぎないのである。アマチユアにとつてもネガは鮮銳であることが最大の要求であることには違ひないから、露出時間と現像と鮮銳度との間の關係を豫め知つてゐるべきであらう。

しかし、良いネガであるためには鮮銳度以外にも重要な條件がある。それは卽ち調子であつて、明部と暗部との間にできるだけ均整のとれた理想的な諧調がなければならない。普通の寫真撮影の場合でさへハイライトではなく陰影部を標準としてシャターを切るのであつて、明暗比の大なる被寫體(逆光撮影のやうな場合)に對しては、明暗比の小なるものゝ場合よりも露出を多くすべきである。そして、この自明の原則は小型カメラ寫眞術に於ても勿論守られるべきであり、否むしろ小型カメラによる寫眞術に於て理想的なネガを得ようとする場合には最も嚴格にこの原則を守るべきであつて、作畫に特殊の目的のある場合には殊にさうである。輝かしいハイライトと深い陰影とを以ていつまでも魅力のある黑白寫眞を作らうとする場合には、本書の著者が打ち樹てた『露出は十分に現像は短く』の原則は常に遵守されねばならないのである。普通寫眞術に於て困難ないくつかの問題の間に最良の妥協を見出すことが甚だ困難であると同樣に、小型カメラによる寫眞術の場合も亦全く同樣なのである。

そこで次のやうな規則をつくることができる。卽ち、短い露出と普通の現像によれば最も鮮銳な畫が得られる。この方法は初心者には絶對に正しい方法である。ところで十分な露出と短い現像によれば、被寫體の明暗比が非常に大きい場合にも常に均整のあるネガが得られる。この方法は、熟練者や作畫に十分經驗のある人が行ふべき方法である。

以下十數年のライカの經驗によつて、ライカの撮影に成功するにはどんな性質のフイルムが良いか、卽ち標準フイルムとはどんなものか、及び最良の處理をするにはどんな方法によればよいかといふことについて述べてみようと思ふ。それはいづれもアマチユアにとつて必要なしかもアマチユア向きの簡單な處理方法の根本にも密接な關係があるわけである。

普通の場合には最高感度のフイルムを使用するのは避けるべきであるといふ理由は既に述べたが、それだからといつて常におそろしく低感度のフイルム(10/10-11/10DIN)を使用することも亦同樣に誤りである。といふのは、かういふフイルムは調子があまりにも硬く、昔いつたシャイナー十七度(約4/10DIN)のフイルム位しか露出が與へられず、從つて多くの場合感光度の不足を嘆ぜざるを得ない。また露出寛容度も非常に狭いので露出は非常に正確にしなければならないし、明暗比の大きい被寫體にあつては明部及び暗部のディテールが潰れ、全體にわたつて調子の均整が保たれ得ないのである。

本書の前篇『ライカ寫眞』の中に述べたクルツケンハウザー教授の著書とこの主張は決して矛盾するものではない。彼の書に掲載されてゐる寫真は全部静止した被寫體であつて、全部シヤターはタイムで撮影されて居り、或る寺院の内部などは實に數時間の露出がかけられてゐる。かういふやり方は昔の大型カメラ時代には常に行はれたことであつて、これらの寫眞はこのフイルムの通常撮影の場合には標準にはならない。

一般の場合に最も適當なものは中庸感光度(16/10-17/10DIN)の新パンフイルムである。このフイルムならば特殊の報道寫眞や舞臺寫眞を除けば殆んど何れの場合にも感光度は十分であつて、粒子は本來微細であるから、好みのまゝの現像液を使用しても18×24糎の光澤紙引伸ならば粒子は現はれず、調子はやゝ硬いが、この性質にさへ注意して居ればよいのである。このフイルムを使つて『露出を十分に(但し、過度ではない)現像を短く』の鐵則に從へば、何の苦勞もなく明暗兩部に満足すべきディテールのある均整のとれたネガが得られるのである。たゞ感光乳剤製造上の理由から十分な微粒子性及び鮮銳度を得るために幾分調子が硬いのが普通であるが、それは止むを得ない。好季節に絞9、1/60秒で普通の被寫體ならば立派なネガが得られる筈である。勿論現像には後章に述べるやうな注意が肝要ではあるが。

新パンクロフイルムの感色性は、露出倍數約二倍のフイルター、例へばライツ黄色一號を用ふれば諧調の正しい寫眞が得られるやうになつてゐる。卽ち、靑色は適當に抑へられ、白い雲は暗い空から十分なコントラストを以て浮び、赤色、(皮膚の色等)も以前のパンフイルムのやうに白堊の如く白くは現はれない。又、どの風景にも多量に含まれる黄緑色は十分明るく現はれる。緑色フィルターは新パンフイルムには全く不必要なものとなつてゐる。といふのは、このフイルムは赤色に對し特別に高い感光度を持つてゐないから綠色フィルター中に含まれてゐる靑色によつて抑へる必要がない。これを抑へれば赤色は餘りにも暗くなり、また中濃度の黄色フィルターに比べて露出倍數はずつと大きく、約四倍乃至六倍となるのである。

二千米以上の高山では一般に黄色フイルターも不必要であるといふのはこれを用ひると空が餘りに暗くなるだけでなく、遠方の漂渺たる氣分(大氣遠近感)を現はすことができないからである。その上黄色フイルターは强い紫外線によつて螢光作用を起し、量つた不鮮銳なネガとなる。むしろこんな場合には紫外線除けのフィルターを使用すべきである。但し空がほとんど雲に蔽はれてゐる場合は例外で、雲の間に僅かの小さな靑い切れ目がのぞいてゐるやうな場合には黄色フイルターを使用して空を少し暗くする方が寫眞としては效果的であらう。


瓦斯入電球による照明でパンフイルムを用ひて正しく色調を再現しようとすることはなかなか困難なことである。それは、瓦斯入電球は靑色光線に乏しいからポートレートの場合、顔は白堊像のやうに白くなり、靑い眼は暗くなる。そこでこの場合には大抵は靑色フイルターの力を借りることが必要となる。但しこの場合、フイルムの一般感光度がずつと低くなることは當然である。色の再現を助けるために電球に靑綠色のセロフアンの覆ひをつけたり、或ひは反射用笠の裏面を靑綠色に塗る人もある。人像専門寫眞師がポートレート撮影に往々オルソフイルムを使用するのはこのためであつて、これによつて皮膚の色調を、殊に、眼の色を自然に近く再現できるからである。

繪畫や地圖等のやうな多彩な被寫體の場合には往々或る色を抑へ、或る色を强めるために數種のフイルターを使用しなければならないことがある。かういふ場合には次に述べる補色の原理が役に立つ。卽ち、補色といふのは互ひに反對なそして互ひに消し合つて無色になるやうな二つの色をいふものであつて、例へば、レンズに綠色フィルターをかければその補色の赤を抑へ、陽畫には赤は暗色か眞黑になつて現はれる。黄橙色フイルターは空の靑董色を抑へるから空は陽畫には項合ひに現はれる。卽ち、フイルターは被寫體のその色を强め、その補色を吸收し、陽畫ではその色を暗くするものである。

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寫眞撮影にフイルターを使用することは、熟練者にとつては丁度ピアノのペダルのやうなもので、これをマスターすれば特殊の效果を發揮することができるのであるが、それらの一々をこゝで詳述するのは無理なことであらう。根本原則だけを定めることはできるが、凡ゆる場合を考へて、その一々に適應する定則を確立することはまづ不可能である。そこで次に最も重要なフイルターとその作用だけを述べることにする。

橙色乃至赤色フイルターは風景撮影に於て特に雲の効果を狙ふときに使用される。この際綠色は幾分抑へられて暗くなる。赤色フイルターは霧のかゝつた遠景を撮るときに必要であつて、赤外線フイルムの代りをつとめる。尤も赤外線フイルムに更に適當なフイルターを併用すれば一層遠景をよく描寫することができるが、粒子が荒び、解像が不良となる缺點がある。

灰色フイルターは映畫撮影者に特に用ひられ、レンズを開放にして焦點深度を浅くする必要がある場合に光線量を調節する絞の代りに使用される。

偏光性フイルターは特別の材料、例へば、漆塗り、木材、紙、等のやうなものを一定の角度から撮影する場合に反射を避けるために使用するものであつて、アマチユアには大して必要のあるものではない。

一般にフイルターを使用して撮影した寫眞は、フイルターを使用しないものと比べると輪廓が不鮮明であつて、これには物理學的にも化學的にも理由のあることである。しかし、フイルムの膜層が薄ければ薄いほどこの作用は少いのであつて、近頃の新しいパンフイルムでは實際上ほとんど顧慮する必要はない。

最近の新しいパンクロフイルムの解像力は、普通の目的の寫眞なら全く十分であつて、密着と殆んど區別できない程の引伸印畫が得られる。勿論、複寫或ひは技術用寫眞等のやうに特殊の目的のためにはペルツの製圖用フイルムBのやうな特殊乳劑フイルム、或ひは單膜層フイルムのやうな解像力の一層優秀なものを使用すべきであるが、しかしかういふ特殊フイルムの鮮銳度でさへすぐれた小型寫眞用レンズの鮮銳度には遠く及ばない。つまり、小型寫眞機ではレンズの鮮銳度をフイルムが再現し得ぬのである。こゝに寫眞化學に對する重大な課題が未解決のまゝ残されてゐるわけである。昔の最高感光度フイルムを今尚ほ禮讚してゐる人たちは、このフイルムで撮つた寫眞は現在の中感光度の改良パンフイルムで撮つた寫眞よりも鮮銳であると主張するが、それは勿論誤つた結論であつて、この誤りは昔のフイルムの感光度や調子とも關聯してゐるのである。赤色に對して感度の高いフイルムは勿論遠くまで描寫し得、從つて赤色感光性を抑へたフイルムによるより遠景の點では遙に鮮明な寫眞をうることができる。然しかういふ超赤色感光性といふものは同時に缺點を伴ふものであつて、これについては既に述べた通りである。

フイルムのハレーシヨン防止法としては今日ではフイルムの灰色ベースを感光膜層下面の着色を行つてゐるが、このハレーシヨン防止法の良否は寫眞の鮮銳度に關すること甚だ大であり、今日なほ大いに改良の餘地がある。感光乳劑層のハレーシヨン防止は露出及び現像を適度に行ふことによつて大いにこれを助けることができる。卽ち、膜層の深部に達するやうな餘りに過度な露出や、餘りに過激な現像は避けねばならない。

新改良パンフイルムのやうに進歩したものゝ現像は最早問題にすべきものはなく、只一言で説明ができるものであつて、今日普通の場合では一切複雑怪奇な現像を排すべきことは既に述べた通りである。

只一言といふのはアマチユアには所謂調整微粒子現像液(たとへばペルツ製の管入)に指定溫度で約七分間入れて絶えず揺り動かしさへすればそれでよい。但しこの七分といふ時間は一般アマチユアの撮影範圍に屬する被寫體を前提としたもので、この時間は特殊の場合には勿論變へなくてはならない。

さてライカフイルムに與へられるべき現像時間はこの現像液を動揺することを前提としたもので、若しさうしなければ肉乘りの薄い不均等なネガになつてしまふ。またフイルムを現像液から定着液へ移す間にも現像は進行するものであるから、嚴密に適當な時期に現像液から引上げ、手早く次の處理にうつらねばならない。この事實は最近の調子の硬いパンフイルムの場合殊に注意すべきである。

現像はかくも簡單容易なものであるが、若しこれを信じない人があるならば漸次露出時間を長くして各二枚づゝ撮り、その一つを上述のぺルツ調整微粒子現像液で、他の一つを市販の或ひは自ら調合した超微粒子現像液で現像すると、その結果は中々面白い。卽ち、この兩者はまづ豫期の通りその肉乘りが異つてゐる。例へばペルツ調整微粒子現像液で處理したものは、絞F12.5 1/100秒の露出で適當とするとき、超微粒子現像液で處理したものでは同じ絞で1/40秒の露出をかけなければ同樣なネガは得られない。更に引伸をやつてみると一層面白い。假りに普通の大きさ、例へば13×18糎に引伸してみると、兩者の間に粒子の點では何らの差異が認められず、ペルつ調整微粒子現像液で處理したフイルムは暗部のディテールがよく出るのが判る。十倍の引伸印書を作るに及んで初めて超微粒子現像液で現像したものゝ方が灰色の中間色に於てより粒子の微細であることが認められる。

(*譯者註 これまで新しいパンフイルム又は改良パンフイルム等の言葉で表現してゐるものはAgfaのパンF或ひはEastmanのプラスX級のものを指す)

この實驗によつて吾々は一つの結論に到達する。卽ち、アマチユアは普通の場合にはつねに所謂調整微粒子現像液(アグフアのフイナール、コダツクのDK76、ペルツ調整微粒子現像液、ライカノール等)によるのが賢明であつてこれらの現像液はいづれも相當永持ちがするし、値段も安い。たゞ特に大きく引伸をする時のみ特別の超微粒子現像液を使用すればよいのである。かうした簡易な處理方法の利益としては、露出時間がより短くてすむためにカメラの活躍範圍がずつと擴大されるのみならず、多くのライカネガのボケの原因である手震れがなくなり、又費用と時間の節約にもなるわけである。

專門家にあつてはアマチユアとは全然異つた要求のために止むを得ずこの超微粒子現像法を行はねばならないことが屢〻あるけれども、アマチユアは今日の進歩した感光乳剤化學の恩恵に與り、一定の標準方法によるのが賢明である。現像法その他の技術が簡易であればあるだけ注意や努力を作畫の方に傾けることができ、技術上の問題で効果の上がらぬ努力をくりかへしてゐるよりも、作畫に專心する方がどれだけ喜びが湧いてくるか分つたものではない。勿論ライカを手にするアマチユアに對してかういふやり方を紹介すればこれに對して非難のあることは十分覺悟の前である。世の中には例へばこゝに述べたやうな方法で處理したネガは軟かすぎるとか、硬過ぎるとか、乃至は粒子が粗いといつて簡易な處理方法を非難する人はいくらもあるかも知れない。しかしかういふ苦情は初めから豫測してゐることで、この苦情を發せしめないためには、まづ次の諸點を考察しなければならない。

 

1.露出時間が正しかつたかどうか

今日のフイルムでは露出時間などはどうでもよいといふやうなことはお伽噺に過ぎない。成程理論上或る程度まではこれも本當ではあるけれども、それは被寫體の明暗の範圍如何によるわけである。その上露出が正しかつたかどうかはネガの良否に必ず影響するものであつて、露出が不足であれば、暗部のディテールを出し得ないことは勿論、餘りに淡いネガからの印畫では止むを得ず硬調印畫紙を使用する結果粒子が多く現はれる。これに反して露出が過ぎれば鮮銳度を減じ、粒子が粗くなり、寫眞に力がなく平調なものとなる。

2.ネガの硬すぎるもの

黒と白とからできてゐる寫眞が普通の方法で紙上に印畫される限り、自然の明暗はフイルムの上では大體に於て再現されてる印畫紙の上ではその再現は中々むづかしい。從つてフイルムの現像時間は、明暗比が1:30位の普通の被寫體の密着印畫や引伸が立派にできる中庸度のコントラストのネガを得るやうに心がけるべきである(ガンマ約0.7)。然し、被寫體の明暗比が1:30以上である場合は決して稀なことではなく、施つてかういふ場合にはネガに手工的或ひは化學的な補助を與へなければそのネガはあまりにも硬すぎ、満足な引伸はできないことになる。


3.ネガの軟かすぎるもの

これに反して、同じフイルムを使用しても、例へば曇天の場合等には被寫體の明暗比が小さいためネガが軟調にすぎることになる。從つてこの場合には硬調の印畫紙を用ひねばならないことになる結果、比較的粒子の荒れる惧れがある。

かういふ場合にはどうすればよいか。三十六枚を色々に撮影したライカフイルムを現像するには普通の被寫體を撮つたものを標準とするべきであり、又總べての現像液での現像時間もこれを標準とすべきである。多くの場合はネガのこの調子の差異は引伸の場合に適當な調子の印畫紙を選ぶことによつて調整することはできるが、たゞ極端な場合にはこの方法では不十分で、止むを得ず化學的補正處理を加へなければならない。


この化學的な補正處理をするためにはまづネガの定着及び水洗が完全に行はれたことが第一の條件である。水洗後には蒸溜水を通すのがよい。といふのは、かうすれば過敏な膜面に乾燥斑の残るのを最も簡單に防止することができるからである。また補正處理を行ふ前には、乾燥時に與へた膜面の指紋やその他の汚れをフイルム浄剤のやうなもので完全に拭ひ去つておかなければならない。なほこの補正處理は普通はフイルムの或る一齣にだけ施するのであるから、フイルムは四枚乃至六枚づつに切離すのがよい。この方法は一般にフイルムを分類して保存しておく場合にも、是非勵行されるやうおすゝめする。

硬調に過ぎ、或ひは軟調に過ぎ且つ淡すぎるライカのネガを補正する最近の方法には二種類あるが、共に從來の寫眞術の缺點を一切取除きうるものであるから、小型カメラによる寫眞術にとつては殊に重要なものである。さて、その方法の一つである『オイグラドール中で減力する法』はたゞハイライトを弱めるだけであるから、陰影部の潰れることはなく、又粒子にも影響しない。この方法は絕對確實で、何の豫備知識のない初心者にも實行ができる。

この反對の他の一つの方法は新しい補力法であつて、その効力は甚だ强く、肉乘を二倍にすることができ、粒子にも影響がない。この方法はルミエール及びザイエウエッツ兩氏の創始になり、ドイツではフエザクロームの名稱で販賣されてゐる。

これら藥品の理論についてはこゝでは論ぜられないが、要するに上述のやうな特殊の場合にアマチユアの絕對信頼しうるものである。

以上ライカアマチユアが今日信頼するに足る技法とその理由を述べた。卽ち一般撮影用としては17/10DINの新しいパンフイルムを使用し、特殊の場合例へば複寫或ひは科學寫眞のやうなものゝ場合には10/10DINの低感度のフイルムを使用する。この反對に舞臺撮影その他光線不足の場合には21/10DINの最高感度のフイルムを使用する。但し、これらのフイルムを使用した場合に特に注意すべきことは現像に決して未熟の技巧を弄してはならないことである。さうでないと何も寫つてゐないといふやうな憐むべき結果になる。

また、最高感度のフイルムが低感度のフイルムより粒子が粗大であることはもとより明らかなことであり、感光度が高いといふことに對して拂はれねばならない代償である。若しこの粒子を特殊の微粒子現像法によつてなくなさねばならないと信ずる者があれば、その人は寧ろこのフイルムの本質的な特長卽ち最高感度を放棄することになり、最初から低感度のフイルムを使用す.ればよいわけである。高感度フイルムは大いにその特徴を發揮させ、これを適當な方法例へばブレンツカテキン一苛性ナトロンで現像すべきである。

新聞寫眞にあつては、どんなに光線の状態が惡くても兎に角その事件をフイルムの上に捉へることが肝腎で、そのネガの良し惡しなどは第二義的な問題である。しかしこの場合には有難いことにネガの技術的缺點は新聞印刷の網目が隠してくれる。吾々にもこれと同樣の逃道があつて、最高感度のフイルムを使つたものはすべて幾分ラフな印畫紙に伸し、若しまた特に大きな引伸の場合には、更に大粗面の印畫紙を使用するのがよい。但し、初心者はそのネガの良否をはつきり識別するために、つねに光澤紙に引伸してみるべきであらう。

イカ寫眞界にも達人は中々澤山あり、夫々獨得の秘法を持つてゐて、他の如何なるものよりも優れたものであることを信じて疑はない。往々彼等の必法は互ひに全然相反することがあるが、それでも彼等は各自その秘法を主張して譲らない。それも尤も無理はないことであつて、或る技術に習熟してこれをマスターしうる域に達すると色々なことが可能になるものであつて、つまり生徒が扱へば有害な方法でも先生が扱へば非常に良い効果を現はすこと.があり、山の頂上に達するにも路はいくつもあるの警へと同樣である。

しかしアマチユアはまだ手探りで山登りをするやうなものであるから色々な道を求めてはいけない。簡単で確かと決つた方法によるのが一番速かに成功しうる道である。ことに今日考へうる最も明瞭にして、最も必要な點だけに限つた方法のみを推奨するのは全くそのためであつて、この方法は今後も永くその價値を失はないものと信じる。以上により初心者にとつても必要な知識が深められゝば幸甚である。

 

日本写真界の現状 ① いま出ている写真雑誌と編集者を紹介して下さい (フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」所収)

1958年6月の写真誌概況。フォトアート臨時増刊「質問に答える写真百科」所収の記事。昨年のアサヒカメラ(アサヒ新聞社)に続き日本カメラ(日本カメラ社)が倒れて会社清算にまでいたり、フォトテクニック誌に源流をもつフォトテクニックデジタルの休刊が発表されたいま、写真誌を振り返る手がかりとして面白いかと思うので紹介する(無署名記事により 著作権保護期間終了済)。

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冒頭でここに至るまでの戦前からの流れが簡単にまとめられている。アルス学校と呼ばれた一大勢力の源流で戦前の写真表現を牽引しリアリズム写真運動の拠点として50年代の前線であったCAMERA(ARS)は既に休刊(1956)している。

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九誌とその姉妹紙を合わせての十五誌(記事末に名前だけ紹介されている三誌を加えれば十八誌)だが、大きく新聞社系とアルスから出た雑誌に大別されている。

・アサヒカメラ(大正15年4月 創刊/朝日新聞社

・サンケイカメラ(1954.6 創刊/産業経済新聞社

・カメラ毎日(1954.5 創刊/毎日新聞社

・月刊カメラ(1939.6 創刊/光画荘)※光画月刊の後裔

・カメラの友(光画荘)※月刊カメラ姉妹紙・創刊年次記載なし

・写真工業(1952.6 創刊/光画荘)※この時点で唯一のメカニズム専門誌

・8ミリ(1956.11 創刊/光画荘)

・写真サロン(1933.1 創刊/玄光社

・小型映画(1956.5 創刊/玄光社※写真サロンの僚友誌

・フォトアート(1949.5 創刊/研光社)

・特集フォトアート(1957.6 創刊/研光社)※フォトアート姉妹紙・臨時増刊、別冊より独立創刊

・日本カメラ(1950 創刊)

・8ミリシネマン(1956.12 創刊/日本カメラ社) ※日本カメラ姉妹紙・1958.3に「カメラとシネ」より改題

・フォトコンテスト(1956.9 創刊/写真文化振興会)

・Photo 35(1955.10 創刊/新日本写真会)

・カメラスクール(日本カメラ教育協会)(※名前のみ)

・カメラマン(地方紙 ※名前のみ)

・旬刊フォト(地方紙 ※名前のみ)

これまで見逃していたが、正体がよくわかっていない「カメラマン」誌が地方の機関紙的なものとして記載されていた。少なくとも全国紙の編集部に認知される存在ではあった。そしてこで紹介されている各紙のうちの数紙もこのあとほどなく休刊を迎える。

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ごく自然に8mmカメラ誌が写真雑誌と同カテゴリにあるとに違和感を覚える向きがあるかもしれないが、当時としてはこれは当たり前でカメラ雑誌のなかでも8mmカメラは比較的大きく扱われる。カメラ趣味と映像趣味は近いところにあった。

 この後いったん分かれていくこの層での写真と動画が再び出会うには80年代の家庭用ビデオでの試みを経て、PCとデジタルカメラの普及、最終的にはYoutubeスマホの登場を待たねばならなかった。そしていまは実情として、かえって写真が映像(ショートムービー)に飲み込まれつつある状況かもしれない。

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この時点での十五誌(末尾で名前だけ紹介される三紙を含めれば十八紙)のなかではほぼ末尾に位置していたフォトコンテスト誌のみがカメラ時代→フォトコンテスト(復刊)→フォトコンとして現在まで血脈を伝えている。それが2021年5月の光景である。