長崎に関わる写真家・写真師考
twitter上で全国47都道府県の写真家をnoteでまとめている方がいらっしゃったのに触発されて以下の様なコメントを戯れに書いてみました。
長崎に関わる写真家・写真師
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月28日
監督
上野彦馬
芸術的1番
永見徳太郎
不動の4番
栗林慧
燻し銀のキャッチャー
井手傳次郎
県外からの助っ人陣
山端庸介
東松照明
奈良原一高
雑賀雄二
アイドル(文字通り)
福山雅治
こんなところだろうか。もちろんまだ何人かはいるが。
twitterの文字数に制限を受けているので色々説明不足ですし、もっと追加しないといけない方々がいらっしゃるのですが、とりあえずのとっかかりして。
この次に追加するとするなら、地元の出版社から写真集を出版されていたり、長崎をテーマに自費出版をされているような方々になるでしょうか。もちろん出版はされていなくても長崎をベースに出版物を舞台にカメラマンとして活動している方もいらっしゃるし地元の美術界で活動している方々もいらっしゃる。
なにを持って、写真家・写真師とするか、中央での評価をもって基準として良いのか、など考えなければならないことは尽きないのですが、とりあえずのメモとして関連のものをスクラップしておきます。
これに地元を中心に活躍する独立リーグ的な記録をまとめれば雑にはまとめられるか。写真館の歴史は写真師会のがありはする。ただ永見徳太郎の時点(大正)で『写真の奮わないことおびただしい』と言われてしまっている体たらくだから…
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月28日
原爆関係は原爆資料館にいけば関わった写真家だけで名簿があるものと思われるが、閉館中。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月28日
おお「写真集 長崎」第十集までは確認できると言うことは、だいたい4-50年のスパンで地元の写真団体と写真家の活動を(やろうとすれば)ある程度は継続的に追えるということだな。もちろんそこから距離を置いていたり没交渉の方々も多いだろうとは予想がつくが。https://t.co/ANhfB7etxx
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月30日
真木満と長崎手帖の話https://t.co/inIJ06iOsU
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月30日
田栗奎作と長崎手帖の話https://t.co/oxuvv3ssAE
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月30日
三菱重工の写友会が2001年までは活動していたのが確実。今もあるのかは確認していないが写真 長崎を見れば出てくるだろう。https://t.co/Z2Lgoub7UA
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月30日
市村哲也が長崎を撮っていたとは知らなかった。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月30日
長崎―一村哲也写真集 一村 哲也 https://t.co/KQD0DiU0Ww @amazonJPさんから
一通り県図書の蔵書で郷土資料関係を検索してみたが、やはりテーマや時代にかなりの偏りがあるなと。写真館方面の資料を手に入れるしかないか。長崎と九州の。手元不如意なのだが…取材を始めるにも伝手がないわけではないがもう少し絵図を描いてからにしたい。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年4月30日
ここから展開して、元々興味を持っていた戦前の東郷堂の活動と永見徳太郎の年表で空白になっている部分が接続するというマリアージュが発生し、重点的に永見を折っているという次第なのです。
さすがに永見徳太郎の件だけは行きがかり上ある程度まとめて郷土史関係にでも持ち込まないとまた歴史の彼方に消えるし、次の浮上は期待できない。長崎出身で郷土の写真史をまとめようとした人間が戦前アマチュア写真誌にある程度通じていて、更に東郷堂を押さえている可能性が今後どれくらいあるかと。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年5月11日
実際問題として思い上がるわけではないのですが、写真史というよりも独立した領域としての写真というジャンルそのものさえ低調となり、また東郷堂という戦前カメラ史の辺境(実際には写真史において特に戦後の名カメラマン達のスタートカメラとして機能したという意味で重要なのにほとんど無視されている)の資料をある程度集めているうえ、これまたある程度地元の郷土史や当時の文学史、また社会史に通じている人間が、さてこの先出てくる可能性を期待するくらいなら、自分がやるしかないよなと思い立ったということなのです。
永見徳太郎については近日中にまとめて、気が向いたらですがWikipediaの記述を修正しようかと。そこから見えてくる、戦後に接続しなかった、あるいは接続はしたのだけれども大文字の「カメラ史」「写真史」からは無視され、しかし実は今なお続いているし、そこを無視したからこそ写真趣味が根無し草になってしまった、そういう領域が見えてくるのでは無いか、そのようなことを考えているのです。