書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

六○○万人の戸惑い アマチュアの"定義"をめぐる論争 (「フォトコンテスト」(1961年1月号),写真同人社)

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「フォトコンテスト」誌(1961年1月号)所収の評論が興味深かったのでテキストを起こしました。(匿名記事にてすでに著作権の保護期間は終了しています

主要なカメラ誌で一瞬起こりかけた名取洋之助とそのほかの写真評論家、ハイアマチュアの間の議論ですが、それがそもそも既に分厚く存在したアマチュア層からはどう見えたのか。

「どうもこういう言論は、国民国民とわめきながらそれが一部の国民しか指していない政治論者のロぶりと同様、アマチュア、アマチュアと唱えながら、六〇〇万人の存在とは縁のない、ごく一部のプロづいたアマチュアしか味方にしていない論議の印象をうけるのである。つまりこういう批評家にとって、六〇〇万アマチュア路傍の石ころでしかないらしい」

フォトコンテスト誌は元々ペトリとの関係が深い雑誌だったらしく、初期はペトリの友の会(ペトリクラブ)の会報という側面ももっていたらしい。

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のちに刊行号数を引き継いで写真批評主体の「カメラ時代」誌に衣替えするものの、この路線は一年で止み、この辺りの経緯を正しく把握はしていないが再び「フォトコンテスト」誌が創刊する。その後は地方のアマチュアに焦点を据え「旬刊」「月刊」など刊行形態や版元、誌名を変えながら、現在の「フォトコン」誌(日本写真企画)へ続いている。

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甘茶亭の写真界時評

六○○万人の戸惑い

▼アマチュアの"定義"をめぐる論争

昭和三十一年に創刊した本誌は、この新年で足掛け六年を生きぬいてきたことになる。当時は、写真人口四〇〇万などといわれ、その爆発的な増加が、何かといえば取り沙汰されるような状態であって、日本のカメラ産業が繁栄を謳歌していた時代である。

昭和三十二年の本誌には、表紙の題字上に「四〇〇万人のカメラ雑誌」というキャッチ・フレーズが刷り込まれている。写真雑誌界のニュー・フロンティアをめざした気おいといえば愛きょうもあるが、とにかく「四〇〇万人」は写真界の合い言葉の観があったことは事実である。

それがいまでは、六五〇万とか、七〇〇万とかいわれるように、池田内閣の所得政策より一足先にカメラ人口は倍増をとげている。カメラのような耐久消費材が、国民のあいだに年毎にふえていくのは当たりまえの話だが、そのめざましい増加ぶりは、カメラ雑誌が売れて笑いが止まらないだろうというようなシロウト筋の見方になって、われわれ出版にたずさわるものをニガ笑いさせている。

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同じことは、写真機や感材のメーカー筋にもいえるようだ。さぞ景気がいいでしょうねえと、いわれるということである。が、このほうは、これから厳しくなる貿易自由化の問題をかかえて、前途に楽観はゆるされない、というところらしいのである。その理由の一つとして、われわれ日本人の"舶来崇拝"があげられている。貿易の自由化によって、ドイツ製その他の外国カメラが日本にどしどし入ってくると、こちらがどしどし出て行く以上に喰われるのではないか、という心配があることである。フィルムなんかでも、現在はまったく富士、さくらの独占企業になっているわけだが、今後はコダックやイルフォードなんかがじゃんじゃん売り込んでくることが予想される。写真界の地図がかなり変わってくるのではないかと、早くもその対策に額を集めているのが三十六年の年明けの表情であるようだ。

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しかし一方、写真ジャーナリズムのほうでは、貿易の自由化なんていう政治には影響されないが、別の思想という政治には、これから大いに揺れ動きそうな様相を見せている。そのいちじるしい事例は、去年の安保騒動を頂点とした報道写真家のキャンペーンであり、一部写真評論家のオピニオン・リーターぶりである。

カメラ芸術八月号の論壇で、重森弘海氏は「デモに参加した写真家たち」という一文によって、デモに参加しない日和見写真家や無関心評論家を攻撃し、デモに参加せざる者は写真家に非ず、とでもとれそうな主張をかかげている。この意見は、無事泰平の写真界にバクダンを投げたようなものなのだが、やはり全体として無事泰平のムードの濃い写真界には、さっぱり波紋が起こらなかった。しかし写真界の基調がやはり無事泰平であるだけに、まかり間違うとそういった主張は、言論ファッショめいた印象を与える心配もある。泰平のムードにいらだつのか、この人の言動はときどきハネ上る傾向があるようだ。

では、それほど無事泰平の基調のつよい写真界が、なぜ思想という政治に揺れ動きそうな様相があるのかというと、いまの写真ジャーナリズムの表層が、どっちかというと、まん中から左寄りの球をストライクにとる傾向がつよいからである。前記重森弘淹氏や、伊藤知巳氏、渡辺勉氏などがそのオピニオン・リーダー(理論的指導者)の代表で、この人たちが写真ジャーナリズムで最も活躍し、いわばまん中から左寄りの球でないとストライクにとらない。写真でも、土門拳をはじめ、田村茂、浜谷浩、長野重一東松照明、藤川清といった第一線のスターが、いずれも左寄りの直球をビシビシほうっているわけだ。

カメラ雑誌は、これらの動きを最もつよく押し出して、ジャーナリズムの面目を昂揚しつつある。だからそういった時点下に、右寄りの編集者兼評論家兼写真家の名取洋之助氏が発表した、プロとアマチュアの公式的な分離論が袋叩きにあったのは当然ともいえたのである。

この時ならぬ波紋は、去年の写真界のトウ尾を飾るにふさわしい賑やかさで、いろいろの雑誌にとりあげられ、ほとんど一発で名取論は潰滅のうき目を見てしまった。読者の中にもそれらを読まれた方があると思うが、まだ一つ、大きな問題が残っていると思うので、改めてここにとりあげてみよう。あなたに関係のある問題である。

名取氏の論というのは、カメラ芸術に連載された「欧州パトロール」という記事の最終回で「日本の写真界を顧みて」と題する洋行帰りとしてのエッセイの一部分である。その論旨を要約すると、
「日本の写真人口は多く、カメラも立派だが、写真を生かして使っているかどうかということになると、いささか首をかしげないわけにゆかぬ。……本来実用的なものの実用性を忘れ、趣味に走るのは日本人の特性だ。しかし、これがアマチュアだけのことなら大した問題ではない。ところが、問題は趣味尊重のアマチュア精神が、本来実用の写真をつくるベきプロの人たちにも浸透しているところにある。その結果、商売道具であるべき技法上の秘密を、カメラ雑誌などに発表したり、プロとして発表する権利のない失敗作や、試作品を公開したりする。プロ作家をしてそういうあるまじき逸脱をさせるのは、ひとつには趣味性と実利性が奇妙に混在したカメラ雑誌という日本独特の雑誌のあり方の罪でもある。また、プロ、アマの混乱を指摘すべき批評家までがまきこまれて混乱はさらにひどくなる。批評家は、アマ、プロの区別をせずに、同じようにリアリズムを求めたりし、"社会的関心"を高めることを要求する。カメラ雑誌という非実用(趣味)の場に社会的テーマの写真がはんらんし、プロまでがカメラ雑誌を本当の仕事の場だと錯覚する。――結局、日本の写真界のゆがみは、写真の実用性を重視しないところからきている。実用の写真と趣味の写真、プロとアマとはっきり区別するところにしかそのゆがみを正す道はない……」というのである。

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これに対して、反論の一番手は渡辺勉氏によってあげられた。(カメラ芸術十月号)
「プロとアマの相違を、失敗が許される許されないなどという基準に求めるのは、一見もっともらしいが危険なことでもある」ばかりでなく「実用性というスローガンで写真のあらゆる問題を割り切ったり、写真家の態度や表現への意欲に対してさえ実用性を要求する氏の意見は俗論というほかはない。こういうことをしていたら、写真家はマスコミの中に陥没して自己喪失の状態にもなりかねないし、写真家に表現の伸展と新たな創造を期待することもむずかしくなる」というのが、その要旨である。

また、二番手の重森弘淹氏はこう反論する。(フォトアート十一月号)
「プロとアマの同存状態は外国にはないと名取氏はいい、プロはプロ、アマはアマともう一度別れて出直すことが必要だと説く。……しかし次ぎのような事実はどうか。たとえ名取氏の指摘するような写真雑誌における同存状態が日本写真界独特の現象だとしても、戦後のプロとアマチュアの交流は、事実上アマチュアの写真意識を変革し、向上させたではないか。あるいはこういうかたちにおける交流が、いわゆる写真ブームをつくり上げる大きな原因ともなっている。しかも、こうした広汎なアマチュア大衆の支持によって、プロ作家もまた成長し、体質を変えていったといえないか。
 アマチュア大衆を母体にしたリアリズム運動などというようなものが、果たして外国にあっただろうか。あまつさえ、名取氏のいう実用主義的な写真の方向には程遠いものであったかもしれないが、すくなくもサロニズムから脱却し、たんなる趣味写真に終始するようなアマチュアイズムから自らを解放したのである」

三番手の吉村伸哉氏は、こう解説する。(カメラ芸術十一月号)
「写真のアマチュアにむかって、"君らは趣味の写真をとっているのであって、決して実用の写真をとっているのではないのだよ"といったとしたら、おそらくたいがいの人は目を丸くするだろう。名取氏の意見にそのコトバ通りに従わなければいけないとしたら、われわれは日常の写真を、"実用性"というカテゴリーにいささかも抵触することがないよう、おそるおそる"趣味的"にとらねばならないことになりそうだ。また、どんなときでも、グラフジャーナリズムに実利的な商品として売れるような可能性がないように、注意してシャッターを切らねばいけないということにもなるかもしれない」
と、アマチュアの側に立って、チクリと皮肉をいうのである。

三者三様、それぞれ反論のもっていきかたはちがっているけれども、根本は同じで、要するに名取氏の乱暴な二元論に反対し、写真の創造性の追求にプロ、アマの区別などあるわけはなく、趣味とか実用とかいうように、写真が単純に割り切れるものではない、といっているわけである。

考えてみると、ずいぶんバカバカしい論争で、中学生の討論会みたいな材料でしかないわけだが、六〇〇万(少く見積って)のわが党の士は、これをどんなふうに理解されるだろう。

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関係があるといったのは、まさしくそこの点なのであり、どうもこういう言論は、国民国民とわめきながらそれが一部の国民しか指していない政治論者のロぶりと同様、アマチュア、アマチュアと唱えながら、六〇〇万人の存在とは縁のない、ごく一部のプロづいたアマチュアしか味方にしていない論議の印象をうけるのである。つまりこういう批評家にとって、六〇〇万アマチュア路傍の石ころでしかないらしい。

たとえば、重森氏のいうリアリズム運動もそれほどのものではなかったのだし、それによって「サロニズムから脱却し、たんなる趣味写真に終始するようなアマチュアイズムから自らを解放した」アマチュア写真などというものは、プロづいたごく一部の"月例作家"をのぞいてほかにはない。批評家がプロ、アマの区別をしないという名取氏の非難は、その意味で当たらずといえども遠くないのであるが、要するにこの論議は、写真というものを、ものの創造の次元にまで煮つめて考える人たちと、そうでない、たんなるカメラ万年筆論者との意見のくいちがいの上に咲いたアダ花のようなものであったわけだが、わが党六〇〇万の士にとって、いずれを是とするかは、また問題のあるところだろう。

というのは、本誌の読者をはじめとする完全に大多数のアマチュアは、プロが屁をひろうがどうしようが、そんなことには一向頓着ない"趣味"の写真家である。しかも十分に"実用"の写真を心得て撮っている専門家でもある。分けろという名取氏の意見にも合わないし、プロもアマも本質は同じだという渡辺氏や重森氏の主張にもそわない。「私は誰でしょう」と質問せざるをえないのである。

そして、こういう大多数の"例外"の立ち場からすると、われわれの存在を置き忘れて、アマチュア、アマチュアと、あまり勝手な風を吹かせてもらいますまい、といいたくもなろうというものである。正直にいって、そんな空論を書いて一金のもらえる批評家の奇妙な、"実用性"、こそ問題であり、そうした写真ジャーナリズムが左寄りの球をストライクにとっても、とらなくても、何ンの関係もないのがアマチュアというものではないか?


(「フォトコンテスト」(1961年1月号),写真同人社)

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