書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

カメラ雑誌の"月例"写真を批判する(「フォトコンテスト」(1960年11月号),写真同人社)

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「フォトコンテスト」誌1960年11月号ではこの年度の”他のカメラ雑誌の”月例受賞作からフォトコンテスト誌がベストテンを選出するというなかなか挑発的!な企画が行われたのですが、その特集に際しての武烈孫(ブレッソン)氏の批評。

 いや熱い。そして、ほとんどアサヒカメラや日本カメラの休刊時に言われたようなことがこの時点で既に提起されていることに苦笑せざるを得ない。
(匿名記事にてすでに著作権の保護期間は終了しています)

先に掲載した1961年1月号の評論「六○○万人の戸惑い」とは問題関心を共有しながら論調が異なるのが興味を引くところでしょうか。

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2 カメラ雑誌の"月例"写真を批判する

武烈孫


今年一年間の、月例写真ベスト10をえらぶという仕事がしゅったいして、アサヒカメラ以下六誌六十冊(一月号から十月号まで)の月例写真欄をまとめて見る機会にめぐまれた。めぐまれたというと、大変ありがたいようだが、実状はその反対で、かなりめいわくな気分である。そんなことは商売以外に、よほど物好きな写真狂でもなければ、やる気になるものもないだろう。

というのは、むかしはそうでなかったのである。マス・コミがまだこれほど発達せず、写真を要求しなかった時代には、カメラ雑誌の比重も、新しい人たちには想像もつかないくらい高かったし、従ってそのカメラ雑誌に占めるアマチュアの月例写真というものも、写真の流れの中心部に近い深い流れを流れていた。写真を知り、写真を語る場合には、この中心近い深い流れを知らなければ、何もいえないほどの比重を、月例写真はもっていたのである。


いまは事情が一変してしまっている。マス・コミが発達し、写真がそのほうへ吸い上げられ、人々と写真の関係は、けっして特殊なものではなくなっている。大衆を相手とする写真のない雑誌など、もはやなりたたない。写真はごく当り前の、便利で的確なコミュニケーションの道具になっている。写真の中心の流れは、カメラ雑誌から一般の雑誌へと、次第にその様相を変えたのである。

それはまた、写真のつくり手の移動をも意味している。むかしはカメラ雑誌の流れのほうが、なんといっても本流で手ごたえがあったわけである。しかし近頃では、ちょっと打ち込んだ作品なら、アマチュアでも、カメラ雑誌よりも一般雑誌のグラビアに売り込むことを考えるようになっている。そのほうが餌も豊富だし、出世も早い。なんといっても、本流に乗りたいという感情はリクツのほかなのだ。

こういう時代にも、カメラ雑誌は依然として、かなりの月例人口をかかえ、それが有力な読者対策というかたちで、入選だ、佳作だをくりかえしている。しかし、そこにはもはや写真の本流はない。いうなれば、かつて本流であったよどみがあり、それに僅かにチョロチョロと水が流れ込んでいるぐあいである。


こんにちの月例写真というものは、要するに時代を変えていくような、本流としてのエネルギーとは関係がなくなっているのである。いわばむかしは一個のエネルギーの源であり、時代をいくつか変えていった、熱い芸術的意志があったわけだ。その熱い意志をめぐって、アマチュアと編集者が四つになって創造の意志をたかめ合った。しかし本流を他にうばわれたこんにちのカメラ雑誌は、そうした創造の意志のかわりに、保身の意志をつよめないわけにいかなくなっている。

この点、カメラ雑誌は、まことにブザマな時代離れを演じながら、なお命脈をたもつために、熱い芸術的意志のない月例制度に若干の保償をえているかたちである。だからこんにちの月例写真というものは、積極的な写真の意志から維持されているものとは程とおく、ただただ、カメラ雑誌の消極的な保身のために――もっと端的にいえば、カメラ雑誌社の何人かが、食いっぱぐれのないために、読者のご機嫌をとりむすぶてだてに維持されている、といっても過言ではないくらいである。

皮肉な人は、これをサロニズムの偉大な遺産などと呼んでいる。たしかに月例写真というものは、サロニズム華かなりしころに発達して、サロンにおける現物の陳列を印刷化したところに、当時の大きな意義があった。部落の交流が活発になり、小さくヒネかけた写真芸術が、とにもかくにも拡大した視野の中から創造のエネルギーをうみ出していったのである。そうした遺産があればこそ、まだまだこんにちの月例も、アマチュアの一部には、純粋な創作活動のハケ口と認められ、尊重もされている。だがそれすら、こんにちの写真事情から考えると、いたましいサロニズムの後遺症のような感じがするのである。


こうした月例写真のこんにち的事情を頭にして、各誌一年分のそれをひとまとめに見るという仕事は、なかなかつらいとナットクしてもらえよう。しかもただ見るだけではなく、何百のそれらの作品から石をのぞき、玉をえらぶという段では、何がいったい石であり、玉であるのか、わかりようがない。つまりこんにちの月例写真には、その写真をささえる時代の熱い意志が、いまいったような意味で失われているからだ。仮りに月例写真を芸術としてみよう。と、芸術の本性は不変であるかもしれないが、芸術の表現は、時代に動的に反応しなければウソである。しかし、時代に動的に反応していく構造が、はたして月例写真のむかしながらの形のなかにあるだろうか。かなの疑問である。ということは、カメラ雑誌そのものが、時代に動的に反応していく構造にあるだろうか、という疑問に通じた問題でもあるからである。

写真に寄せられた時代の熱い意志というものは、とうのむかし、カメラ雑誌から逃げ出してマス・コミ一般の手に移っている。とすれば、カメラ雑誌は真剣にマス・コミの写真を超えた、"明日"の写真を探求しなければならないはずである。が、現状は片手に旧きよき時代の写真をにぎりつづけ、片手にせっせとマス・コミの落穂を拾って時代に合わせたつもりでいる。ススだらけの農家に電気洗濯機があるようなチグハグな感じである。このチグハグな"現実"を月例にも要求して、雑誌じたいが何がナニやらわからなくなっている。電気洗濯機を買うよりも、まずススだらけの家を建て直そうという熱い意志がないのである。呼びかけようという気がないのだ。

あるカメラ雑誌の編集長は、筆者にむかってこう言ったものである。「カメラ雑誌というやつは、婦人雑誌と同じでね――なるほど、どれもみな似たり寄ったりで、どれを買ったっていいようなものである。そこに熱い意志というものがあるだろうか。はたしてアマチュアはそれで満足しているのだろうか。そう思いたくはないのである。が、また別のある編集長はこう言う。「ウチは、"家の光"でね」

――だから、そんな熱い意志というもののない、たんに雑誌社員が食いっぱぐれないためにせっせとサービスするだけの、それほど値打ちの下がってしまった月例写真というものに、唯一の発表の場をもとめざるをえないこんにちのアマチュア写真から、すばらしい玉がうまれ出るなどということは、まずオトギバナシと思っていいのではないかという気がする。アマチュアに対しては、まことにいたましい気がするのである。しらずしらずに、アマチュアもまた、それが慣習であるように、好んでその空気に埋没しているのである。

そのいい例は、写真欄の全体から割り出せるのである。

たとえば、そうしたカメラ雑誌の表座敷に陳列された写真であるが、これがそもそも百貨の見本市みた(注:原文ママ)ようで、ヌードやグラマーのパートがあり、三池争議や安保斗争のパートがあり、俳句の一つもひねりたくなるような山水のパートがあり、精薄児(注:原文ママ)の絵みたいな造形のパートがあり、といったふうに到れり尽せりで、編集者の無知を証するのか、あるいは趣味の広さをあらわすのか読者にはわからないから、何んでも写して応募してみようということになって、わき座敷の月例欄までがそのヘタな縮図になる以外にない。かくて百ページに余る写真欄は、表座敷からわき座敷まで、いったい何のために印刷されなければならないのか?といったつまらない質問にも返答のできないナンセンスな文化をさらすだけで、芸術的にも、社会的にもまるっきりプラスにならない映像のハキダメに、プロもアマチュアも、せっせと写真を投げ捨てるだけである。

これでは写真が泣くだろう。だから、応募をやめろといってもやめられないアマチュアは、どうせハキダメに捨てる写真だから、せめて"捨て賃"を高くとろうと現実的になるしかない。それに対して、カメラ雑誌の"捨て賃"は余りにも安いのが、また困った問題である。

経済の二重構造ということが、最近よくいわれる。だが二重構造は、大企業と中小企業の関係のような経済のしくみにばかりあるわけではない。身近かな問題として、カメラ雑誌をささえるプロとアマチュアの関係にも、それがあらわれている。アマチュアは、何十年写真を発表しても、カメラ雑誌の二重構造のしくみの中ではアマチュアである。かれらは、この二重構造の制約の中にあえぐだけで、その写真の生命が終ってしまう。そんなところにも、アマチュアの創造のエネルギーを小さくしてしまう原因があるわけだ。


ここらで結論をのべなくてはならないが、つまり、そういう時代の熱い意志を。失った、消極的な商業主義になり下がったカメラ雑誌に、教育され、同化され、埋没していくのがアマチュアの能ではないということである。アマチュアは、それがすべての人ではないにしても、能ある人はもっと自分を大切にしなければならない。生きるために「へ」(注:原文傍点)もひれないでいるような編集者や、現代においてろくな才能もない写真家の審査に呼吸を合わせキンタマまで抜かれてしまうようなアマチュアではどうにもならない。どこまでが商業主義で、どこまでが後退主義か、見きわめのついた人はさっさとやめるベきである。時代に対する熱い意志のない写真を何十万生産しても、それはまったくイミのないはなしである。六十冊のカメラ雑誌をかなり丹念に見たところでは、まずそういった感じが第一に頭に来た。ちょっと悲しい気持である。今年度の"月例スター"に関するかぎり、ルビーのようなあやしい光りを感じさせる作家はいなかった。月例作家は年々小粒でシロウトくさくなっていくのである。このままでいけば、ついには"さくらコンテスト"のような、常識的な人生パターンや、事物の表面的な解釈でしかものの言えないアマチュアのために、輝かしかるべきアマチュア写真は全面的に押し流されていくような気がする。

月例写真は、たとえそれが雑誌の商業政策から出たことであっても、段階的な部門が幾重にもあることだし、ある部門では大いにコマーシャル・ベースを行くのもよいが、ある部門では、やはり熱い意志をもった、確信にみちた写真芸術を打ち立ててもらいたい、すくなくともその方向から一歩も外れない姿勢だけでも示しつづけてもらいたいと思う。

月例がパッとしないのも、年々小粒でシロウトくさくなっていくのも、結局するに社会的にも芸術的にも、時代と密着して行けないカメラ雑誌とアマチュアの乖離にあると思われる。アマチュアの創造的エネルギーなどという殺し文句が、批評家の口から出たのはついこの間のことだった。にもかかわらずアマチュアに潜在する創造的エネルギーの触発される面が、いまのカメラ雑誌にはほんとうに少いのである。

(「フォトコンテスト」(1960年11月号),写真同人社)

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