MINOLTA RD-175を実用にするためのTips集(速報版)
MINOTLA RD-175(1995)について
MINOLTA RD-175というデジタル一眼レフがどのような位置づけの機種であるのか。一般の流通にはのらない業務機であり大学等の研究施設や医療機関等の専門施設向けに販売された機種です。従来のMINOLTA αシステムと共通のマウントを持ち、他の附属装置を(一応)必要とせず単体で動作し、3CCDを採用することで大型化したものの、1995年という時期に100万画素を優に超える超高画質を70万を切る値段で提供した野心的なモデルはデジタル一眼レフのシェアの大部分を握ったそうですが、もちろん当時のデジタル一眼レフの市場の大きさというものは推して知るべしではあります。
取り急ぎコニカミノルタのサポートを引き継いだケンコー・トキナーのサイトで公開されている「ミノルタの歩み 1995」で紹介されている記事を引いておきます。
「3CCDを用いたデュアルグリーン・斜め画素ずらし方式によりクラス最高の175万画素相当の高画質と、一眼レフタイプとしては世界最小・最軽量を実現したデジタルカメラ」(ケンコー・トキナー ミノルタの歩み 1995)
ミノルタの歩み 1995 | コニカミノルタ製品アフターサービス - 株式会社ケンコー・トキナー
なお、こちらにあるようにRD-175、RD 3000のRDとは"Reflex""Digital"の略語です。このあたりの用語の"こなれなさ"もデジタルの本格普及前史の雰囲気を感じさせるものになっています。
さっきのK.I.Mさんの投稿でSF-1がRD-175にも使えるのではと試そうとしても出てこないのがこの部屋といういつものパターン。なお、RD-175やRD 3000の"RD"とは"Reflex""Digital"の略語であることが確定しました。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 23, 2018
デジタルカメラが一気に銀塩機を駆逐していったのはミレニアムを迎えてからですが、一眼レフにおいて銀塩35mm機をベースにした(あるいは中判)デジタル一眼レフ自体は業務機として90年代半ばには存在していました。
しかし本格的に普及するにはデジタル一眼レフはだいたいこういうものだというイメージが固まり、各社の操作性や記録形式・保存メディアなども一定の統一をみて、さらにインターネットの普及にともない母体となるPCや周辺機器が一般家庭に浸透しデジタルへの違和感が減じていくことなど、いくつかの条件が整うことが必要でした。
このあたりは追ってまとめたいところですが、レンズ交換式AF一眼レフにおける銀塩からデジタルへの移行史については別項に年表をまとめておりますのでご参照ください。
このあたりさらにデジタルカメラの前史としてはスチルビデオカメラの一群があって、業務用だっただけに一般向けの情報からは実情をとらえがたく、MINOLTAだけでもしっかり系譜を描ききれないところはあるのです。
MINOLTA の初めてのデジタルカメラはRD-175なのかスチルビデオカメラ扱いのMS-C1100なのかどちらだ…(SB70および90は除く)。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) July 5, 2018
多分、真剣に書くとするならばスチルビデオバック(SB-70/90)からMS-C1100、そしてRD-175の系譜を抑えないといけないけれども、それは無理。同時代資料もさることながら再生環境をそろえるだけで一苦労だ。そしてRD3000には覚える衝動が沸き上がらない。だから書こうとしても完成しないだろう…
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) August 13, 2018
実用のためのTips
1.ケンコー・トキナーで公開されているRD-175についてのFAQ
全16件のFAQが公開されており、画像が脱落している項もありますが、実用に当たってはかなり重要な示唆を与えてくれます。
よくあるご質問 | コニカミノルタ製品アフターサービス - 株式会社ケンコー・トキナー
2.ドライバ-およびユーティリティーソフト
コニカミノルタのサポートをひきついだケンコー・トキナーのサイトでドライバーおよびユーティリティーソフトがダウンロードできます。なお、RD-175は後述の専用形式で画像を記録するため、このソフトがなければTIFFやJPEGの汎用形式に展開できませんので必ずインストールする必要があります。手元のWindows 10環境下での正常動作を確認しています。
ダウンロード | コニカミノルタ製品アフターサービス - 株式会社ケンコー・トキナー
3.使用メディアと専用フォーマットについて
- [参考資料] 2ch過去ログ
当時は2chの全盛期なので過去ログにかなり有益な情報がまとめられています。このあたりも時代性を感じるところです。(広告に成人向けのものが出る可能性がありますので注意)
何故か無いRD175とRD3000相談室 - 2ちゃんねる勢い速報まとめ [板:デジカメ スレ:1058717677]
なるほど…専用フォーマットか…互換の筈なのに使えないのは何故かとクビをひねっておりましたが得心がいきました。これは厄介な、というか時代を感じますね。ソフトが既に手に入らなそうですが、DOSフォーマットをやってみるとしましょう。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 19, 2018
そもそもRD-175の想定する使用メディアは当時は高価だったATAカードで一応新品でも入手は可能なようですが、現在ではオークション等で中古を探すのが現実的です。
しかしより安価なで入手性のよい「CF+アダプタ」でも互換性は保たれるはずなのですがそのままでは動作しません。その理由が専用フォーマットで前述のFAQのNo.14にも有るとおりなのです。
RD-175 FAQ No.14 | |
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(よくあるご質問 | コニカミノルタ製品アフターサービス)
RD-175は環境さえ整えば単体で動作します(この一つ前の先祖であるMC-1100では専用の外部記録装置が必要です)が、このあたりが時代を感じるところで単体では当時としてはパワーが必要にだったからなのか、カードのフォーマットなどということは出来ません。PCとの接続には当時の業務用としてスタンダードであるSCSIケーブルを使用しますが、これも現在のPCでSCSIを使うには変換ケーブルを使うなど様々な工夫が必要でしょうし、それで動作するかはいまのところ確認していません。
ではどうしたらよいのか。実用としては次の方法をお勧めします。
4.バックアップされたイメージファイルを使う方法
tri-chrome (@tri_chrome)さんのアドバイスにより海外のフォーラムをご紹介いただきました。かいつまんで言うと、実際にRD-175用にフォーマットしたATAカードからイメージファイルを作り、それをCFに書き戻すことで使用するという方法です。
元記事でリンクの貼られているイメージファイルはリンク切れですが、後のコメントで再アップされておりそちらは生きています(2019/03/07 現在)のでダウンロードが可能です。いくつかポイントがありますがGoogle翻訳で充分意味が撮れると思います。
thecameracollectors.blogspot.com
ATAカードのイメージファイルは以下のリンクからダウンロードできます。
Easeus Todo Backupというソフトの専用形式(PBD)になっていますが、現行のバージョンでも問題なくイメージをCFに書き戻すことが出来ます。展開して160MBになりますのでそれ以上のサイズのCFが必要です。かなり大きなサイズのCFでも問題なく動作するようですが、もちろんどんなに大きな容量のCFでも実際に使用できるのは160MBになることに注意が必要です。
5.独自保存形式(MSVD .mdc)について
MINOLTA RD-175の保存形式はミノルタ独自のMSVD形式(拡張子 .mdc)でした。ケンコー・トキナーが未だにユーティリティソフト(及びドライバ)をホストしてくれていなければ例えSCSIで接続しても困難が待ち受けていたかと思うと…USB以前、専用ドライバが必要な辺りが90年代の記憶を思い起こさせます。 pic.twitter.com/JB7zNrkAE7
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 20, 2018
MINOLTA RD-175の保存形式は独自形式で、上述の専用のユーティリティーソフトでTIFFまたはJPEGに展開する形をとります。かなり単純なソフトなので使い方に迷うことはないでしょうがJPEGについては普及の初期も初期ということもあってかかなりクセのあるものになります。シャープなどをかけてJPEGに展開することも出来ますがあまりよい結果は生まないので、TIFFに展開してPC上でエディットすることをお勧めします。
今日はここまで(歓喜)。さすがに布団の上を片付けないと寝られない。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 19, 2018
*MINOLTA RD-175 + MINOLTA AF MACRO 50/2.8 pic.twitter.com/bdABVZSRrn
一日激しい雨であまり写せませんでした。レンズがレンズではありますが、RD 3000とは傾向が違い、ぐっと眠い印象です。色の方向性も淡いというのはあるでしょうが。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 20, 2018
*MINOLTA RD-175 + TAMRON AF SPHERICAL XR 28-300/3.5-6.3 MACRO pic.twitter.com/KHwaBtUBkk
大雨で車から出られないとこういう物を撮ってみたりするわけです。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 20, 2018
*MINOLTA RD-175 + TAMRON AF SPHERICAL XR 28-300/3.5-6.3 MACRO pic.twitter.com/SDff0RSkGc
6.ストロボの使用について
縮小光学系を使用する関係で開放F値がF6.7に固定されるため、ストロボを常用した方が融通の利く場面が多いのです。専用シューでもありドフのジャンクコーナー常連のMINOLTA形式のストロボが使用できます。
RD-175だとこんな感じ。 pic.twitter.com/XJtyf5XBFK
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) October 3, 2018
"When used with the RD-175,the guide number of flash will be 2.8 times its value at ISO 100."をどう訳したらいいのかな。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) October 3, 2018
「RD-175を使うときはISO100の場合のガイドナンバーを2.8倍せよ」でいいのか。
私はストロボについてはキチンと理解しておらず、上記の投稿のツリーにKilroy was Here (@cutnipper)さんのアドバイスがつながっていますのでご参照ください。
MINOLTA RD-175 + MINOLTA AF MACRO 50/2.8
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) October 2, 2018
WBをフラッシュに合わせ、小さな明かりのみの台所。これは驚いた。縮小のみ。 pic.twitter.com/Xhx2xu0nGl
7.RD-175の実際の写り
Web上で素晴らしいレポートがいくつか参照できます。
Fujix DS-505 (1994) と Minolta RD-175 (1995)の決闘とか...こんな夢のカードを2017年に組むブックメーカーにはぜひ投げ銭したい!だって、投稿が今年の一月よ?!無念ながらフジの完勝か…https://t.co/S34nFyemMZ
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) August 27, 2017
そして、このMINOLTA RD-175とRD 3000の撮影条件をできるだけ揃えた上での比較。世界中でここでしか見られないものだ。https://t.co/P4nCZmnQUc
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) September 22, 2018
以後必要に応じて資料を増補していきます。
(2019/03/07 作成)
(2019/03/08 改稿)
『国内版 AF一眼レフにおける銀塩からデジタルへの移行史 1985-2004(銀塩AF機の登場から終焉まで) (2018/08/16 版) 新』
(2019/03/07 宅ファイル便リンク切れを機に新規頁で再作成)
個人的興味もあって『国内版 AF一眼レフにおける銀塩からデジタルへの移行史 1985-2004(銀塩AF機の登場から終焉まで) (2018/08/16 版) 』として年表をまとめました。あくまで大まかな流れを掴むために個人的に作成した資料であり、機種名や発売日などの正確性は保証しません。ご了承の上でご利用ください。
年表作成に当たり下記の機種については掲載を検討したものの、最終的には見送りました。
(掲載を見送った機種)
京セラ 「SAMURAI」シリーズ
(大半がハーフサイズ一体型AF一眼レフ)
SONY 「Digital Mavica」シリーズ
(上級機が一体型AF一眼レフ)
ブリッジカメラの一群
OLYMPUS ”IZM”シリーズ
RICOH "MIRAI"シリーズ
CHINON "GENESIS"シリーズ など
視点を移せば当然これらを含めた考察が必要になると思いますし、例えばブリッジカメラを対象とするとAF対応ズームレンズの進化を見据えつつコンパクト機からAF一眼レフ、そして現在のネオ一眼にいたるまでの思想も浮かび上がってくるかも知れません。少なくともチノンの歴史はこの年表よりは興味深いものとして浮かび上がってくるでしょう。
また35mm AF一眼レフの市場への登場(MINOLTA α-7000)から最終機(Nikon F6)の発売までを主軸において銀塩フィルムからデジタル撮像素子への流れを大づかみにすることがこの年表作成の目的なので、前史であるフォーカスエイド機やAF専用レンズ機・試作機は除いています(年表中に記載されている一部試作機は、作成者の個人的な問題関心による)が、AFの発展史を主軸に据えるなら、当然先行するコンパクト機やポラロイドなども視野に入ってくると思います。しかしながら…
AF一眼レフの銀塩からデジタルへの移行を年表にまとめたついでにコンパクト機でもと思い立ったが、まずメーカーの多さでめげる。新技術を開発する主要メーカーに絞ったとして、次にコンパクトの起点をどこに置くかで立ち往生。そして機種多すぎで意味のある流れが視覚化できないのでギブアップ。
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) August 17, 2018
ピッカリコニカを起点にしようとしても、ストロボとコンパクトの関係からして単純でなく。網羅する形の年表でなく機構史と社会史として描くべきなのだろうが、移行史としてデジカメに踏み込もうとすると電子手帳/PDAが墓場の向こうからこちらに手を伸ばしてくるよ…https://t.co/ZvJ9d4XQBs
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) August 17, 2018
という次第です。
海外市場では地域によって発売時期や名称が違い、また海外のみの発売の機種もあ
ります。逆輸入までを考えれば2004年にはMINOLTA Dynax 40/30あたりも国内で販売されていたりして煩雑になるため掲載を見送りましたが、Kodakについてはもう少し載せ方があるかもしれないとは思います。
またこれも今回は記載を見送ったのですが中判デジタルに視線を移すとLeafやPHASE ONEがかなり早くから登場しているのに驚かされます。プロユースゆえに写りが全てに優先し、ホームユースの考えられる機種ではあり得ない極悪な運用が許され、大変高価でもありましたが、それでも確実な需要があり技術の革新は着実に進んでいったと思われるのですけれども、ここを追うのもまた作成者の力の及ばない部分です。