(2023/08/04版)永見徳太郎 写真誌等掲載記事(カメラ・写真関連中心)類 一覧
以下は永見徳太郎の主に上京(1926年)後を中心に、カメラ・写真誌、ときに総合誌に掲載された中で主にカメラ・写真に関する記事を掲載したリストである。一部、評伝的な関心からそれ以外の執筆記事も掲載し、また補足も書き入れている。
閲覧に当たっては編集中 (2023/08/04 現在) のリストであり、なお抜けが多い未完成品であることをご承知おきください。
東郷堂(戦前)と「趣味」誌「東郷堂通信」誌について
今回の更新は戦前東郷堂の「趣味」(趣味社(東郷堂))、「東郷堂通信(東郷通信)」(東郷堂)で分かっている分の掲載記事を追加したのが主な作業になる。手元にない分の記事はJCIIのレファレンスサービスで戦前東郷堂の発行した雑誌に永見徳太郎が書いた記事のリストを送っていただいたものを利用させていただいた。
「趣味」誌は暗室不要の白昼現像を利用する初心者向けカメラで有名だった東郷堂(戦前)が発行した文芸誌である。同社製カメラのファンクラブ向けの会誌として配布されるとともに、当時のカメラ流通網から締め出されていた同社製品の直売所・特約店で一般向けにも販売された。
東郷堂の最盛期には外地を含め直売店63ヶ所、特約店1000軒を構えたというからかなりの規模での流通になるが、現在入手は困難で収蔵している公共図書館はJCIIくらいであり残念ながらかなりの欠号がある。これは東郷堂とそのカメラが現在で言うロモ(ロモグラフィー)的な立ち位置であったことが関係するといえば伝わるだろうか。当時のカメラ流通網から閉め出されていたというのはそういうことである。
戦前に少年時代を送ったのちの大写真家達は、しかし東郷堂的な暗室不要・白昼現像カメラで写真とそのセンスオブワンダーに出会ったのだということは様々な伝記から読み取れることでもあるのだが。
閑話休題。「カメラ文芸誌」と名乗ったとのことだが、月例懸賞や撮影技法指導というカメラ誌的な側面と小説・漫画やその他一般文芸も幅広く載せた読みものとしての性格も併せ持った誌面だった。
「東郷堂通信」(東郷通信)は東郷堂のPR誌でもともと「趣味」誌の付録であったものが独立創刊(1936年2月)したもの。「趣味」とリンクした内容が多いがこちらに独自の記事が掲載されることもあり、今回のリストに追加されたように徳太郎に取材した記事も複数ある。
永見徳太郎と東郷堂の縁がどのように結ばれたのかは不明だが、1936年4月には確認される限り最初の記事を「趣味」誌、そして新創刊したばかりの「東郷通信」ともに掲載している。
この時期、彼は当時最高級のカメラの一つであったコンタックスの愛好者会「コンタックスの会」を佐和九郎らとともに結成(1935年(あるいは1934年))して精力的な活動をしていたころであり、一方でこの時期に入門機として最底辺に位置づけられたといっていい東郷堂とそのカメラに付き合いを深めていったというのは興味深い。
すでに過去に文字を起こしているが、1937年には「カメラクラブ」(ARS)で「東郷堂製カメラの躍進」を書いている。同号の鈴木八郎の記事などからは、永見が東郷堂製のカメラを精力的に広めようとしていた姿が浮かび上がってくるし、また後世からはなかなか見えづらい大衆のカメラ趣味の実相が垣間見えるところなのだ。
この記事を執筆した前後に永見はコンタックスの会を退会し、安カメラの研究に取り組む旨を宣言している。(ただし、この件については1939年のコンタックスの会の名簿に永見の名が載っているという萩谷剛の指摘がある)
彼と東郷堂との付き合いは30年代を通して続き、時局差し迫って1941年1月に東郷堂から改めて発行された「明快ニュース」に至るまで彼の執筆記事は確認できる。
あった!いきなり明快ニュースのなかだ。ちょうど永見徳太郎の伝記を求めたところでやはり上京後の写真家としての仕事についてはほぼ記述はなかったのだが、初心者向けのカメラ誌回りで仕事を拾えそうだ。まさか東郷堂と接続するとは…(そしてこの文章の悲しさ pic.twitter.com/JKXGFLa3OO
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) 2020年5月6日
「カメラ文芸誌」という「趣味」誌の立ち位置は、写真界に一定の立ち位置は占めていても当時の主流にはなじめなかったと思われる彼にとっては居心地のよい所だったのかも知れない。なにせこの「趣味」誌において一度は永見徳太郎の写真が表紙を飾っているのだから。
ヤバいと言いながら次々買っているが出物はそのとき抑えなければ次がない。東郷堂「趣味」誌。一番上の号の巻頭記事は永見徳太郎で表紙も彼の写真に着彩したもの。永見の写真が雑誌の表紙を飾った例があったのだ。 pic.twitter.com/0IBf4K1Aif
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) 2022年9月10日
今後の課題
そのほか「フォトタイムス」(フォトタイムス社)、「カメラクラブ」(ARS)、「AMATURE CAMERA」(紀文閣・玄陽社)などに執筆記事や作品の掲載が多数ある。ある程度は収集しているので、単著も含め、今後拡充していく。
記載分はかなりの部分で国会図書館のデジタルアーカイブを参照している。ある程度は実本が手元にあるが、国会図書館のインターネット送信の対象となっていない記事については内容が確認できていない。
そしてこの先、長崎歴史文化博物館に収蔵されている尺牘集(※書簡集)は上京前のもの、とのことだが同時に上京後の書簡も保管されているとのことで、それらの整理から終戦から失踪までの間の彼の活動がなにがしか浮かび上がってこないかということを期待している。
従来の伝記作家の視界の外にあった部分で年譜の後半で「体調を崩したか」などとされていた空白部分である。今後充実させていくことで永見の上京後の精力的な活動と彼の活動を通して浮かび上がる昭和の写真史があると考えている。
充分に追えていないが、歌舞伎座やその他の舞台においての彼の職業カメラマンとしての撮影仕事も今後発掘が進むことが期待できるのではないかと思われる。
旧来の評伝が、長崎との関わり、また芥川や菊池ら著名な文豪との関わりに傾いていることが後半生の記述の薄さにつながっている。それを補完するための作業である。あるいは、戦時中の永見の活動が見ようによっては時局におもねったととらえられかねないことからの曲筆もあったのではないか。それは永見という人間のありかたをかえって歪めるものであろうと私には思われる。
※ 赤字が今回追加したもの 青は注釈 紫は写真に直接関係ない記事
1928
・アサヒカメラ 5(4)(25),朝日新聞出版, 1928-04
記事 寫眞珍談(一)/永見德太郞 / p387~389
・アサヒカメラ 5(5)(26),朝日新聞出版, 1928-05
寫眞珍談(二) / 永見徳太郞 / p510~511
・明治文化研究,三省堂,1928-03(第四巻第三号)に「寫眞雑考(一)」
・明治文化研究,三省堂,1928-06(第四巻第六号)に「寫眞雑考(二)」
※なお、次の七号の国会特集号広告に「国家議員候補者列伝を手にして」の記事の掲載予告があるがあまりに記事が多くなったことで分冊と謂うことで掲載されず。分冊分の掲載が予告された9月号に掲載があるかは今後の課題。
・中央公論 43(6)(485),六月號,中央公論新社, 1928-06-01
ペーロン/永見德太郞 / 89~92
・アサヒカメラ 6(1)(28),朝日新聞出版, 1928-07
記事 寫眞珍談(4) / 永見德太郞 / p84~87
・アサヒカメラ 6(3)(30),朝日新聞出版, 1928-09
記事 寫眞珍談(5) / 永見德太郞 / p309~310
・中央公論 43(11)(490);十一月號,中央公論新社, 1928-11-01
關西美食祿/永見德太郞 / 209~217
・歌舞伎 第4年(12)(47),歌舞伎出版部, 1928-12
毛剃の史實 / 永見德太郞 / p78~79
1932
・東京堂月報 19(12),9月號,東京堂, 1932-09
ブック・レヴィユーから 坪内博士の高著『歌舞伎画證史話』/永見德太郞 / 34~
・アサヒカメラ 16(6)(93),朝日新聞出版, 1933-12
上野彦馬 / 永見徳太郎 / p595~597
1934
・アサヒカメラ 17(1)[(94)],朝日新聞出版, 1934-01
上野彦馬 / 永見德太郎 / p105~107
・カメラ、 ARS社, 1934-04
「写真に縁ある流行唄」
・アサヒカメラ 18[(1)][(100)],朝日新聞出版, 1934-07
第三特輯 名士アマチユア傑作集 新緑の日本アルツス / 永見德太郎 / p128~129
・アサヒカメラ 18(2)(101),朝日新聞出版, 1934-08
舞台寫眞の研究 / 永見德太郎 / p212~214
・アサヒカメラ 18[(3)][(102)],朝日新聞出版, 1934-09
寫眞放談 / 永見德太郞 / p382~383
・アサヒカメラ 1934-10
「帝都夜間撮影記」
・アサヒカメラ 18(5),朝日新聞出版, 1934-11
特輯 露出の祕訣 顯微鏡寫眞の面白味 / 永見德太郎 / p551~564
・オール女性 昭和9年4月号 表紙・島崎蓊助に寄稿あり
1935
・写真月報 40(1),写真月報社, 1935-01
文壇フオトグループの誕生 / 永見德太郞 / p108~114
・アマチユア・カメラ 4(2)(38),玄陽社, 1935-02
コダツクヂユオ六二〇の試寫 / 永見德太郞 / p123~125
・アマチユア・カメラ 4(3)(39),玄陽社, 1935-03
花談議 / 永見德太郞 / p168~172
・旅 12(4),新潮社, 1935-04
カメラは與太る/永見德太郞 / p72~73
・アマチユア・カメラ 4(6)(42),玄陽社, 1935-06
初夏の伊豆大島行 / 永見德太郞 / p371~374
・アマチユア・カメラ 4(7)(43),玄陽社, 1935-07
長崎バツテン初期時代の私 / 永見德太郞 / p474~476
・旅 12(8),新潮社, 1935-08
能登の海女達/永見徳太郎 / p144~147
・総合文化雑誌「大和」第1巻第2,3号 大和発行所に寄稿有り
1936
・アサヒカメラ 21(1)(118),朝日新聞出版, 1936-01
繪畫に現はれた寫眞 / 永見德太郎 / p116~119
・アマチユア・カメラ 5(2)(51),玄陽社, 1936-02
特輯 最近の一般寫眞界の興隆とアマチユア寫眞熱の勃興について(二) / 福原信三 ; 堀口敬三 ; 永見德太郞 ; 岡利亮 ; 塚本閣治 / p108・124~
・東郷通信(東郷堂通信),趣味社(東郷堂),1936-04, 写真趣味を勧む
・趣味,趣味社(東郷堂),1936-04, カメラ綺談 地団駄物語
・趣味,趣味社(東郷堂),1936-05 ,夜間撮影の面白味
・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
カメラを通して見た藝術家 / 永見德太郞 / p271
・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
アマチユア放言 / 永見德太郞 / p699~702
・東郷通信(東郷堂通信),趣味社(東郷堂),1936-09 , 思ひ出すまゝ
・趣味,趣味社(東郷堂),1936-09, 特集写真ページ 舞台を覗く
・趣味,趣味社(東郷堂),1936-10, 輝くメイスピイ
※ カメラ・クラブ創刊
1937
・カメラ 18(1)(187),アルス, 1937-01
ローライの夜間撮影と補力現像 / 永見德太郞 / p80~82
・ペン 2(1),三笠書房, 1937-01
カメラの選び方 / 永見德太郞 / p90~93
・アサヒカメラ 23(1),朝日新聞出版, 1937-01
強力現像の威力 舞台寫眞の結果 / 永見德太郞 / p213~216
・雄弁 28(1);新年特大號,大日本雄弁会講談社, 1937-01-01
新しき家寶/永見德太郞 / 165~165
・長崎の迎陽亭で2月21-23日にわたって所蔵品の売り立てを行う(目録有り)
永見徳太郎が昭和12年に行った美術品競売の目録。参加者のメモが残っている。池長孟に南蛮美術のコレクションを売却(のちの神戸南蛮美術館につながる)したのちもまだ相当数手元においていたらしい。池長への売却額は現在の価格で五億ともいい、この十年後、戦後永見がなぜ窮迫したのかは謎。 pic.twitter.com/6jnlzm2WPo
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) 2021年9月15日
・実業の日本 40(3),実業之日本社, 1937-02
カメラは高級品でないといけないか / 永見德太郞 / p62~63
・アマチユア・カメラ 6(2),玄陽社, 1937-02
カメラの善用惡用――爐邊讀み物 / 永見德太郞 / p145~147
・アサヒカメラ 23[(3)][(132)],朝日新聞出版, 1937-03
記事 アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p559~563
・趣味,趣味社(東郷堂),1937-03 ,カメラ今昔物語
・アサヒカメラ 23(4)[(133)],朝日新聞出版, 1937-04
續アーティスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p814~816
・趣味,趣味社(東郷堂),1937-04 ,入選作品を見て
・上方 (77),上方郷土研究会, 1937-05
サツマとヒウガと其他/永見德太郞 / 5~
・いのち 5(5),光明思想普及會, 1937-05
大衆向カメラで樂しむ / 永見德太郎 / p220~224
・カメラ ,アルス, 1937-05, 安カメラで舞台が撮れる
・カメラクラブ,ARS社,1937-05, 東郷堂製カメラの躍進
・趣味,趣味社(東郷堂),1937-06, 劇場内密話
・アサヒカメラ 24(1),朝日新聞出版, 1937-07
續々アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p145~147
・東郷堂通信,趣味社(東郷堂),1937-07, メイスピイ評判記 楽屋裏から
・趣味,趣味社(東郷堂),1937-07, フヰルターを尊重しよう
・カメラ 18(8)(195),アルス, 1937-08
舞臺寫眞でよくやる縮尻 / 永見德太郞 / p163~165
・アサヒカメラ 24(2),朝日新聞出版, 1937-08
盛夏凉風寫眞術 昔は寫眞を何と言つたか / 永見德太郎 / p404~407
・趣味,趣味社(東郷堂),1937-10, 月例懸賞写真入選作品批評
・アサヒカメラ 24(4)(139),朝日新聞出版, 1937-10
古寫眞ものがたり / 永見德太郎 / p648~651
・アサヒカメラ 24(5)(140),朝日新聞出版, 1937-11
古寫眞モノガタリ / 永見德太郎 / p785~787
・アサヒカメラ 24(6)(141),朝日新聞出版, 1937-12
古寫眞ものがたり / 永見徳太郎 / p920~922
・書物展望 7(12)(78),書物展望社, 1937-12
寫眞新聞 / 永見德太郞 / p24~29
1938
・カメラ 19(1月號)(200),アルス, 1938-01
夜間撮影の失敗防止法 / 永見德太郞 / p39~41
・アサヒカメラ 25(1)(142),朝日新聞出版, 1938-01
虎笑五題 / 永見德太郞 / p106~107
・東郷堂通信,趣味社(東郷堂),1938-02, それ以来百年
・カメラ 19(3月號)(202),アルス, 1938-03
咲いた咲いた櫻の花が / 永見德太郞 / p260~261
・アサヒカメラ 25(3)(144),朝日新聞出版, 1938-03
愉快な記念寫眞 / 永見德太郎 / p438~440
・アサヒカメラ 26(1)(148),朝日新聞出版, 1938-07
女形扮裝寫眞笑話 / 永見德太郞 / p115~116
・アサヒカメラ 26(2)[(149)],朝日新聞出版, 1938-08
尾上菊五郞丈寫眞美談 / 永見德太郞 / p334~335
・カメラ 19(12),アルス, 1938-12
幽靈寫眞を撮る / 永見德太郞 / p600~601
1939
・アサヒカメラ 27(1)(154),朝日新聞出版, 1939-01
偲べ聖戦其舞台劇 / 永見徳太郞 / p104~106
・カメラ 20(4),アルス, 1939-04
忠君愛國劇を寫すには / 永見德太郞 / p466~469
・江戸と東京,江戸と東京社,1939-06(第五巻復活第四号)に「高遠紀行 絵島をしのぶ」
整理中。永見徳太郎のエッセイ「絵島を偲ぶ」の原稿なのだけれど推敲の過程が見える。旦那文士と言われる徳太郎だがそれだけ真剣に文章に向かっているとは言える。 pic.twitter.com/OoZHnK9u7m
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) 2023年3月21日
・カメラ 20(9)(220),アルス, 1939-09
どの座が舞臺撮影を許すか / 永見德太郞 / p352~354
・アサヒカメラ 28(4)(163),朝日新聞出版, 1939-10
秋の撮影旅行異聞 / 永見德太郞 / 697~698
・カメラクラブ,ARS社,1939-10
古レンズにて代用の望遠レンズ
コラム執筆
カメラクラブ三周年記念よもやま座談会に参加
※ カメラクラブ3周年記念倍大号の座談会に参加。そうそうたる出席者の中に永見の姿がある(写真あり)。
座談会に永見は半袖シャツにサスペンダーで参加している。余り見ない姿だ。そしてどうやら、彼がアマチュア写真の先達の一人であることは衆目の一致するところではあったらしい。 pic.twitter.com/My9ei3dJ6d
— 播磨屋 市蔵 (@afcamera_mania) 2021年5月16日
・趣味,趣味社(東郷堂),1939-10, 家庭写真の提唱
1940
・カメラ 21(1)(224),アルス, 1940-01
迎春祈世 / 永見德太郞 / p114~117
・旅 17(4),新潮社, 1940-04
櫻二題/永見德太郞 / p56~57
・カメラ 21(4)(227),アルス, 1940-04
下田と寫眞の因縁 / 永見德太郞 / p414~417
・旅 17(5),新潮社, 1940-05
旅に出た下岡蓮杖/永見德太郞 / p76~78
・政界往来 = Political journal 11(6),政界往来社, 1940-06
カメラ雜音 / 永見德太郞 / p230~232
・写真新報 50(9),写真新報社, 1940-08
樂屋裏秘帖 / 永見德太郎 / p6~8
・カメラ 21(11)(234),アルス, 1940-11
村童と子供 / 永見德太郞 / p504~506
1941
・明快ニュース,東郷堂,1941-01, 新春の写材
・日蘭協会会報,東京・日蘭協会,1941-02,日・蘭印通行回顧号に「日蘭親善・混血児の記録」
・写真研究(月刊國際藝術寫眞雑誌GALERIE 改題),ガレリー・ニツポン・プレス,第五巻二号,1941.03,のp51に近況報告
・自警,自警会(警視庁内),1941-06に「江戸時代の奢侈品禁止」
・黒船 18(7),黒船社, 1941-07
私の舞台寫眞 / 永見德太郞 / p24~25
・國民演劇 1(6),牧野書店, 1941-08
舞臺寫眞の撮影 / 永見德太郞 / p114~118
・黒船 18(11),黒船社, 1941-11
第二回寫眞展目録 / 永見德太郞 / p21~23
1942
・サンデー毎日 昭和17年5月10日号,大阪毎日新聞
ヒンヅー教の祭礼
1943
・旬刊 美術新報 第65号 昭和18年7月上旬号 ヂォットオと北宗画
黄檗僧と北宗画
・旬刊 美術新報 第50号 昭和18年2月上旬号 アフリカ美術・南蘋派
長崎の沈南蘋派
1947
・心の花 51(10)(588),竹柏会, 1947-10
十月集--(その二)「わが文わが歌」と長崎 / 永見徳太郎 / p17~18
・心の花 51(11)(589),竹柏会, 1947-11
三人集 / 永見徳太郞