書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

永見徳太郎(1937)「安カメラで舞台が撮れる」(「カメラ(1937年5月号)」ARS社)

佐和九郎・永見徳太郎らが中心になって1935年に結成されたコンタックスの会はコンタックスの愛好者団体としては世界初だったらしい。写真誌に掲載された愛好者団体の活動報告を拾っていくと例会だけでなく撮影会や展覧会などを定期的に開くとともに各地に次々と支部が結成されていっていることが読み取れ、かなり活発な動きを見せている。

永見徳太郎はこの会の顧問等を務めていて初期の連絡先は永見邸になっている。ただし永見は1937年の上半期、この文章の末尾で触れられている通り、掲載号が出た5月までにはコンタックスの会を退会している。タイミング的には同じARS社でも「カメラクラブ」に書き始めて東郷堂をプッシュし始めるあたりで、まさに同月発売のカメラクラブに彼は「東郷堂製カメラの躍進」を書いていた。このあと彼は東郷堂(趣味社)発行の月刊誌(総合誌)「趣味」や広報誌「東郷堂通信」の執筆陣の常連になっていく。

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ここにどのような心境の変化があったのか「改良改良と新型を見せ付けられては経済上破綻を来しそうなので遂に私はこの圏外から逃げ」たと書いているが、次第に彼を追い詰めていくことになる経済的な問題はなかったか。この年、彼はまだ手元に残っていた美術品を地元長崎で競売にかけている。

また、このあと日中戦争がぼっ発し様々な統制が実施されていくことになるが、そのような空気の変化を読んでいたところがあるのかもしれない。

なお、1941年の官報で残務整理委員が指定されているのでコンタックスの会の解散は時局的にもこの頃だろうと思われる。

 

※ 永見徳太郎(1950年 逝去)の著作権の保護期間は終了している。

※ 掲載にあたってこれまでとは方針を改め、字体は当用のものに改め、補助語はひらがなにし、一部組み版ルールに従って省略された句読点を補うなどしている。あくまで個人研究用のメモである。「カメラ」の該当号は国会図書館の個人向け送信サービスで閲覧可能なので必要な方はそちらをあたっていただきたい。

 

安カメラで舞台が撮れる
永見徳太郎

イカコンタックスの出現は、たしかに現代写真熱に、拍車をかけたモード品として、近代生活者の嗜好に適したのであるが、最近の情勢や如何、将来は益々進展するか等の論は、此処ではしない。

イカと呼べば、写真と答えるほどの人気を持つ頃、私も数ヶ年間両者を使用したが、改良改良と新型を見せ付けられては経済上破綻を来しそうなので遂に私はこの圏外から逃げてしまった。

夜の帷中にあつて、流動美を写しとどめるには、高価な代物が便利であることは分りきって居るけれど、職業人は別だが、一般の人々でカメラだけが身分不相応な豪華品ではどうかと思う。幸いに現代では感光材料の上に昔とは格段の差を生じ、年に月に秀逸なのが輩出し、露出がかなり短縮されていることを忘れてはならない。そのうえに現像方法には強力現像なるものが存在して露出不足をかなりの程度まで補ってくれるので思いがけない収穫さえキャッチし得る。

今日のカメラ道では、高級カメラでなくばいけないの理由は成り立たない。高級高価カメラを持ったとて威張る必要もなければ、持たないからとて肩身狭く感ずる理由も無い。

安カメラで舞台を狙うのは一般に困難中の困難とされて居るから、実例を一つ。

断っておくが、私は高価品と羨望されるカメラを持たぬのじゃない。中級品もまた安カメラも愛撫中で第二号第三号と十数号まで備えているのだ。持たないではあるいは使わないで豪華級と安カメラの比較談議を初めているのじゃない。F:1.5 級レンズで、夜の傑作を作ったと天狗になっても、当たり前で自慢する神経が怪しい。私が近頃愛用のカメラはコダック・ボックス・カメラのワンエー判、現在驚く代物じゃない。実を申せば中野の古写真機店で捜し出したので大枚2円50銭払って抱えて帰った古代品。ずっと奥にレンズが鎮座して、覗くと埃の煙幕、耳かき棒にハンカチを巻きつけ、掃除してもまだ汚くて手がつけられぬ。F数は記してないがまずF:11より幾らか暗いと思われる。何か試そうと、さくらクロームを入れてやってみた。A店の電気照明室に入って、カメラを手摺に置き、片手でそのボックスの重箱形をしっかり押さえる。三脚穴さえ無いからおどろく。

シャッターは1/20程度のが一つ有るっきり、バルブもできない、タイムがあるばかり。そのうえ、絞りはなくて明け放しだけ。でも縦横の両位置にスリガラスのファインダーが有るには有るが、朦朧としている。何しろ栄養不良で、 ややともすれば危なっ気な破綻だらけの外観、何百円の高級品に比べたら殿様と足軽。その足軽で大名気分を見せようとすればホネではあるが、それが面白くてたまらない。「フィルムだけ高感度の高級品にすれば良かった」との苛立たしさを自制して、ここぞと思うところで静かにタイムのレバーを押さえ、胸のなかで時間を数える。舞台の人物が不意に動くんじゃないかと気になる。安カメラの最大欠点は、暗い鏡玉付なのだから、躍動の迅速なのは閉口である。

レヴュウは激しいテンポの変化がおこるが、旧劇はスロー状態がポツポツ有るので、呼吸を心得ておけば救われる。結局五枚撮った。一秒、二秒、三秒の三種露出、微粒子現像で三秒のが少し過度、他は予想外の良成績、画像の鮮明な点にすっかり敬服し、高尊安卑の考えをもつ人に知らせてあげたい。その後、ライカ党の俳優坂東鶴之助君が来遊したので、この引伸を見せると「へえ」とカメラと見比べ驚きの表情をした。私の作品でコンタックスやライカ、ロライフレックス其他のと、このボックスのと一緒にならべても、決して遜色がないんだから、カメラ術は面白い。

五枚の試写の中で、動作の早いのを一枚撮ったのがある。朝比奈が、手足を非常に動揺させる舞である。タイム三秒だから、現像のあと眺めると、白い煙のやうに衣裳がポヤポヤ認められるだけ、それが中村福助君扮する朝比奈である。こんなに動く場合は前後のシャッターが切られる高級品には及ばないが、普通の舞台は大丈夫という自信を得たのである。

一定の距離より離れると、安カメラの有難いことには、固定焦點だから、ヤレ自動焦点距離計がどうとかと、文句が起こらないのである。2千円以上のをブルジョアは唯一人が持つのだが、一個2円づつのカメラを千人が楽しむとすれば、カメラ発達の為には、大変な問題である。 一部少数の専有に帰するより大衆万人の慰安愉悦を求めるのが普及繁栄策にもなろう。

だから、その2円50銭のに上質のフィルムおよび強力現像をほどこせば、 1/2以上1/10位のスローシャツター露出を手加減で行い、少しくらいの動きなら目的が達せられるのである

明るい高価なレンズを用いなければ、夜の世界の被写体を逃すと説を為す者も、以上の実験で、蒙を啓く源を知り得たであらう。

安カメラそのものが、至極簡単な構造だから故障が起きても、修繕も難しくない。また雨に波に濡れても、金属製の部分が少ないから、鯖の心配も無用。ぞんざいに扱っても頑固で壊れない、仮に損傷したところで借しくない。

高級品を欲しいばかりに悪事を働いたり、また盗難が頻々と起こるそうだが、安カメラにはそうした不祥事を耳にしないだけでも朗らかだ。 安カメラ自身の力を知っておけば、使用範囲も多いコンタックスの会の創立者自身の私が飜然悟る処あってかどうか知らないが、今は同会をサッサと脱退して安カメラの研究に身をやつしている。

(作例として永見撮影による「白浪五人男 濱松屋」「源義朝」「壽草摺」の三点と佐藤晴雄提供の「三人吉三」 が掲載されているが省略。撮影データは文中にあるとおり。前述の通り「カメラ」の該当号は国会図書館の個人向け送信サービスで閲覧可能なので必要な方はそちらをあたっていただきたい)

 

(注釈)
* 2円50銭、2千円 = 貨幣価値を現在に換算するのは難しいが、戦前はおよそ2000倍が一つの目安になる。とすると2円50銭が5千円、2千円が400万円というところだろうか。前者が現状(2023年現在)の写ルンです+αレベルのレンズ交換式カメラ、後者が中判デジタルとしてみると近いだろうか。昭和12年の高等官・初任俸給月額が75円とのこと。
* レビュウ = 踊り・歌・寸劇 などで構成された舞台芸能、歌劇。レビュー。
* 旧劇 = 歌舞伎のこと
* 板東鶴之助 = 歌舞伎役者の名跡
* 中村福助 = 歌舞伎役者の名跡
* 朝比奈 = 朝比奈義秀、ここでは歌舞伎の演目の登場人物