永見徳太郎(1937)「東郷堂製カメラの躍進」(「カメラクラブ(1937年5月号)」ARS社)
※ 以下は「カメラクラブ(1937年5月号)」に掲載された永見徳太郎による記事である。この号の特集は「大衆カメラの研究」であり、1937年当時の大衆の写真熱とその層にむけて売られた大衆カメラの実情が取り上げられている。
※ 永見は東郷堂製カメラについて取り上げている。東郷堂は円カメラの代表メーカーとして記憶されているが、創業から7年、この頃にはより本格的な大衆カメラメーカーとして発展を遂げていた。この記事だけでなく、巻頭の覆面座談会記事「大衆カメラ研究座談会」でも東郷堂については触れられており、合わせて読むと当時の実情が浮かび上がってきて興味深い。銅座の殿様とまでいわれライカもコンタックスもなんとなればローライフレックスも所有し使いこなした(当時のカメラ誌に記事を書いている)大富豪の永見が最底辺から始まった東郷堂とどのように縁を結んだのかは今後の課題だが、かえって大富豪であるからこそ(ライカ・コンタックス論争が実際にはそれらを所有できないファンの間で繰り広げられたらしいことと対照的に)ライツもツアイスも東郷堂もフラットに見ることが出来たのだろうか。
※ なお、文中で具体的にどのメーカーとは言っていないが当時超弩級品と言われた高価な舶来機種について「レンズにしろボデイにしろ,小住宅建設可能の代金と同じ價値があるのだから」と書いているのは、議論になりやすい当時のライカやコンタックスの市場価値を考える傍証にはなるだろう。また、この場合おそらくは土地代は含まないことは述べておく。
※ 字体等は文中のものに従ったが、一部組み版ルールに従って省略された句読点を補うなどしている。あくまで個人研究用のメモである。
東郷堂製カメラの躍進
永見德太郎
日本寫眞史初まつて以来の大流行が,現在である事は,誰人も異論はないであらう。人の浪には,カメラの山である。
ところが,やゝともすれば,或は研究に,或は記録に,或は藝術を主に撮影をすることより,豪華級カメラを所有するといふ一種の物識慾と見榮坊の存在するのは,残念だ。
商賣の爲めなら別だが,一般素人に数千圓も数百圓ものが,必ずしも入用なのであらうか。私は昭和七不思議の一つに數へたてゝいゝ位,見かけの華麗なのをアチラでもコチラでも眼にする。心臓の弱い者は顔負けするので,撮影會にも「僕のは舊式でとかこんな安いのじや」なんて,僻易の歪んだ聲をしきりに聞く。
誰だって,襤褸より寶石の貴重さは知らうが,藝術に國境無しと同樣,慰安に何のへだゝりが有らうゾ。輕蔑視されたつて,物質慾の奴隷となつてはいけないじやないか。
髙價品必ずしも萬能で,百點満點と過信しちやならぬ。武士は喰はねど高楊枝の氣風も大切だ。躍り出さうといふカメラ界にモロモロのサムライが外觀の優劣さに嚇かされる意気地なしじやダメだダメだ。進取的氣質を持ち身分相應なので腕を磨く方が上達の第一歩だらう。
メイコーC號 ●f::8 ●1/25秒 ●東郷クロームフイルム
メイコーC號 ●夜間●寫眞電球使用●f:6.3 開放 ● 約1秒 ●東郷クロームフイルム
そういふ私は,何も髙價品に對し怨嗟も無く,たゞ大衆と朗かに共に手を繋結し,安價のに不自由なところが有るとしても,研究をつゞけて行き度い心願なのである。超弩級艦式と呼ばれる各種のものを数年試めしてはみたが,假に傑作を生んでも考へてみれば當然過る當然サである。レンズにしろボデイにしろ,小住宅建設可能の代金と同じ價値があるのだから。
安價なカメラが近來増加する傾向は,カメラ知識の普及上嬉しき極みで有る。舶來品を絶對排斥する意志は私には無いが,國產奬勵に就いては大きい望みを持つてゐる。日本で,例へばコンタツクスやライカやロライフレツクスと同等のが作製されるとせば,安値だらうから使用者が激增するだらう。
國產品の發展しつゝある中で,注目す可き東鄕堂製カメラが躍進中なのは愉快だ。諸者の中に御記憶があらう。大衆カメラと銘打つて1圓のを店頭で聲を嗄らし宣傳を開始したその東鄕堂製が僅々7ヶ年間に澤山の種類のものを作り,優秀な然もスマートで一見豪華級に變りなく,其上獨創豐かなのを最近發表してゐるので,筆者はある時會社首腦部に其譯を聞くと一般大衆の要求に應じ,大衆向カメラを作る念願で,初期のカメラを何時迄も作るといふ事に滿足せず,眞の大衆向のため20圓,30圓といふ初期から見れば高價品に迄發展し,今後ドシドシ邁進する方針であるといふ樣な話であつた。
メイスピー3號 ●f:6.3 ●1/25秒 ●東鄕クロームフイルム
メイスピー3號 ●f:6.3 ●1/25秒 ●東鄕パンクロフイルム
初期のはシヤツターには充分と言ふ事が出来なかつた。又鏡玉も暗かつたが,今や面目を改め T. B. 1/25,1/50, 1/100等で普通不便を感じなく正確になり,レンズもf:4.5 焦點距離50.nmが作られ,使用して「ほゝツ」と驚嘆せぬわけにはいかぬ目ざましき進歩である。
アンスコ判よりやゝ大きいメイコーカメラの市販より間もなく, ライカ判よりやゝ大きいメイスピーの登場「何んだ東鄕」と笑つた人達にも, 侮りがたい强味を近來示して來た。
メイスピーの外觀は美麗, カメラレンズとフアインダーレンズの2個がつき, 機體上部にはピントグラスさへあるばかしでなく, 透視フアインダーも備へられライカやコンタツクスおまけにローライを混同した形式に似, 速寫にも便利であるから頼もしい。
最新型のは近接撮影補助レンズが取外し自由に, 水準器の蓋になつてゐる等は, 如何に些細な部分にも, 神經を忠實に使つてゐるかが分らう。速寫ケースに入れ颯爽と携帯する時は, 是が破格廉價なので有るのかと, 再び驚かされるであらう。
そのカメラ用フイルムも一段の良さを加へ, 殊にパンクロはオーソパンタイプで, 感光度も速く, 中々優秀である點は私も認め得るのである。
附屬品にはフイルター, 三脚, 現像液, タンク, 引伸機其他一通り揃へられ, 何の不便もなく, 昔日の東鄕堂製カメラにあきたらなかつた連中には,現在のメイコー・カメラとメイスピー・カメラは,格段の相違で有るかがハッキリしやう。
メイスピー3號 ●f:8 ●1/100秒 ●東鄕クロームフイルム
東鄕堂製カメラの特異さは,白晝現像が簡單に行はれるので,素人でもスグ使用法はおぼへられやう。都市には同社直營の販賣所が設けてあるから,其處へ馳けこめば,撮影から現像,引伸迄叮嚀に教へてくれる。
今日型の東郷堂カメラは,我が寫眞界に於て注目していゝと思ふのである。
私は昨年,江之島で同社主催撮影會に参加し,意外に思ったのは,知識階級が多かつた事,又あらゆる階級をフアンに持つ等で,當日朝からの雨にもかゝはらず百の會員が皆ズブ濡れになつて熱心で,その上松竹の人気男女優モデルを狙ふにも,我勝ちと爭ふやうな人を見かけなかつたのを,今でも嬉しい思ひ出としてゐるのである。そして名作を連發してゐる作家や,知名の方々も多く混じつてゐられたので,同機の將來の爲め心強しとしたのであった。
大衆向カメラに着眼しないで,いたづらに高價品を羨望するのは,却って新時代に取り残されるとしても仕方がないのである。
東郷堂製に限らず,割安品にとても優良なのが全寫壇に光り輝き初めつゝあるのを,ウッカリ見落すのは損であらう。
よい寫眞を得るには,要するに値段の高下に拘らず實驗に愼重であれば,傑作を爲し與ふわけである。
永見徳太郎 1937 「東郷堂製カメラの躍進」
(出典「カメラクラブ(1937年5月号/第2巻第2号)」ARS社,pp.22~23)
(編集メモ)永見徳太郎 写真誌等掲載記事(カメラ・写真関連)一覧
(以下の記事は更新終了し別項で編集している→ 最新版)
※ 以下は永見徳太郎の上京(1926年)後に、カメラ・写真誌を中心に、ときに総合誌に掲載された中で主にカメラ・写真に関する記事を抜き出したものである。一部、個人的な関心で長崎に関する記事や詳細不明の記事も載せているが、基本的にはそれらは省略している。従来の伝記作家の視界の外にあった部分で年譜の最後のあたりで「体調を崩したか」などとされていた空白部分であり、今後充実させていくことで永見の上京後の精力的な活動と彼の活動を通して浮かび上がる昭和の写真史があると考えている。
※ 国会図書館のデジタルアーカイブを参照している。ある程度は実本が手元にあるが、国会図書館のインターネット送信の対象となっていない記事については内容が確認できていない。
※ 編集中(2021/01/06)のものであり、抜けが多い。「カメラクラブ」(ARS)、「趣味」(趣味社(東郷堂))、「東郷堂通信(東郷通信)」(東郷堂)にも執筆記事や作品の掲載が多数ある。ある程度は収集しているので、単著も含め、今後拡充していく。
※ 充分に追えていないが、歌舞伎座やその他の舞台においての彼の職業カメラマンとしての撮影仕事も今後発掘が進むことが期待できるのではないかと思われる。
※ そしてこの先、長崎歴史文化博物館に収蔵されている尺牘集(※書簡集)は上京前のもの、とのことだが同時に上京後の書簡も保管されているとのことで、それらの整理から終戦から失踪までの間の彼の活動がなにがしか浮かび上がってこないかということを期待している。
1928
・アサヒカメラ 5(4)(25),朝日新聞出版, 1928-04
記事 寫眞珍談(一)/永見德太郞 / p387~389
・アサヒカメラ 5(5)(26),朝日新聞出版, 1928-05
寫眞珍談(二) / 永見徳太郞 / p510~511
・中央公論 43(6)(485),六月號,中央公論新社, 1928-06-01
ペーロン/永見德太郞 / 89~92
・アサヒカメラ 6(1)(28),朝日新聞出版, 1928-07
記事 寫眞珍談(4) / 永見德太郞 / p84~87
・アサヒカメラ 6(3)(30),朝日新聞出版, 1928-09
記事 寫眞珍談(5) / 永見德太郞 / p309~310
・中央公論 43(11)(490);十一月號,中央公論新社, 1928-11-01
關西美食祿/永見德太郞 / 209~217
・歌舞伎 第4年(12)(47),歌舞伎出版部, 1928-12
毛剃の史實 / 永見德太郞 / p78~79
1932
・東京堂月報 19(12),9月號,東京堂, 1932-09
ブック・レヴィユーから 坪内博士の高著『歌舞伎画證史話』/永見德太郞 / 34~
・アサヒカメラ 16(6)(93),朝日新聞出版, 1933-12
上野彦馬 / 永見徳太郎 / p595~597
1934
・アサヒカメラ 17(1)[(94)],朝日新聞出版, 1934-01
上野彦馬 / 永見德太郎 / p105~107
・カメラ、 ARS社, 1934-04
「写真に縁ある流行唄」
・アサヒカメラ 18[(1)][(100)],朝日新聞出版, 1934-07
第三特輯 名士アマチユア傑作集 新緑の日本アルツス / 永見德太郎 / p128~129
・アサヒカメラ 18(2)(101),朝日新聞出版, 1934-08
舞台寫眞の研究 / 永見德太郎 / p212~214
・アサヒカメラ 18[(3)][(102)],朝日新聞出版, 1934-09
寫眞放談 / 永見德太郞 / p382~383
・アサヒカメラ 1934-10
「帝都夜間撮影記」
・アサヒカメラ 18(5),朝日新聞出版, 1934-11
特輯 露出の祕訣 顯微鏡寫眞の面白味 / 永見德太郎 / p551~564
・オール女性 昭和9年4月号 表紙・島崎蓊助に寄稿あり
1935
・写真月報 40(1),写真月報社, 1935-01
文壇フオトグループの誕生 / 永見德太郞 / p108~114
・アマチユア・カメラ 4(2)(38),玄陽社, 1935-02
コダツクヂユオ六二〇の試寫 / 永見德太郞 / p123~125
・アマチユア・カメラ 4(3)(39),玄陽社, 1935-03
花談議 / 永見德太郞 / p168~172
・旅 12(4),新潮社, 1935-04
カメラは與太る/永見德太郞 / p72~73
・アマチユア・カメラ 4(6)(42),玄陽社, 1935-06
初夏の伊豆大島行 / 永見德太郞 / p371~374
・アマチユア・カメラ 4(7)(43),玄陽社, 1935-07
長崎バツテン初期時代の私 / 永見德太郞 / p474~476
・旅 12(8),新潮社, 1935-08
能登の海女達/永見徳太郎 / p144~147
・総合文化雑誌「大和」第1巻第2,3号 大和発行所に寄稿有り
1936
・アサヒカメラ 21(1)(118),朝日新聞出版, 1936-01
繪畫に現はれた寫眞 / 永見德太郎 / p116~119
・アマチユア・カメラ 5(2)(51),玄陽社, 1936-02
特輯 最近の一般寫眞界の興隆とアマチユア寫眞熱の勃興について(二) / 福原信三 ; 堀口敬三 ; 永見德太郞 ; 岡利亮 ; 塚本閣治 / p108・124~
・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
カメラを通して見た藝術家 / 永見德太郞 / p271
・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
アマチユア放言 / 永見德太郞 / p699~702
※ カメラ・クラブ創刊
1937
・カメラ 18(1)(187),アルス, 1937-01
ローライの夜間撮影と補力現像 / 永見德太郞 / p80~82
・ペン 2(1),三笠書房, 1937-01
カメラの選び方 / 永見德太郞 / p90~93
・アサヒカメラ 23(1),朝日新聞出版, 1937-01
強力現像の威力 舞台寫眞の結果 / 永見德太郞 / p213~216
・雄弁 28(1);新年特大號,大日本雄弁会講談社, 1937-01-01
新しき家寶/永見德太郞 / 165~165
・実業の日本 40(3),実業之日本社, 1937-02
カメラは高級品でないといけないか / 永見德太郞 / p62~63
・アマチユア・カメラ 6(2),玄陽社, 1937-02
カメラの善用惡用――爐邊讀み物 / 永見德太郞 / p145~147
・アサヒカメラ 23[(3)][(132)],朝日新聞出版, 1937-03
記事 アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p559~563
・アサヒカメラ 23(4)[(133)],朝日新聞出版, 1937-04
續アーティスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p814~816
・上方 (77),上方郷土研究会, 1937-05
サツマとヒウガと其他/永見德太郞 / 5~
・いのち 5(5),光明思想普及會, 1937-05
大衆向カメラで樂しむ / 永見德太郎 / p220~224
・アサヒカメラ 24(1),朝日新聞出版, 1937-07
續々アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p145~147
・カメラ 18(8)(195),アルス, 1937-08
舞臺寫眞でよくやる縮尻 / 永見德太郞 / p163~165
・アサヒカメラ 24(2),朝日新聞出版, 1937-08
盛夏凉風寫眞術 昔は寫眞を何と言つたか / 永見德太郎 / p404~407
・アサヒカメラ 24(4)(139),朝日新聞出版, 1937-10
古寫眞ものがたり / 永見德太郎 / p648~651
・アサヒカメラ 24(5)(140),朝日新聞出版, 1937-11
古寫眞モノガタリ / 永見德太郎 / p785~787
・アサヒカメラ 24(6)(141),朝日新聞出版, 1937-12
古寫眞ものがたり / 永見徳太郎 / p920~922
・書物展望 7(12)(78),書物展望社, 1937-12
寫眞新聞 / 永見德太郞 / p24~29
1938
・カメラ 19(1月號)(200),アルス, 1938-01
夜間撮影の失敗防止法 / 永見德太郞 / p39~41
・アサヒカメラ 25(1)(142),朝日新聞出版, 1938-01
虎笑五題 / 永見德太郞 / p106~107
・カメラ 19(3月號)(202),アルス, 1938-03
咲いた咲いた櫻の花が / 永見德太郞 / p260~261
・アサヒカメラ 25(3)(144),朝日新聞出版, 1938-03
愉快な記念寫眞 / 永見德太郎 / p438~440
・アサヒカメラ 26(1)(148),朝日新聞出版, 1938-07
女形扮裝寫眞笑話 / 永見德太郞 / p115~116
・アサヒカメラ 26(2)[(149)],朝日新聞出版, 1938-08
尾上菊五郞丈寫眞美談 / 永見德太郞 / p334~335
・カメラ 19(12),アルス, 1938-12
幽靈寫眞を撮る / 永見德太郞 / p600~601
1939
・アサヒカメラ 27(1)(154),朝日新聞出版, 1939-01
偲べ聖戦其舞台劇 / 永見徳太郞 / p104~106
・カメラ 20(4),アルス, 1939-04
忠君愛國劇を寫すには / 永見德太郞 / p466~469
・カメラ 20(9)(220),アルス, 1939-09
どの座が舞臺撮影を許すか / 永見德太郞 / p352~354
・アサヒカメラ 28(4)(163),朝日新聞出版, 1939-10
秋の撮影旅行異聞 / 永見德太郞 / 697~698
1940
・カメラ 21(1)(224),アルス, 1940-01
迎春祈世 / 永見德太郞 / p114~117
・旅 17(4),新潮社, 1940-04
櫻二題/永見德太郞 / p56~57
・カメラ 21(4)(227),アルス, 1940-04
下田と寫眞の因縁 / 永見德太郞 / p414~417
・旅 17(5),新潮社, 1940-05
旅に出た下岡蓮杖/永見德太郞 / p76~78
・政界往来 = Political journal 11(6),政界往来社, 1940-06
カメラ雜音 / 永見德太郞 / p230~232
・写真新報 50(9),写真新報社, 1940-08
樂屋裏秘帖 / 永見德太郎 / p6~8
・カメラ 21(11)(234),アルス, 1940-11
村童と子供 / 永見德太郞 / p504~506
1941
・黒船 18(7),黒船社, 1941-07
私の舞台寫眞 / 永見德太郞 / p24~25
・國民演劇 1(6),牧野書店, 1941-08
舞臺寫眞の撮影 / 永見德太郞 / p114~118
・黒船 18(11),黒船社, 1941-11
第二回寫眞展目録 / 永見德太郞 / p21~23
1942
・サンデー毎日 昭和17年5月10日号,大阪毎日新聞
ヒンヅー教の祭礼
1943
・旬刊 美術新報 第65号 昭和18年7月上旬号 ヂォットオと北宗画
黄檗僧と北宗画
・旬刊 美術新報 第50号 昭和18年2月上旬号 アフリカ美術・南蘋派
長崎の沈南蘋派
永見徳太郎 1932 『珍しい写真』粋古堂 序文
永見徳太郎が1932に粋古堂より出版した『珍しい写真』の序文を起こしました。
永見徳太郎(1950年 逝去)の著作権はあらゆる意味で切れており、また国会図書館の公開する「インターネット公開(保護期間満了)」にあたるデータですので公開に問題ありません。
彼はこの序文の中で「日本で最初に個人での写真集(写真画集)を出したのは自分だ」と言っていますが、これは「写真集とは何か」を含めて議論になるところです。
一応、本文を尊重して旧字体と歴史的仮名遣いで起こしていますが、現代仮名遣いになっている部分などミスがあったらすいません。(※ 現代仮名遣い版もつくりました)
あくまで自分用のメモです。利用はご自身の責任にてお願いします。
なお、本文中の形式段落頭の字下げは改行にて代用しています。ご了承ください。
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序
日本に於ける寫眞發達の正確な歴史が、未に不完全で、たゞ斷翰零墨に依って、僅かにつなぎ合せた感が、私の少年時代よりつゞいて居る事を遺憾に思ふて居るのである。
その未完成の物を完成したいといふのが、永年の私の希望で、現在でも努力をしてゐるのであるが、實は、寫眞に對しては、妙な因縁が絡つてゐる譯があるのである。
私は、少年時代に寫眞術に熱心であつた。そうして自分で言ふと可笑しいが、藝術寫眞の黎明期に於て、朦朧寫眞を好んで製作し、當時は、ほんの一部に歡迎をうけたが、此のフオーカスは、非常な勢ひをもつて其の後流行して居るのである。其に又、個人の寫眞畫集を發行したのも私が日本最初であつた。寫眞術には自分自身關係があつたばかりでなく、私の家は、和蘭陀屋敷の貿易品を取扱つてゐたので、西洋藥種の賣買もしてゐたことがある。その中に、寫眞術に必用な藥品があつたのは述べる迄もないであらう。
その上、私の生れた故郷が異國情調の長崎港で、日本最初の寫眞が傳はつた土地柄だけに、多くの寫眞家が輩出したのであつた。その中でも、上野彦馬と内田九一の兩先生は、先覺者中の偉才に違いない。
其内田先生が、私の遠縁にあたり、又上野先生には、幼年の頃撮影をして戴いた思ひ出もある。と言ふ様な繋であるから、私は「日本寫眞史」を完了せねばならぬと考へてゐる如く、私を其著者 として適任だと推奨して居る知人も多い様な次第である。
少年時代に、古い寫眞が、何んとなく私を引付けたのが動機となつて、今日迄蒐集した年月の春秋が二拾數回を重ね、古寫真が約壹萬葉に達せんとしてゐるのである。
寫眞鏡は、生血を吸ふとか、切支丹伴天連の法だ等と抱腹絶倒時の物より、日清戰爭後までのを一々手に取つて眺めると、維新時代の空氣も、文明開化の臭ひも、昔の風景を殘す懐かしみも、此寫眞の力ではなくて、何んぞやと叫びたくなる位だ。
開國の大政治家、國運を背にして洋行した使節、颯爽たる勤王の士、剽悍な英雄豪傑、蘭學を學んだ青年、窈窕たる美女、モーダン女性、洋妾の風俗、梨園界名人の型、頽廢せる建物、國を護った軍艦やニユース式事件等々々を、眼の前に見、展開し盡すのは此の寫眞で、百萬の文獻よりも、貴重なる國寶的價値の多い點は、此處に論ずるまでもない。
だが、此資料を私一人で保存する時には、年代の經過と共に、印畫紙の色は消へ、破損、紛失の惴があるから、所藏中の最も珍らしい部分を撰び粋古堂主人より熱心に刊行を懇請せられたので、出版を承諾したのである。
此種の刊行は、大量的性質でなく、至つて小數な物である上、利益の如きは殆んど無く、學界に好事家諸氏に滿足を得られる事を得ば、私としては大きな喜びなのである。
幸ひ、諸氏の支持をうける事を得るなれば、第二、第三輯として續々出版をしたい覺悟と用意を持合せてゐる。
編中、年代順でないのは興味中心と印刷の都合である。解説は第三輯發行の際巻末にまとめて掲載することにした。尚本寫眞は原寫眞の味を保存するため全部原寸のまゝ製版したことを御承知ありたし。
昭和七年早春の日
夏汀 永見德太郎
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(新字・現代仮名遣い版)
※原文では漢字表記でも付属語、補助語は基本的にひらがなに直しています。
※逆に漢字に直した方が良いだろう自立語もありますが、そこは適宜判断しています。
※ あくまで読解用の参考資料ですのでご承知おきください。
序
日本における写真発達の正確な歴史が、未に不完全で、ただ断簡零墨によって、僅かにつなぎ合せた感が、私の少年時代よりつづいていることを遺憾に思っているのである。
その未完成の物を完成したいというのが、永年の私の希望で、現在でも努力をしているのであるが、実は、写真に対しては、妙な因縁が絡まっているわけがあるのである。
私は、少年時代に写真術に熱心であった。そうして自分で言うとおかしいが、芸術写真の黎明期において、朦朧写真を好んで製作し、当時は、ほんの一部に歓迎をうけたが、このフォーカスは、非常な勢いをもって其の後流行しているのである。それにまた、個人の写真画集を発行したのも私が日本最初であった。写真術には自分自身関係があったばかりでなく、私の家は、和蘭陀屋敷の貿易品を取扱っていたので、西洋薬種の売買もしていたことがある。その中に、写真術に必用な藥品があったのは述べるまでもないであろう。
その上、私の生れた故郷が異国情緒の長崎港で、日本最初の写真が伝わった土地柄だけに、多くの写真家が輩出したのであった。その中でも、上野彦馬と内田九一の両先生は、先覚者中の偉才に違いない。
其内田先生が、私の遠縁にあたり、また上野先生には、幼年の頃撮影をしていただいた思い出もある。というようなつながりであるから、私は「日本写真史」を完了せねばならぬと考へているごとく、私をその著者 として適任だと推奨している知人も多いような次第である。
少年時代に、古い写真が、なんとなく私を引付けたのが動機となって、今日まで収集した年月の春秋が二十数回を重ね、古写真が約一万葉に達せんとしているのである。
写真鏡は、生血を吸うとか、切支丹伴天連の法だなどと抱腹絶倒時の物より、日清戦争後までのを一々手に取って眺めると、維新時代の空気も、文明開化の臭いも、昔の風景を残す懐かしみも、この写真の力ではなくて、何んぞやと叫びたくなるくらいだ。
開国の大政治家、国運を背にして洋行した使節、颯爽たる勤王の士、剽悍な英雄豪傑、蘭学を学んだ青年、窈窕たる美女、モーダン女性、洋妾の風俗、梨園界名人の型、退廃せる建物、国を護った軍艦やニュース式事件等々々を、眼の前に見、展開しつくすのはこの写真で、百万の文献よりも、貴重なる国宝的価値の多い点は、ここに論ずるまでもない。
だが、この資料を私一人で保存するときには、年代の経過と共に、印画紙の色は消え、破損、紛失の怖れがあるから、所蔵中の最も珍らしい部分を撰び粋古堂主人より熱心に刊行を懇請せられたので、出版を承諾したのである。
この種の刊行は、大量的性質でなく、いたって少数な物である上、利益の如きは殆んどなく、学会に好事家諸氏に滿足を得られることを得ば、私としては大きな喜びなのである。
幸い、諸氏の支持をうけることを得るなれば、第二、第三集として続々出版をしたい覚悟と用意を持合せている。
編中、年代順でないのは興味中心と印刷の都合である。解説は第三集発行の際巻末にまとめて掲載することにした。なお本写真は原写真の味を保存するため全部原寸のまま製版したことを御承知ありたし。
昭和七年早春の日
夏汀 永見徳太郎
長田重昭氏旧蔵(推定) マミヤ製 一眼レフ試作機 等についてのレポート(速報版)
※ 以下、今後に向けた個人用の記録用メモとして作成した文章です。推測による記述が非常に多く、内容の正しさについてはこれを「一切」保証しません。
※ Twitterの引用部分には誤字・脱字や、また後から修正された見解がそのまま載っていますが、システムの性質上投稿後の修正ができませんので、それを踏まえて読んでください。
※ (速報版)となっておりますが、今後、記事の内容が拡充されるかは一切未定です。
目次
00.はじまり
01.落札した出品について(概要)
02.MAMIYA製 ハーフサイズ一眼レフ試作機
03.レンズシャッター一眼レフ試作機(プリズマットPH?)
04.レンズシャッターAE機試作機(ELCA?)
05.Mihama-X / 駿河精機の背景
06.雑感
07.捕逸
00.はじまり
2020年7月2日、ヤフオクに「古い カメラ 長田重昭 製作 一眼レフレックスカメラ Tourelle Des Visions 解説 設計図付き アンティーク ビンテージ レトロ」と題されたターレット型のレンズ切り替え式中判カメラが出品されました。
詳細不明、謎のカメラで自筆での解説・設計図付き。既製品を元に改造したマニアによる一点ものかとも思われ、そうであれば確かに珍しくはありますが、その重要性については議論の分かれるところです。
しかし、同じ出品者から、出所を同じくするのだろう機材の出品が続き、次第にその「正体」が浮かび上がっていくにつれ、ざわめきが広がり始めます。
例えば、記録の存在しない一眼レフであるNAGATA FLEX、既成のカメラを元にした加工品と思われるこのあたりまでは、そうはいっても一点ものの文脈でとらえられるモノでしたが…
どうも何らかの試作を思わせる真鍮製カメラが続いたり…
また、LANGFELDという謎のブランド名がつけられた一連のカメラが出品されたりして、そのなかにこれまで存在は知られていても非常に珍しいとされる機種につながるデザインが見いだされたりすることで、一連の出品は「マニアの趣味」から「カメラ史」に接続していくのです。
長田重昭氏、このカメラと繋がるのか~https://t.co/ppzEHanjLX
— YV L 618 (@COVNTRY_EAGLE) 2020年7月7日
Carolに似ている。これも長田氏関係か。https://t.co/mDOv7Sc9S2
— dinosauria123 (@dinosauria123) 2020年7月19日
当然一連のカメラの制作者と思われる長田重昭氏への注目が集まっていきます。
LANGFELDという耳慣れないブランド銘の出典も恐らくこういうことであろうと言う予想が投稿されます。
いま,ヤフオクでは,長田重昭氏関連と思われる試作?カメラ群が話題になっている。一連の出品にある「LANGFELD」銘のカメラって,もしかして「長」「田」をドイツ語?っぽくしてみたものとか?と,ふと思いついた。
— awane-photo.com🔰 (@cvcnet) 2020年7月14日
また、紀元歴とおぼしき年号が使われていることからこのうち数点のカメラについては製作年度が推定され、長田氏がどの世代の方なのかが見えてきます。それは一方ではなぜ今回まとまって流出したのか、という事情につながることでもあります。
そして長田重昭氏がマミヤの関係者であり、長期にわたってカメラ史の最前線にたっておられた技術者であることがわかってきます。
間違いないです。確認しました。長田重昭さんは間宮写真機研究所に所属して1950年代に写真工業にも記事を書いています。見たことの無い仕様のマミヤエルカがセットになっていますが、どうやら長田さんはエルカの開発スタッフ、あるいは責任者です。なんてことだ!
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月7日
首都圏で国会図書館に行ける向き、あるいは写真工業のこの号が手元にある向きは長田さんの執筆記事の載っているこの号をどうかご確認いただきたく…https://t.co/Wg8mdHklTT
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月7日
ほぼ同時期のこちらにもあるようです。https://t.co/X5DE8tnI6Y
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月7日
また、このときの周辺の投稿を眺めていると長田氏と直接の面識があられたと思われる方々のコメントが差し挟まれているのにも気づかされます。
今回の一連の出品は長田重昭氏の旧蔵品と思われ、マミヤ時代に限らずその前後も含めた資料であること、「何らかの事情」でまとめて市場に出たことはほぼ間違いないと思われます。
そして、続々と出品される中に「MAMIYA」銘の、しかしこれまでは知られていなかったり、または知られてはいても市販品とは細部、あるいは大きく全体の異なったカメラが登場したりし始めました。
マミヤの製品化されたなかにこんな中判一眼レフは存在しないのですが、後のRBシリーズへつながっていく流れを感じさせます。
こちらは35mmレンズシャッター機として世界初の露出計連動等を売り文句としたMAMIYA ELCAなのですが、大まかなシルエットは共通ながら、よく見れば一台ごとにはっきり見て取れるほど仕様が違います。もちろん製品版とは大きく異なるものです。
これらは全て本来は社外に出るはずのない試作機なのでしょう。当時の市況を背景に、製品版として世に出るまでに各社内でいかに膨大な検討がされているその実際の姿が読み取れ興味深いのです。
このあたりまでに一連の出品はかなりの注目を集めるようになっており、オークションの終了間際は白熱・高騰することとなりました。
01.落札した出品について(概要)
私も参戦していましたが、何度かの撤退とそのたびに予算を組み替えての再参戦を経て当初の予算を大幅に超えて一つの出品を落札するのが精一杯でした。
私がなんとかかき集められるモノをかき集めて(本来はき出してはいけないモノをはき出して)清水の舞台から飛び降りる覚悟で落札したのが次の出品です。
page.auctions.yahoo.co.jp
一見してなんでもないジャンクカメラの集まりです。私が興味を持ったのは右下のOLYMPUS PEN-Fとの影響関係を感じさせるハーフサイズとおぼしき一眼レフ機でしたが、実は左上のミハマ-Xがかなりの珍品です。
明日には届くだろう先日落札したカメラ。むしろミハマ-Xが一番詳細がわかって、あとのはさっぱり正体がわからない。そもそもマミヤのカメラに詳しくないのでサイドストリーや開発史・裏面史となるともうさっぱり。(なぜそれで落札した😅
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月16日
ミハマX自体が一時は実在するのかと言われたぐらいレアですが(というか出品されたのが市販モデルなのかも不明ですが)、残りのカメラに至っては記録がないですからね。MAMIYAのロゴは入っているとはいえ、どのレベルの試作品だったのか。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月16日
思った以上に(事情を考えれば当然ですが)整備が必要というか、60年代ぐらいから放置されて続けたジャンク相当なので、さてそこをどうするか、と考えあぐねております。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月16日
これらの出品者となった古物商は大まかなカメラの分類はともかく、カメラの来歴や特殊性についてはまったく承知していなかったものと思われます。これも指摘のあるところですが正直なところ、もし一点ごとのていねいな出品であったりしたら、かえって一台あたりの値段が高騰して、私はどれかひとつでさえ落札ができなかったかもしれません。
実のところ私はマミヤの事業について通り一遍の知識でさえ怪しいのです。
そこで、Twitter上でなるべく情報を公開することにして皆様のお力に頼ることにしたのですが、最終的には皆様から大変多くの情報提供や資料のご恵投のご協力を頂くことになりました。
結果、この一セットだけでも、日本の戦後カメラ史の断層の露出したなかなかに興味深いものであることがわかってきます。
というか制作者の手記なりメーカーの資料のなかに記述がない限り、製作年代もあきらかでないこれらはメーカーに所属した技術者が戯れに作った何か以上のもではないとはいえる(いや、このサイズの一眼レフはそれだけですごいだろうとは思うが)
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月17日
というわけで縁あって私の手元に来たこのカメラは、状況から見て長田重昭氏の手によるものである可能性が高く、マミヤの試作機の可能性もあるものですが、現状でのこのカメラへの私のスタンスは以下の通りです。あまりとりうる手がなく先達のお力をお借りしたいところです(終)https://t.co/rCjmKEF3NW
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月18日
最悪の場合、上記のように「なにか面白そうだけれどよくわからない」「ロマンの産物」というあたりが落としどころとなって終わりとなりかねないところもありましたが、幸いにそうならず済みそうなのは、本当にひとえにご協力いただいた方々のおかげです。皆様のご厚意に心より感謝を申し上げます。
02.MAMIYA製 ハーフサイズ一眼レフ試作機
・全体像 / 外観
先日ヤフオクに出ました、マミヤにいらした長田重昭氏の手によるハーフサイズの一眼レフの試作機と思われるカメラ。出がけに取り急ぎこのカメラだけは写真に収めてきたので速報で。何せ時間がなく大変写りが悪いですが、そこはご寛恕を(続 pic.twitter.com/Bguwys4seV— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月18日
業務連絡。マミヤのあれ、本当に一眼レフでした。サイズ感はOLYMPUSのPEN(無論、Fではない)そのもの。動作不安定仕様不可思議にて、近日中にFFの皆様のお知恵お力をお借りしたく。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月16日
実際問題として、実物を確認するまで一見ペンタ部に見える部分がそうではなく、一眼レフではない、という可能性もありました(それはそれで面白かったろうとは思いますが)。
正面。MAMIYA-SEKOR 3.5cm/F2.8の銘がみえます。動作が不安定かつ時間が全くなかったのでなんともいえないのですが実絞りのようです。レンズ下に見えるのが巻き上げレバーです。左手で前に引く形ですね。向かって右側面にシューが見えます。(続) pic.twitter.com/mUYyaOfMci
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月18日
軍艦部。左にフィルムカンター。右にシャッターダイヤル。実はまだ裏蓋があいていないのでシャッターの機構がわかりませんが、速度は一応変化するようです。このダイヤルとNicca IIILを思わせる(恐らく)プリズムのカバーがデザイン的にアクセントとなっています(続 pic.twitter.com/H6EzIVOibo
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月18日
背面と底面です。プリズム横のレバーが裏蓋のろっくではないかと思うのですが、じっくり確認する時間がなく。不具合を起こしている可能性もあります。底面に巻き上げクランクと、恐らく巻き戻し用のボタンかスライドではないかと思いますが、十分確認できず。(続 pic.twitter.com/VLu0Om19p2
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月18日
・裏蓋 / 内部 / フィルム巻き上げ機構 など
長田重昭氏(マミヤ)の手によるハーフサイズの一眼レフの試作機とおぼしきカメラですが、先に書き込んだ通り裏蓋が開きましたので続報を。やはりファインダ横のスライドがロックでした(この構造は初めて見ました)。圧板のテンションがかなり強くかかっており、引き抜くのにはちょっと力が要ります。(続 pic.twitter.com/PMD7LcrGLW
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
興味深い背面です。圧板が本体側につく機種はこのサイズだとありますが、それをあけると覗く開口部がハーフサイズであることをしめし、しかもシャッター幕が金属幕です。…しかし、パトローネの収納スペースは分かりますが、フィルムを巻き取るスペースがありません。どうなっているのでしょうか?(続 pic.twitter.com/6LupW4AYXp
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
左側面に回り込んで筐体内部に巻き取られるようになっています。これはちょっと見たことの無い構造です。(当時のコンパクトやマミヤの同世代機ならあるのかも?)サイズの小ささとフィルムの平面性の保持を両立する為でしょうか?(続 pic.twitter.com/avwk4l3hyD
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
Bでシャッター幕を開けると、予想通り、長辺を軸に横にはねるミラーが確認できます(残念ながらここの動作が不良です)。このサイズで一眼レフを実現するならミラーがこの形になるのは当然で、だからこそ先行するPEN-Fのパテントになにかしら引っかかったのではないかというご指摘が具体性を帯びます(続 pic.twitter.com/LuEROFtGYi
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
このあたり所詮一介のカメラ好きの一人に過ぎない私では全く分かりませんが、その筋の方々ならこの写真でもどの程度のレベルの試作なのかというのは明白なのかも知れません。少なくとも内部はかなり使い込まれた形跡があります。(続 pic.twitter.com/8dDKiEWEAb
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
・レンズ交換式の事実が判明 / マウント周辺部 / ミラー
細切れで申し訳ありません。脇でKievのレンズを交換していて天啓が下りました。一眼レフである以上、ひょっとしてレンズ交換式では無いのか、と。その結果。 pic.twitter.com/RSufif0QpW
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月20日
すさまじくコンパクトなのでその発想がなかったのですが、傍でKievのレンズを入れ換えていて天啓が。そりゃ、この時代でわざわざ一眼レフにするならレンズ交換式を目指しますわな…実絞りになるわけだ。このサイズに連動機構をいれる余地はもうないだろうし…😱
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月20日
極単純なスクリューマウントです。Cマウントかと思えるぐらいに狭い開口部と小さなミラーボックスです。このあと写真を追加します。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月20日
正面。ほとんどCマウント級の狭い開口部に、こんな小さなミラーボックスがあろうかという空間です(Periflex除く)。ミラーにフォーカシングスクリーンが反射し、奥に金属のシャッター幕が見えます。(続 pic.twitter.com/rR5qyALX0d
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月20日
斜め上から。スプリットの入ったスクリーンが見えます。ミラーを動かすバネが劣化したかオイルが粘っているのか、戻りに不具合があります。また、マウントに連動機構は無く、少なくともこの時点ではレンズが実絞りなのが確定です。PEN-F以降を目指した機種としては些か見劣りのする点でしょうか。(終 pic.twitter.com/Ii97NiNEBs
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月20日
・交換用(望遠)レンズの存在
そして、実は一連の出品の最後の方で、予想外の高騰に刺激を受けてなのか本来は出品の予定がなかった(ひょっとしたら処分予定だった)のではないかというモノまで続々と出品され始めます。これらがきちんと本体とセットとして出品されていたら、落札価格はこんなものでは済まなかったでしょう。
それらについてはまたあとで触れますが、Twitter上でおつきあいのある旭コンタックスさんが試作用のパーツとして集められたのではないかと思われるレンズ等をまとめた出品の中に、このカメラのものと思われる交換レンズが含まれていたのに気づかれて一式を落札され、ご厚意で望遠レンズをお譲りいただくことになりました。 改めて御礼申し上げます。
旭コンタックス( @chaso_photo )さんのご厚意により、一連の長田重昭氏旧蔵と思われる出品の一つに含まれていたマミヤ製ハーフサイズ一眼レフ用の交換レンズ(望遠レンズ)をお譲りいただいたので簡易レポートを(続) pic.twitter.com/ylgfCrOmdX
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月27日
スマホのカメラではある程度デジタルズームを用いてもなおパースがついてしまってよい対比になっていないのですが、カスタムKievとの比較。写真の印象より実機は更に一回りコンパクトです。(続 pic.twitter.com/hoiR3qbCX7
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月27日
標準レンズの方がある程度製品版に近いように思われるのに対して、こちらはマウント部の工作といい、試作の色合いの濃いものです。標準レンズには銘板があるのに対して、こちらにはありません。(続 pic.twitter.com/MW7ssvHR8Q
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月27日
近接側に繰り出してこのサイズ。0.7m(70cm)の指標がありますが、実際はもう少し近いように思います。(続 pic.twitter.com/BxLCDwzJV0
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月27日
絞りは動作していますが、外れかけているのか?最小絞りが不規則な形になってしまいます。実絞りですが、開放側では充分ピント合わせが出来ます。(続 pic.twitter.com/K0LnofoOM7
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月27日
・マウント径 / 試写
さて、写真は再掲ですが、このカメラはレンズ交換式であり、マウントはほぼCマウントのサイズです。そこでm4/3機のCマウントアダプターで無理矢理撮れるのではないかと思いつきました。(続 pic.twitter.com/WOFZq1IZtl
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
結論をいえばCマウントよりわずかに小さく、フランジバックは少し長かったのでそのままでは撮影不能でしたが、指で多少浮かせつつ撮ってみたのがこれです。脇にあった先月の日本カメラの表紙と本体と。隙間から光も入り、また軸もズレていますのでお遊び以上のものではありませんが。本日ここまで(終 pic.twitter.com/KdpY7bUYWg
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
・フィルムの装填と機構上の特徴について
実際にフィルムを装填して動作確認をしてみます。十全な状態であるとはいえないカメラを不用意に操作することは故障を引き起こす可能性も高く、注意が必要です。
FFの皆様のご協力により、MAMIYAの実用新案や意匠廊録、また長田氏の特許からこのカメラの素性が浮かび上がりつつありますが、この投稿に関連して、実際にフィルムを装填してみましたのでご報告を。(続 https://t.co/mAPY8MraQd
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
フィルムを装填するとこのような形になります。サイズ感も伝わるかと。(続 pic.twitter.com/TQppFHDC9n
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
フィルムの先端はこのように左側面に隠れているスプールに差し込むことになります。(続 pic.twitter.com/DXjOyrJi0W
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
ただ、このカメラはこのスプールで巻き取っているのではなく、開口部下のこの爪が横にスライドする力でフィルムを押し出すことで送っているらしいのです。よく見ると圧板側にも溝が刻まれています。(続 pic.twitter.com/K96Fz9pfyS
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
このような機構を採用したカメラは他にも例があるというご指摘をいただいています。
フィルムカウンターがきちんと動いていることが確認できました。(続 pic.twitter.com/5s4y2BISA6
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
さて、三・四枚シャッターを切ったところでそれ以上進まなくなってしまい空けてみるとスプールが上手く回転せず、フィルムが巻き取られていませんでした。(続 pic.twitter.com/3Hj0jSU9K2
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
どうもこのスプールは裏蓋底面の爪とかみ合ってロックされたり解除されたりするようで、ひょっとすると巻き上げと連動して動作するのかも知れませんが、今のところはよく分かりません。ちょっと(少なくと裏蓋底面の爪は)不安になる華奢さではあります。(続 pic.twitter.com/RJVbGwAmq0
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
このカメラは機械部分がほぼ覆われており、なかの動作をうかがい知ることが殆ど出来ません。まぁ、これは普段自分が古いカメラばかり見ているせいで、このほうが当たり前なのですが、今後いろいろ確認するにはちょっと壁になってきます。(続 pic.twitter.com/h4AmbxC7tR
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月21日
miffyさんからのご指摘です。
一眼レフ機構を内蔵しながら大きさ(横幅)をペンサイズにしたいと言うのがコンセプトの様ですね。
— miffy (@miffy49807671) 2020年7月21日
巻き上げレバーの位置も苦肉の策と言うか必然だったのですね。戦前に機械工学を修めた人と戦後の合理的設計を学んだ米谷氏との違いが分かりとても興味深いです。
一眼レフでありながら、PEN-Fではなくレンズシャッター機のPENのサイズを目指したというのはありそうです。
・このカメラの関連資料とカメラ史上の位置づけについて / 意匠登録
冒頭で「既製品を元に改造したマニアによる一点ものかとも思われましたが、そうであれば珍しくはありますが、その重要性については議論の分かれるところ」だと書きました。
確かにMAMIYAの銘はありましたが、これが本当に社内の公式な企画として取り組まれたものなのか、当時社員であられた長田氏が個人のプロジェクトに戯れに刻んだもの、という可能性もなくはなかったのです。
しかし、既製品から流用しての改造品という訳でなく新規に作られていること、またその精度から企業のプロジェクトである蓋然性は高まっていました。そしてTLの皆さんのお力で、裏付けとなる公的な文書が発掘されていきます。
意匠登録で輪郭だけですが、右下の図が似てますね。『カメラデザイン登録集』(1981 日本機械デザインセンター )に見つけました。 pic.twitter.com/PHn1VShl1x
— 田浦ボン (@taulabon) 2020年7月20日
素晴らしい。意匠登録していると言う事はこの時点で製品化の意図はあったと言う事ですね。
— miffy (@miffy49807671) 2020年7月20日
ペンF発売の翌年ですから、設計開始は順当に考えてペンF
出現に触発されてと考えられますよね。
手元にオリンパスペンの資料が乏しく考察がおぼつかないのですが、初代ペンがヒットして以降、これを一眼で・・と考えたエンジニアは米谷氏だけではなかった可能性があります。光路はぺンFを下敷きにしたとしても(わかりませんけど)、基本構想はあったはず。1963年にペンは100万台突破してます。
— 田浦ボン (@taulabon) 2020年7月20日
あと、サイズの小ささはそれはもう群を抜いていますが、実絞りであること、レンズ交換ができない(これは試作機故?)ことで、ハーフサイズの流行の収束から市場性がないと判断された可能性もありますね。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月20日
掲載されている情報が少なすぎましたが、足掛かりにでもなれば幸いです。 pic.twitter.com/x43WMh5pGk
— 田浦ボン (@taulabon) 2020年7月20日
特許庁J-platpatで閲覧できますhttps://t.co/gjZy98n7hj
— dinosauria123 (@dinosauria123) 2020年7月20日
— dinosauria123 (@dinosauria123) 2020年7月20日
長田氏の一眼レフ特許類を見ていたらこんなのが。
— dinosauria123 (@dinosauria123) 2020年7月21日
ミラーが横についた一眼レフです。https://t.co/bQwJMDtePT
写真工業1963年12月号に長田氏の特許公告が載っていたので特許庁J-platpatで開いてみました。1/500〜1秒とBの横走りフォーカルということで関係はありそうです。 https://t.co/dPRLTafxmQ pic.twitter.com/P0QSIK5ywr
— 田浦ボン (@taulabon) 2020年7月20日
これまでほとんど世に知られていなかったこのカメラは、確かに市場というカメラ史の表舞台には出てきませんでしたが、しっかりとその足跡を残していたのです。
この前後に鍵アカウントから「このハーフ一眼レフ試作機に使われている擬革は、マミヤオートデラックスII(1962年)などで使われているMの字をかたどった擬革同様」というご指摘をいただいており、このカメラの検討されていた時期の傍証となります。
・旧蔵時の姿を求めて
先ほど「本来は出品の予定がなかったのではないかというモノまで続々と出品され始め」たと書きましたが、それぞれの出品が元々入っていただろうことが読み取れる空き箱や革ケース、予備のパーツなどが出品され始めました。
おお、ありがとうございます。これですか?
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月17日
古い カメラ 空箱マミヤ ミノルタ PETRI など 計8点 ビンテージ アンティーク レトロ https://t.co/XO8OCJpY1N
こうなれば乗りかかった船です。
いずれこれらのカメラはしかるべきところに納めることになるでしょうが、その将来に向けて、できうる限り旧蔵時と思われる姿に近づけておかなければならないという使命感のようなものに駆られて、もうひと踏ん張りすることになります。
取り急ぎ、交換レンズもある程度準備されていたらしいということで、このあたり実用新案や特許を掘れば色々出てくるのかも知れません。乗りかかった船で箱も確保していますが、将来に向けてできる限り旧蔵時の姿に近づけておきたいものです(終https://t.co/GL8hKVw2MV
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月27日
やっぱ自分の関心でしか見られないのであのプリズムとかマガジンとかが中判のほうの試作一眼レフのそれと言う発想に到らなかった。まぁ、なんとかなった。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月28日
ただ、この一眼レフの関連と思われるパーツが同時に出品されていた他のカメラのパーツと一緒になっていたため、恐らくその落札者ではないかと思われる方と競合するなど、予想以上の出費となってしまったのはご愛敬です。
なお競合者様には、ハーフサイズ一眼レフ試作機用以外のパーツは引き渡しますのでもしここをご覧になっておられたらTwitterのDMでご連絡ください。
摩天楼を積み直していると床に近い高さに置いていたDVDの盤面が危険水域なことが発覚したのでこのあたりは明日以降に。 pic.twitter.com/azc6nH2udD
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月30日
この最後の出品のなかに入っていたのは機構の検討用の模型と思われるモノでしたが、ここからこのカメラになるまでいったいどれくらいの過程を経ることになったのか、そして、ここまで至っても市場に出ないことがあるのだということには、物作りの厳しさを思い知らされます。
これでおそらく例のハーフサイズ一眼レフの試作機関連の出品は箱に到るまで全て確保したはず。そう、マミヤの試作機だからじゃなく、カメラ史云々でもなく、初見から、あのカメラの佇まいに惚れてしまったの。そうでなきゃこんなにはね。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月28日
同時進行的に様々なことに取り組んでいるため、どうしても調べるのが遅くなってしまいご紹介いただいた資料の読解もまだまだです。
このカメラの内部は独自の機構の可能性が高いため私ごときで手をつけることは不可能でしょう(むしろやるべきではに)から、ご紹介いただいた資料に目を通し、なんとか一度、試写ぐらいまではたどり着きたいものだと思っています。
03.レンズシャッター一眼レフ試作機(プリズマットPH?)
さて、このセットに含まれていたカメラはあと三台あります。くどいようですが、マミヤについては通り一遍の知識も怪しい私ですので到着時の簡易報告を並べつつ、皆さまからお寄せいただいた見解をまとめておきます。
・外観
明日からはカメラに時間を割けそうもないので、出品に含まれていた他の二機種をざっと載せておきます。まず、謎のレンズシャッター一眼レフ。銘はありません。(続 pic.twitter.com/GVwDPvxm5n
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
ファインダー脇にSAMPLE 4の刻印が。私はMAMIYAの35mm機にほぼ知見がないのですが、この巻き上げクランク周辺のデザインで詳しい方はピンとくるのかもしれません。(続 pic.twitter.com/MfanHUrpZw
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
正面。かなり肩の張ったモデルです。ボディに接点やセルフタイマーなどは一切ありません。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
上部。レンズシャッター機のため、軍艦部もごくシンプルです。この巻き上げレバーで関連モデルに察しのつく方はどうかコメントをお願いします。(続 pic.twitter.com/2fgHfhwSZs
レンズはMAMIYA-SEKOR 48/2.8でSSは1/500まであります。ISOは800までを想定。相当グリスが劣化していると見え、かなり重いです。これ以上壊したくないので触りたくないのが正直なところ。(続 pic.twitter.com/kEdP3bA8hu
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
裏蓋を開けたところ。レンズシャッター機の遮光板と思われるモノが何かはがれて?張り付いています。ちょっと触ったぐらいでは動きません。さて、ミラーボックスのなかがどうなっているやら…(続 pic.twitter.com/fY0uJZvi1j
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
底面側。巻き上げレバーも緩んでいるので整備必須ですが、これもそう簡単に整備に出していいのか悩ましいというパターンです。最初はプリズマットの原型かと思いましたがファミリーの方なのかもしれません。このあたりMAMIYAに詳しい人が見れば、位置づけはすぐわかるのでは…と期待しています。(終 pic.twitter.com/mibScY3ED9
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
・お寄せいただいた見解
おそらくですが、プリズマットPHの試作機かと思います。
— トプ・ガバチョ (@topgabacho) 2020年7月22日
ひょっとすると、PHの廉価版として企画されたけれど、マミヤファミリーとかぶって見送られたものかも知れませんが、年度的には61年以降、64年頃までのものでしょうね。
トプ・ガバチョさんのお見立てに同意します。
— miffy (@miffy49807671) 2020年7月28日
マミヤは早くから35mm一眼レフを発表していたにもかかわらず、プリズマットNPが製品化されたのは61年でした。レンズシャッターのPHと同年の発売で、営業的に高級機で行くのか、中級(大衆)を狙うのかの決断が出来ていなかった様ですね。試作機を見た感じ pic.twitter.com/jJqppXMTKs
ではプリズマットPHの母体の様に見受けられます。トップカバーの高さがあるのは露出計受光部を内蔵したのをバランスするためでしょうか。この個体は輸出専用のV-90ですが、PHと同一の物です。横断面が12角で8角の試作機の外観は別の方にリデザインされたと推察されます。大きさは幅145x肩までの高さ81
— miffy (@miffy49807671) 2020年7月28日
mmです。マミヤファミリーは幅136mmx肩までの高さ76mmです。試作機はどちらに近いでしょうか?
— miffy (@miffy49807671) 2020年7月28日
もう一台の試作機ですが、マミヤⅡからⅢの横断面が紡錘形のボディを使った、最終的にエルカになると思われるコンセプトモデルと推察します。セレン露出計受光部は大きい程安定して耐久性も上がりますから pic.twitter.com/dXqUZWVdRs
当時のレンズシャッター機は他社の物もボディ外に受光部を取り付けていました。その場合前面か平面の方が受光部のフィッティングが良いので、最終的に角型ボディになったのではないでしょうか。
— miffy (@miffy49807671) 2020年7月28日
マミヤⅡと露出計付きメトラの比較画像を添付しますのでご覧ください。 pic.twitter.com/3sEyG6nQkX
巻き上げレバーは,これが似ていますね。
— awane-photo.com🔰 (@cvcnet) 2020年7月22日
「マミヤ35ルビー F2.8」https://t.co/ucCY6pXCex
04.レンズシャッターAE機試作機(ELCA?)
こちらは恐らくELCAの開発初期、それもELCAの銘が定まる前の時点での試作機と思われます。ベースとなっているダイキャストはELCA以前の35mm機のものです。
冒頭で述べたように、ELCAの試作機がまとめて出品されていましたが、本来はこの一台はその筆頭としてまとめられていなければならないものだったのでしょう。
実は別の出品にももう一台試作のELCAが入っていたようで、全てが揃っていれば大変興味深いモノだったろうにと、特にELCAが「世界初」を謳って(誇大なものもあったようですが)市販に至ったカメラであるだけに残念なところです。
世界最初の三元連動カメラ 「電気露出計連動」「距離計連動」「シャッター・セット・フィルム巻上げ連動」のELCA銘以前の試作機となるとそれなりに意義があるか。あの試作機セットを諦めたのが惜しまれる。まさかこないだの支払いが九月に回るとは思いもよらず(地獄への発想)。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
この試作機の時点ではCOLOUR 35という名称で開発が進められていたのでしょうか。当時いよいよカラーネガフィルムの普及が始まっていたという情勢が背景にあったのかもしれません。
・外観
続けて、軍艦部にCOLOUR 35の銘のあるレンズシャッター機。正面のセレンの配置が特徴的でしょうか。マミヤの35mmレンズシャッター機は完全に範疇外なので、これがぱっと見でどの機種と類縁関係にあるのかすら私にはわかりません。マミヤファンのお力添えをいただきたいところです。 (続 pic.twitter.com/D9hFCzdtsq
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
レンズはMAMIYA-SEKOR 5cm/2.8でちょっと長め。SSは1/250でISO(ASA)は400までの設定のようです。(続 pic.twitter.com/J8jevVdVVP
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
裏蓋を開けたところ。レンズはきれいですが、ファインダーは曇っています。巻き上げレバーは動くもののチャージされません。どこか外れているのでしょう。整備必須ですが、さてそうしていいのかは以下同文。同時に出品されたELCA達の同世代機ではあるのでしょうが。先達のお力添えをいただきたく…(終 pic.twitter.com/USlCNXckaF
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月22日
・お寄せいただいた見解
手近な山から開いてみた写真工業1968.1の特許公告。マミヤエルカでフル&ハーフ切り替えの出品がありましたが、それと関係あるのかどうか。 pic.twitter.com/k7nSe2BzBq
— 田浦ボン (@taulabon) 2020年7月18日
製造番号の「0570115」ですが、「1957年の115」と読めないですか? 昭和32年。根拠は「こういうことはよくある」。
— 田浦ボン (@taulabon) 2020年7月23日
05.Mihama-X / 駿河精機の背景
最後に、これはマミヤ製のカメラではないのですが駿河精機のMihama-Xが含まれてしました。先に触れたように珍品と言っていいカメラの一台で、下記にあるように過去の出版物の転載としてでなく、現物の写真がネット上に出たのは今回のオークションが初めてではないかという指摘をいただいたほどです(ただ、すでに詳細は失われていますが、実際には一例ほど中古での出品画像と思われるものがあるようです)。
もう一つ、先の出品に含まれていたのがミハマX(Mihama-X / 駿河精機)。かなりのレア機ということですが、最近は出版された近内一眞氏の『ミハマシックス物語』に目を通していなければ意識できなかったかと思われます。(続 pic.twitter.com/Jko7mIBNLu
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
多分、ネット上に現物の写真が出たのはこれが初めてでは無いかと某ミハマ本著者より…
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月7日
駿河精機とミハマシリーズについてはぜひ近内一眞氏の『ミハマシックス物語』に目を通していただきたいのですが、ミハマの歴史の最終局面になって登場した35mm機である35-AとXの関係には詳細不明な点が色々あったのですけれども、今回の出品の経緯で少なくともMihama-Xは長田氏の手によるものだったのではないかという可能性が浮上したことになります。
1955年のミハマ35-Aから時をおかずに出ており、当時の開発事情からすると驚異的ですが、さらに一見似ているこの二機種にはダイキャストから小さなパーツひとつに至るまで共有がないという(CCN)指摘があり、今回の出品でこちらは長田氏によるODMだったのでは…という経緯が浮かび上がってきます。(続 pic.twitter.com/35zyFY3ejH
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
といってもミハマ(美浜精工業・駿河精機)についてもそのカメラについても私は語るべきものを持っていませんので、興味のあるむきは先頃自費出版された近内一眞氏のこちらをご覧ください。https://t.co/R9URn5IGDE
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月19日
それを踏まえてカメラ・コレクターズ・ニュースの該当号の記事を読み直すと、今となっては確認することはできませんが、粟野幹男はある程度このカメラについて経緯を把握されていたのではないかと思われる節があります。
今回入手したカメラの中ではこのミハマ-Xが一番古いと言うことになるのでしょう。、ファインダーはかなり曇っているものの、このセットの中でこの一台だけは現状のままでも実写可能で、近日中に試してみたいと思っています。
06.雑感
私程度では手に負えないモノ、手に余るモノを勢いに任せて招来してしまった、という思いは正直あります。
広く浅くが信条の私による、せいぜいが表面をなぞった程度のまとめは気合いの入った皆さまからすれば喰い足りないもどかしいものであろうことは、本当に申し訳なく思います。
皆さんから寄せていただいた情報・見解の引用部分はともかく、本人は精々「触ってみた」程度のことしができていないまとめには力不足を痛感します。
また、最初にその姿に魅せられたままの勢いで突っ走りましてそこに公開は全くないのですが、以下に触れるように、市場に出たわけではなく後につながらなかった35mmハーフサイズ一眼レフの試作機よりも、ELCAやプリズマットPHに連なると思われる試作機の方がよりカメラ史としてはより重要なのかもしれません。
ただ、これは貴重だけれど同様の試作機や直前で販売中止になった事例はありふれており、そういう意味で世界初の露出計連動35mm機のELCAにつながるらしい試作機やプリズマットPHにいたると思われる試作機というきちんと浮上した系譜の方がカメラ史としては重要なのかもしれない。 https://t.co/OrWfyl14uN
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月28日
このあたり歴史と伝説のズレというか、歴史研究と歴史小説の姿勢の根本的な違いでもあるだろう。往々にしてロマンをかき立てる細部は歴史の大河からすれば些事で、場合によって木を見て森を見ない事態を引き起こしかねなくもある。歴史上のライカと今の伝説上のそれとの差とかも。
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月29日
長田氏の個人ブランドであったろうLANGFELDからCarolなどこれまで知られていた機種への展開や駿河精機との関係など、今回の出品の全体を手がかりに追えるモノ・コトはまだまだたくさんあるのでしょうけれども到底私の手に負えるものではなく、ただ記録だけを留めておきます。
三日ほど修行の旅(虎の穴での強化合宿)に出ていたので反応が遅れましたが、帰りつくと一式が。こんなに丁寧に箱まで準備される方であったのにそれを剥ぎ取られての流布だったかと。…イコンタ確か出てませんでしたかね。そして手元にLANGFELDブランドの痕跡が。さて、中身は何処へ… pic.twitter.com/vhOjZOwSM7
— 1-Zoh (@afcamera_mania) 2020年7月25日
また、最近のインターネット(特に日本語圏のWorld Wide Web)上にこのような形で情報を置くのがいいのかどうかというのも悩ましいところで、PDFなり冊子なりでワンクッション置くことが必要だったろうかとも思いますが、それをやろうとすると恐らく出せないままになるという予感もあり、Twitter上で追っておられた方には何の新情報もない拍子抜けのまとめで申し訳ないのですが、Twitterの急流ではあとから流れが追いにくく、備忘録として一端まとめさせていただきました。
このカメラ達が、そのポテンシャルを開放するのはもっと先のことになるでしょうが、私の手元に引っかかったのも何かの縁と言うことでご寛恕いただければと思います。
07.捕逸
カメラメーカーとして歴史・実績のあるマミヤですが、途中に倒産を挟んだにしろまとまった書籍が非常に少ないことに驚きました。
以下でも触れられているクラシックカメラ専科の特集号やカメラ新書の作ぐらいしか思いつかないのが現状です。
かつての四畳半メーカーに限らず、むしろ今でも活躍するようなメーカーでもよほどの大メーカー以外ではなかなかこういうモノは社内はともかく社外に向けてはまとまらないモノなのかもしれません。
90年代~00年代頃のネットであればもう少し記述もあったかもしれませんが、当時の頁はそのころの主要サービスが終了したことで大量に消滅しています。
awane-photo.com🔰 (@cvcnet)さんがいくつか参考となるサイト(Internet Archive上ですが)を紹介してくださっているので最後に引いておきます。
中判カメラなら,中判カメラ関係のムックがある程度はカバーしていますが,マミヤの35mm判カメラというと,専科でなければ,せいぜいカメラショーか年鑑かな,と。
— awane-photo.com🔰 (@cvcnet) 2020年7月23日
公式サイトが消えているのが,ちょっと寂しいですね。
Internet Archivesに残っている,「マミヤの歴史」です。https://t.co/8S6IXVVsWZ
— awane-photo.com🔰 (@cvcnet) 2020年7月25日
このサイト,Flashが使いまくられていたせいか,Internet Archivesからの拾い出しが,スムースではなく。
また,画像データがほとんど拾われていないのが惜しい。
マミヤOPのWebサイトにあった,カメラ博物館の「年代別index」。https://t.co/KcWfrkQa4U
— awane-photo.com🔰 (@cvcnet) 2020年7月25日
同「ジャンル別index」https://t.co/eMMOLftL5a
— awane-photo.com🔰 (@cvcnet) 2020年7月25日
たくさんの知見を寄せていただいたみなさま、本当にありがとうございました。 改めて心より感謝を申し上げます。
撮影メモ 20200712
*カメラ:Kiev-4a(Custom Paint)
*レンズ:Helios-103 53/1.9
*フィルム:ILFORD XP-2
*撮影開始:2020/07/12
*撮影場所:市街地周辺
メモ:ロシアから届いたカスタムKiev(先行試作機・試用分)のテスト。Kievとはまだ十分に「友達になった」という感覚はないのだけれど、届いたからには使わなければとおっかなびっくりフィルムを詰めるなど。