書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

永見徳太郎(1937)「東郷堂製カメラの躍進」(「カメラクラブ(1937年5月号)」ARS社)

※ 以下は「カメラクラブ(1937年5月号)」に掲載された永見徳太郎による記事である。この号の特集は「大衆カメラの研究」であり、1937年当時の大衆の写真熱とその層にむけて売られた大衆カメラの実情が取り上げられている。

※ 永見は東郷堂製カメラについて取り上げている。東郷堂は円カメラの代表メーカーとして記憶されているが、創業から7年、この頃にはより本格的な大衆カメラメーカーとして発展を遂げていた。この記事だけでなく、巻頭の覆面座談会記事「大衆カメラ研究座談会」でも東郷堂については触れられており、合わせて読むと当時の実情が浮かび上がってきて興味深い。銅座の殿様とまでいわれライカコンタックスもなんとなればローライフレックスも所有し使いこなした(当時のカメラ誌に記事を書いている)大富豪の永見が最底辺から始まった東郷堂とどのように縁を結んだのかは今後の課題だが、かえって大富豪であるからこそ(ライカコンタックス論争が実際にはそれらを所有できないファンの間で繰り広げられたらしいことと対照的に)ライツもツアイスも東郷堂もフラットに見ることが出来たのだろうか。

※ なお、文中で具体的にどのメーカーとは言っていないが当時超弩級品と言われた高価な舶来機種についてレンズにしろボデイにしろ,小住宅建設可能の代金と同じ價値があるのだから」と書いているのは、議論になりやすい当時のライカコンタックスの市場価値を考える傍証にはなるだろう。また、この場合おそらくは土地代は含まないことは述べておく。

※ 字体等は文中のものに従ったが、一部組み版ルールに従って省略された句読点を補うなどしている。あくまで個人研究用のメモである。

 

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東郷堂製カメラの躍進
永見德太郎

 本寫眞史初まつて以来の大流行が,現在である事は,誰人も異論はないであらう。人の浪には,カメラの山である。

 ところが,やゝともすれば,或は研究に,或は記録に,或は藝術を主に撮影をすることより,豪華級カメラを所有するといふ一種の物識慾と見榮坊の存在するのは,残念だ。

 商賣の爲めなら別だが,一般素人に数千圓も数百圓ものが,必ずしも入用なのであらうか。私は昭和七不思議の一つに數へたてゝいゝ位,見かけの華麗なのをアチラでもコチラでも眼にする。心臓の弱い者は顔負けするので,撮影會にも「僕のは舊式でとかこんな安いのじや」なんて,僻易の歪んだ聲をしきりに聞く。

 誰だって,襤褸より寶石の貴重さは知らうが,藝術に國境無しと同樣,慰安に何のへだゝりが有らうゾ。輕蔑視されたつて,物質慾の奴隷となつてはいけないじやないか。

 髙價品必ずしも萬能で,百點満點と過信しちやならぬ。武士は喰はねど高楊枝の氣風も大切だ。躍り出さうといふカメラ界にモロモロのサムライが外觀の優劣さに嚇かされる意気地なしじやダメだダメだ。進取的氣質を持ち身分相應なので腕を磨く方が上達の第一歩だらう。

 

メイコーC號 ●f::8 ●1/25秒 ●東郷クロームフイルム

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メイコーC號 ●夜間●寫眞電球使用●f:6.3 開放 ● 約1秒 ●東郷クロームフイルム

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 そういふ私は,何も髙價品に對し怨嗟も無く,たゞ大衆と朗かに共に手を繋結し,安價のに不自由なところが有るとしても,研究をつゞけて行き度い心願なのである。超弩級艦式と呼ばれる各種のものを数年試めしてはみたが,假に傑作を生んでも考へてみれば當然過る當然サである。レンズにしろボデイにしろ,小住宅建設可能の代金と同じ價値があるのだから。

 安價なカメラが近來増加する傾向は,カメラ知識の普及上嬉しき極みで有る。舶來品を絶對排斥する意志は私には無いが,國產奬勵に就いては大きい望みを持つてゐる。日本で,例へばコンタツクスやライカやロライフレツクスと同等のが作製されるとせば,安値だらうから使用者が激增するだらう。

 

 產品の發展しつゝある中で,注目す可き東鄕堂製カメラが躍進中なのは愉快だ。諸者の中に御記憶があらう。大衆カメラと銘打つて1圓のを店頭で聲を嗄らし宣傳を開始したその東鄕堂製が僅々7ヶ年間に澤山の種類のものを作り,優秀な然もスマートで一見豪華級に變りなく,其上獨創豐かなのを最近發表してゐるので,筆者はある時會社首腦部に其譯を聞くと一般大衆の要求に應じ,大衆向カメラを作る念願で,初期のカメラを何時迄も作るといふ事に滿足せず,眞の大衆向のため20圓,30圓といふ初期から見れば高價品に迄發展し,今後ドシドシ邁進する方針であるといふ樣な話であつた。

 

メイスピー3號 ●f:6.3 ●1/25秒 ●東鄕クロームフイルム

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メイスピー3號 ●f:6.3 ●1/25秒 ●東鄕パンクロフイルム

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 初期のはシヤツターには充分と言ふ事が出来なかつた。又鏡玉も暗かつたが,今や面目を改め T. B. 1/25,1/50, 1/100等で普通不便を感じなく正確になり,レンズもf:4.5 焦點距離50.nmが作られ,使用して「ほゝツ」と驚嘆せぬわけにはいかぬ目ざましき進歩である。

 アンスコ判よりやゝ大きいメイコーカメラの市販より間もなく, ライカ判よりやゝ大きいメイスピーの登場「何んだ東鄕」と笑つた人達にも, 侮りがたい强味を近來示して來た。

 メイスピーの外觀は美麗, カメラレンズとフアインダーレンズの2個がつき, 機體上部にはピントグラスさへあるばかしでなく, 透視フアインダーも備へられライカやコンタツクスおまけにローライを混同した形式に似, 速寫にも便利であるから頼もしい。

 最新型のは近接撮影補助レンズが取外し自由に, 水準器の蓋になつてゐる等は, 如何に些細な部分にも, 神經を忠實に使つてゐるかが分らう。速寫ケースに入れ颯爽と携帯する時は, 是が破格廉價なので有るのかと, 再び驚かされるであらう。

 そのカメラ用フイルムも一段の良さを加へ, 殊にパンクロはオーソパンタイプで, 感光度も速く, 中々優秀である點は私も認め得るのである。

 附屬品にはフイルター, 三脚, 現像液, タンク, 引伸機其他一通り揃へられ, 何の不便もなく, 昔日の東鄕堂製カメラにあきたらなかつた連中には,現在のメイコー・カメラとメイスピー・カメラは,格段の相違で有るかがハッキリしやう。

 

メイスピー3號 ●f:8 ●1/100秒 ●東鄕クロームフイルム

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 鄕堂製カメラの特異さは,白晝現像が簡單に行はれるので,素人でもスグ使用法はおぼへられやう。都市には同社直營の販賣所が設けてあるから,其處へ馳けこめば,撮影から現像,引伸迄叮嚀に教へてくれる。

今日型の東郷堂カメラは,我が寫眞界に於て注目していゝと思ふのである。

 私は昨年,江之島で同社主催撮影會に参加し,意外に思ったのは,知識階級が多かつた事,又あらゆる階級をフアンに持つ等で,當日朝からの雨にもかゝはらず百の會員が皆ズブ濡れになつて熱心で,その上松竹の人気男女優モデルを狙ふにも,我勝ちと爭ふやうな人を見かけなかつたのを,今でも嬉しい思ひ出としてゐるのである。そして名作を連發してゐる作家や,知名の方々も多く混じつてゐられたので,同機の將來の爲め心強しとしたのであった。

 

 衆向カメラに着眼しないで,いたづらに高價品を羨望するのは,却って新時代に取り残されるとしても仕方がないのである。

 東郷堂製に限らず,割安品にとても優良なのが全寫壇に光り輝き初めつゝあるのを,ウッカリ見落すのは損であらう。

 よい寫眞を得るには,要するに値段の高下に拘らず實驗に愼重であれば,傑作を爲し與ふわけである。

永見徳太郎 1937 「東郷堂製カメラの躍進」
(出典「カメラクラブ(1937年5月号/第2巻第2号)」ARS社,pp.22~23)