書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

(編集メモ)永見徳太郎 写真誌等掲載記事(カメラ・写真関連)一覧

(以下の記事は更新終了し別項で編集している最新版)

※ 以下は永見徳太郎の上京(1926年)後に、カメラ・写真誌を中心に、ときに総合誌に掲載された中で主にカメラ・写真に関する記事を抜き出したものである。一部、個人的な関心で長崎に関する記事や詳細不明の記事も載せているが、基本的にはそれらは省略している。従来の伝記作家の視界の外にあった部分で年譜の最後のあたりで「体調を崩したか」などとされていた空白部分であり、今後充実させていくことで永見の上京後の精力的な活動と彼の活動を通して浮かび上がる昭和の写真史があると考えている。

国会図書館デジタルアーカイブを参照している。ある程度は実本が手元にあるが、国会図書館のインターネット送信の対象となっていない記事については内容が確認できていない。

※ 編集中(2021/01/06)のものであり、抜けが多い。「カメラクラブ」(ARS)、「趣味」(趣味社(東郷堂))、「東郷堂通信(東郷通信)」(東郷堂)にも執筆記事や作品の掲載が多数ある。ある程度は収集しているので、単著も含め、今後拡充していく。

※ 充分に追えていないが、歌舞伎座やその他の舞台においての彼の職業カメラマンとしての撮影仕事も今後発掘が進むことが期待できるのではないかと思われる。 

※ そしてこの先、長崎歴史文化博物館に収蔵されている尺牘集(※書簡集)は上京前のもの、とのことだが同時に上京後の書簡も保管されているとのことで、それらの整理から終戦から失踪までの間の彼の活動がなにがしか浮かび上がってこないかということを期待している。

1928

・アサヒカメラ 5(4)(25),朝日新聞出版, 1928-04

 記事 寫眞珍談(一)/永見德太郞 / p387~389

・アサヒカメラ 5(5)(26),朝日新聞出版, 1928-05
 寫眞珍談(二) / 永見徳太郞 / p510~511

中央公論 43(6)(485),六月號,中央公論新社, 1928-06-01
 ペーロン/永見德太郞 / 89~92

・アサヒカメラ 6(1)(28),朝日新聞出版, 1928-07
 記事 寫眞珍談(4) / 永見德太郞 / p84~87

・アサヒカメラ 6(3)(30),朝日新聞出版, 1928-09
 記事 寫眞珍談(5) / 永見德太郞 / p309~310

中央公論 43(11)(490);十一月號,中央公論新社, 1928-11-01
 關西美食祿/永見德太郞 / 209~217

・歌舞伎 第4年(12)(47),歌舞伎出版部, 1928-12
 毛剃の史實 / 永見德太郞 / p78~79

1932

東京堂月報 19(12),9月號,東京堂, 1932-09
 ブック・レヴィユーから 坪内博士の高著『歌舞伎画證史話』/永見德太郞 / 34~

・アサヒカメラ 16(6)(93),朝日新聞出版, 1933-12
 上野彦馬 / 永見徳太郎 / p595~597

1934

・アサヒカメラ 17(1)[(94)],朝日新聞出版, 1934-01
 上野彦馬 / 永見德太郎 / p105~107

・カメラ、 ARS社, 1934-04
 「写真に縁ある流行唄」

 ・アサヒカメラ 18[(1)][(100)],朝日新聞出版, 1934-07
 第三特輯 名士アマチユア傑作集 新緑の日本アルツス / 永見德太郎 / p128~129 

・アサヒカメラ 18(2)(101),朝日新聞出版, 1934-08
 舞台寫眞の研究 / 永見德太郎 / p212~214

・アサヒカメラ 18[(3)][(102)],朝日新聞出版, 1934-09
 寫眞放談 / 永見德太郞 / p382~383

・アサヒカメラ 1934-10
 「帝都夜間撮影記」

 ・アサヒカメラ 18(5),朝日新聞出版, 1934-11
 特輯 露出の祕訣 顯微鏡寫眞の面白味 / 永見德太郎 / p551~564

 ・オール女性 昭和9年4月号 表紙・島崎蓊助に寄稿あり

1935

・写真月報 40(1),写真月報社, 1935-01
 文壇フオトグループの誕生 / 永見德太郞 / p108~114

・アマチユア・カメラ 4(2)(38),玄陽社, 1935-02
 コダツクヂユオ六二〇の試寫 / 永見德太郞 / p123~125

・アマチユア・カメラ 4(3)(39),玄陽社, 1935-03
 花談議 / 永見德太郞 / p168~172

・旅 12(4),新潮社, 1935-04
 カメラは與太る/永見德太郞 / p72~73

・アマチユア・カメラ 4(6)(42),玄陽社, 1935-06
 初夏の伊豆大島行 / 永見德太郞 / p371~374

・アマチユア・カメラ 4(7)(43),玄陽社, 1935-07
 長崎バツテン初期時代の私 / 永見德太郞 / p474~476

・旅 12(8),新潮社, 1935-08
 能登の海女達/永見徳太郎 / p144~147

・総合文化雑誌「大和」第1巻第2,3号 大和発行所に寄稿有り

1936

・アサヒカメラ 21(1)(118),朝日新聞出版, 1936-01
 繪畫に現はれた寫眞 / 永見德太郎 / p116~119

・アマチユア・カメラ 5(2)(51),玄陽社, 1936-02
 特輯 最近の一般寫眞界の興隆とアマチユア寫眞熱の勃興について(二) / 福原信三 ; 堀口敬三 ; 永見德太郞 ; 岡利亮 ; 塚本閣治 / p108・124~

・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
 カメラを通して見た藝術家 / 永見德太郞 / p271

・明朗 (5月號),信正社, 1936-05
 アマチユア放言 / 永見德太郞 / p699~702

※ カメラ・クラブ創刊

1937

・カメラ 18(1)(187),アルス, 1937-01
 ローライの夜間撮影と補力現像 / 永見德太郞 / p80~82

・ペン 2(1),三笠書房, 1937-01
 カメラの選び方 / 永見德太郞 / p90~93

・アサヒカメラ 23(1),朝日新聞出版, 1937-01
 強力現像の威力 舞台寫眞の結果 / 永見德太郞 / p213~216

・雄弁 28(1);新年特大號,大日本雄弁会講談社, 1937-01-01
 新しき家寶/永見德太郞 / 165~165

・実業の日本 40(3),実業之日本社, 1937-02
 カメラは高級品でないといけないか / 永見德太郞 / p62~63

・アマチユア・カメラ 6(2),玄陽社, 1937-02
 カメラの善用惡用――爐邊讀み物 / 永見德太郞 / p145~147

・アサヒカメラ 23[(3)][(132)],朝日新聞出版, 1937-03
 記事 アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p559~563

・アサヒカメラ 23(4)[(133)],朝日新聞出版, 1937-04
 續アーティスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p814~816

・上方 (77),上方郷土研究会, 1937-05
 サツマとヒウガと其他/永見德太郞 / 5~

・いのち 5(5),光明思想普及會, 1937-05
 大衆向カメラで樂しむ / 永見德太郎 / p220~224

・アサヒカメラ 24(1),朝日新聞出版, 1937-07
 續々アーテイスト達の一瞬間 / 永見德太郞 / p145~147

・カメラ 18(8)(195),アルス, 1937-08
 舞臺寫眞でよくやる縮尻 / 永見德太郞 / p163~165

・アサヒカメラ 24(2),朝日新聞出版, 1937-08
 盛夏凉風寫眞術 昔は寫眞を何と言つたか / 永見德太郎 / p404~407

・アサヒカメラ 24(4)(139),朝日新聞出版, 1937-10
 古寫眞ものがたり / 永見德太郎 / p648~651

・アサヒカメラ 24(5)(140),朝日新聞出版, 1937-11
 古寫眞モノガタリ / 永見德太郎 / p785~787

・アサヒカメラ 24(6)(141),朝日新聞出版, 1937-12
 古寫眞ものがたり / 永見徳太郎 / p920~922

・書物展望 7(12)(78),書物展望社, 1937-12
 寫眞新聞 / 永見德太郞 / p24~29

 1938

・カメラ 19(1月號)(200),アルス, 1938-01
 夜間撮影の失敗防止法 / 永見德太郞 / p39~41

・アサヒカメラ 25(1)(142),朝日新聞出版, 1938-01
 虎笑五題 / 永見德太郞 / p106~107

・カメラ 19(3月號)(202),アルス, 1938-03
 咲いた咲いた櫻の花が / 永見德太郞 / p260~261

・アサヒカメラ 25(3)(144),朝日新聞出版, 1938-03
 愉快な記念寫眞 / 永見德太郎 / p438~440

・アサヒカメラ 26(1)(148),朝日新聞出版, 1938-07
 女形扮裝寫眞笑話 / 永見德太郞 / p115~116

・アサヒカメラ 26(2)[(149)],朝日新聞出版, 1938-08
 尾上菊五郞丈寫眞美談 / 永見德太郞 / p334~335

・カメラ 19(12),アルス, 1938-12
 幽靈寫眞を撮る / 永見德太郞 / p600~601

 1939

 

写真サロン13号(1)/玄光社
 室津と赤穂」

・アサヒカメラ 27(1)(154),朝日新聞出版, 1939-01
 偲べ聖戦其舞台劇 / 永見徳太郞 / p104~106

・カメラ 20(4),アルス, 1939-04
 忠君愛國劇を寫すには / 永見德太郞 / p466~469

・カメラ 20(9)(220),アルス, 1939-09
 どの座が舞臺撮影を許すか / 永見德太郞 / p352~354

・アサヒカメラ 28(4)(163),朝日新聞出版, 1939-10
 秋の撮影旅行異聞 / 永見德太郞 / 697~698

1940

・カメラ 21(1)(224),アルス, 1940-01
 迎春祈世 / 永見德太郞 / p114~117

・旅 17(4),新潮社, 1940-04
 櫻二題/永見德太郞 / p56~57

・カメラ 21(4)(227),アルス, 1940-04
 下田と寫眞の因縁 / 永見德太郞 / p414~417

・旅 17(5),新潮社, 1940-05
 旅に出た下岡蓮杖/永見德太郞 / p76~78

・政界往来 = Political journal 11(6),政界往来社, 1940-06
 カメラ雜音 / 永見德太郞 / p230~232

・写真新報 50(9),写真新報社, 1940-08
 樂屋裏秘帖 / 永見德太郎 / p6~8

・カメラ 21(11)(234),アルス, 1940-11
 村童と子供 / 永見德太郞 / p504~506

1941

・黒船 18(7),黒船社, 1941-07
 私の舞台寫眞 / 永見德太郞 / p24~25

・國民演劇 1(6),牧野書店, 1941-08
 舞臺寫眞の撮影 / 永見德太郞 / p114~118

・黒船 18(11),黒船社, 1941-11
 第二回寫眞展目録 / 永見德太郞 / p21~23

1942

サンデー毎日 昭和17年5月10日号,大阪毎日新聞
 ヒンヅー教の祭礼

1943

・旬刊 美術新報 第65号 昭和18年7月上旬号 ヂォットオと北宗画
 黄檗僧と北宗画

・旬刊 美術新報 第50号 昭和18年2月上旬号 アフリカ美術・南蘋派
 長崎の沈南蘋派

 

永見徳太郎 1932 『珍しい写真』粋古堂 序文

永見徳太郎が1932に粋古堂より出版した『珍しい写真』の序文を起こしました。

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永見徳太郎(1950年 逝去)の著作権はあらゆる意味で切れており、また国会図書館の公開する「インターネット公開(保護期間満了)」にあたるデータですので公開に問題ありません。

彼はこの序文の中で「日本で最初に個人での写真集(写真画集)を出したのは自分だ」と言っていますが、これは「写真集とは何か」を含めて議論になるところです。

一応、本文を尊重して旧字体歴史的仮名遣いで起こしていますが、現代仮名遣いになっている部分などミスがあったらすいません。(※ 現代仮名遣い版もつくりました)

あくまで自分用のメモです。利用はご自身の責任にてお願いします。

なお、本文中の形式段落頭の字下げは改行にて代用しています。ご了承ください。

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日本に於ける寫眞發達の正確な歴史が、未に不完全で、たゞ斷翰零墨に依って、僅かにつなぎ合せた感が、私の少年時代よりつゞいて居る事を遺憾に思ふて居るのである。

その未完成の物を完成したいといふのが、永年の私の希望で、現在でも努力をしてゐるのであるが、實は、寫眞に對しては、妙な因縁が絡つてゐる譯があるのである。

私は、少年時代に寫眞術に熱心であつた。そうして自分で言ふと可笑しいが、藝術寫眞の黎明期に於て、朦朧寫眞を好んで製作し、當時は、ほんの一部に歡迎をうけたが、此のフオーカスは、非常な勢ひをもつて其の後流行して居るのである。其に又、個人の寫眞畫集を發行したのも私が日本最初であつた。寫眞術には自分自身關係があつたばかりでなく、私の家は、和蘭陀屋敷の貿易品を取扱つてゐたので、西洋藥種の賣買もしてゐたことがある。その中に、寫眞術に必用な藥品があつたのは述べる迄もないであらう。

その上、私の生れた故郷が異國情調の長崎港で、日本最初の寫眞が傳はつた土地柄だけに、多くの寫眞家が輩出したのであつた。その中でも、上野彦馬と内田九一の兩先生は、先覺者中の偉才に違いない。

其内田先生が、私の遠縁にあたり、又上野先生には、幼年の頃撮影をして戴いた思ひ出もある。と言ふ様な繋であるから、私は「日本寫眞史」を完了せねばならぬと考へてゐる如く、私を其著者 として適任だと推奨して居る知人も多い様な次第である。
 
少年時代に、古い寫眞が、何んとなく私を引付けたのが動機となつて、今日迄蒐集した年月の春秋が二拾數回を重ね、古寫真が約萬葉に達せんとしてゐるのである。

寫眞鏡は、生血を吸ふとか、切支丹伴天連の法だ等と抱腹絶倒時の物より、日清戰爭後までのを一々手に取つて眺めると、維新時代の空氣も、文明開化の臭ひも、昔の風景をす懐かしみも、此寫眞の力ではなくて、何んぞやと叫びたくなる位だ。

開國の大政治家、國運を背にして洋行した使節、颯爽たる勤王の士、剽悍な英雄豪傑、蘭學を學んだ青年、窈窕たる美女、モーダン女性、洋妾の風俗、梨園界名人の型、頽廢せる建物、國を護った軍艦やニユース式事件等々々を、眼の前に見、展開し盡すのは此の寫眞で、百萬の文獻よりも、貴重なる國寶的價値の多い點は、此處に論ずるまでもない。

だが、此資料を私一人で保存する時には、年代の經過と共に、印畫紙の色は消へ、破損、紛失の惴があるから、所藏中の最も珍らしい部分を撰び粋古堂主人より熱心に刊行を懇請せられたので、出版を承諾したのである。

此種の刊行は、大量的性質でなく、至つて小數な物である上、利益の如きは殆んど無く、學界に好事家諸氏に滿足を得られる事を得ば、私としては大きな喜びなのである。

幸ひ、諸氏の支持をうける事を得るなれば、第二、第三輯として續々出版をしたい覺悟と用意を持合せてゐる。

編中、年代順でないのは興味中心と印刷の都合である。解説は第三輯發行の際巻末にまとめて掲載することにした。尚本寫眞は原寫眞の味を保存するため全部原寸のまゝ製版したことを御承知ありたし。

昭和七年早春の日
夏汀 永見德太郎

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(新字・現代仮名遣い版)

※原文では漢字表記でも付属語、補助語は基本的にひらがなに直しています。

※逆に漢字に直した方が良いだろう自立語もありますが、そこは適宜判断しています。

※ あくまで読解用の参考資料ですのでご承知おきください。

 

日本における写真発達の正確な歴史が、未に不完全で、ただ断簡零墨によって、僅かにつなぎ合せた感が、私の少年時代よりつづいていることを遺憾に思っているのである。

その未完成の物を完成したいというのが、永年の私の希望で、現在でも努力をしているのであるが、実は、写真に対しては、妙な因縁が絡まっているわけがあるのである。

私は、少年時代に写真術に熱心であった。そうして自分で言うとおかしいが、芸術写真の黎明期において、朦朧写真を好んで製作し、当時は、ほんの一部に歓迎をうけたが、このフォーカスは、非常な勢いをもって其の後流行しているのである。それにまた、個人の写真画集を発行したのも私が日本最初であった。写真術には自分自身関係があったばかりでなく、私の家は、和蘭陀屋敷の貿易品を取扱っていたので、西洋薬種の売買もしていたことがある。その中に、写真術に必用な藥品があったのは述べるまでもないであろう。

その上、私の生れた故郷が異国情緒の長崎港で、日本最初の写真が伝わった土地柄だけに、多くの写真家が輩出したのであった。その中でも、上野彦馬と内田九一の両先生は、先覚者中の偉才に違いない。

其内田先生が、私の遠縁にあたり、また上野先生には、幼年の頃撮影をしていただいた思い出もある。というようなつながりであるから、私は「日本写真史」を完了せねばならぬと考へているごとく、私をその著者 として適任だと推奨している知人も多いような次第である。
 
少年時代に、古い写真が、なんとなく私を引付けたのが動機となって、今日まで収集した年月の春秋が二十数回を重ね、古写真が約一万葉に達せんとしているのである。

写真鏡は、生血を吸うとか、切支丹伴天連の法だなどと抱腹絶倒時の物より、日清戦争後までのを一々手に取って眺めると、維新時代の空気も、文明開化の臭いも、昔の風景を残す懐かしみも、この写真の力ではなくて、何んぞやと叫びたくなるくらいだ。

開国の大政治家、国運を背にして洋行した使節、颯爽たる勤王の士、剽悍な英雄豪傑、蘭学を学んだ青年、窈窕たる美女、モーダン女性、洋妾の風俗、梨園界名人の型、退廃せる建物、国を護った軍艦やニュース式事件等々々を、眼の前に見、展開しつくすのはこの写真で、百万の文献よりも、貴重なる国宝的価値の多い点は、ここに論ずるまでもない。

だが、この資料を私一人で保存するときには、年代の経過と共に、印画紙の色は消え、破損、紛失の怖れがあるから、所蔵中の最も珍らしい部分を撰び粋古堂主人より熱心に刊行を懇請せられたので、出版を承諾したのである。

この種の刊行は、大量的性質でなく、いたって少数な物である上、利益の如きは殆んどなく、学会に好事家諸氏に滿足を得られることを得ば、私としては大きな喜びなのである。

幸い、諸氏の支持をうけることを得るなれば、第二、第三集として続々出版をしたい覚悟と用意を持合せている。

編中、年代順でないのは興味中心と印刷の都合である。解説は第三集発行の際巻末にまとめて掲載することにした。なお本写真は原写真の味を保存するため全部原寸のまま製版したことを御承知ありたし。

昭和七年早春の日
夏汀 永見徳太郎

 

dl.ndl.go.jp

長田重昭氏旧蔵(推定) マミヤ製 一眼レフ試作機 等についてのレポート(速報版)

※ 以下、今後に向けた個人用の記録用メモとして作成した文章です。推測による記述が非常に多く、内容の正しさについてはこれを「一切」保証しません。

Twitterの引用部分には誤字・脱字や、また後から修正された見解がそのまま載っていますが、システムの性質上投稿後の修正ができませんので、それを踏まえて読んでください。

※ (速報版)となっておりますが、今後、記事の内容が拡充されるかは一切未定です。

 

目次

00.はじまり

01.落札した出品について(概要)

02.MAMIYA製 ハーフサイズ一眼レフ試作機

03.レンズシャッター一眼レフ試作機(プリズマットPH?)

04.レンズシャッターAE機試作機(ELCA?)

05.Mihama-X / 駿河精機の背景

06.雑感

07.捕逸

 

00.はじまり

2020年7月2日、ヤフオクに「古い カメラ 長田重昭 製作 一眼レフレックスカメラ Tourelle Des Visions 解説 設計図付き アンティーク ビンテージ レトロ」と題されたターレット型のレンズ切り替え式中判カメラが出品されました。

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詳細不明、謎のカメラで自筆での解説・設計図付き。既製品を元に改造したマニアによる一点ものかとも思われ、そうであれば確かに珍しくはありますが、その重要性については議論の分かれるところです。

しかし、同じ出品者から、出所を同じくするのだろう機材の出品が続き、次第にその「正体」が浮かび上がっていくにつれ、ざわめきが広がり始めます。

例えば、記録の存在しない一眼レフであるNAGATA FLEX、既成のカメラを元にした加工品と思われるこのあたりまでは、そうはいっても一点ものの文脈でとらえられるモノでしたが…

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どうも何らかの試作を思わせる真鍮製カメラが続いたり…

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また、LANGFELDという謎のブランド名がつけられた一連のカメラが出品されたりして、そのなかにこれまで存在は知られていても非常に珍しいとされる機種につながるデザインが見いだされたりすることで、一連の出品は「マニアの趣味」から「カメラ史」に接続していくのです。

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当然一連のカメラの制作者と思われる長田重昭氏への注目が集まっていきます。

LANGFELDという耳慣れないブランド銘の出典も恐らくこういうことであろうと言う予想が投稿されます。

また、紀元歴とおぼしき年号が使われていることからこのうち数点のカメラについては製作年度が推定され、長田氏がどの世代の方なのかが見えてきます。それは一方ではなぜ今回まとまって流出したのか、という事情につながることでもあります。  

そして長田重昭氏がマミヤの関係者であり、長期にわたってカメラ史の最前線にたっておられた技術者であることがわかってきます。

また、このときの周辺の投稿を眺めていると長田氏と直接の面識があられたと思われる方々のコメントが差し挟まれているのにも気づかされます。 

今回の一連の出品は長田重昭氏の旧蔵品と思われ、マミヤ時代に限らずその前後も含めた資料であること、「何らかの事情」でまとめて市場に出たことはほぼ間違いないと思われます。

そして、続々と出品される中に「MAMIYA」銘の、しかしこれまでは知られていなかったり、または知られてはいても市販品とは細部、あるいは大きく全体の異なったカメラが登場したりし始めました。

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マミヤの製品化されたなかにこんな中判一眼レフは存在しないのですが、後のRBシリーズへつながっていく流れを感じさせます。

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こちらは35mmレンズシャッター機として世界初の露出計連動等を売り文句としたMAMIYA ELCAなのですが、大まかなシルエットは共通ながら、よく見れば一台ごとにはっきり見て取れるほど仕様が違います。もちろん製品版とは大きく異なるものです。

これらは全て本来は社外に出るはずのない試作機なのでしょう。当時の市況を背景に、製品版として世に出るまでに各社内でいかに膨大な検討がされているその実際の姿が読み取れ興味深いのです。

このあたりまでに一連の出品はかなりの注目を集めるようになっており、オークションの終了間際は白熱・高騰することとなりました。

 

01.落札した出品について(概要)

私も参戦していましたが、何度かの撤退とそのたびに予算を組み替えての再参戦を経て当初の予算を大幅に超えて一つの出品を落札するのが精一杯でした。

私がなんとかかき集められるモノをかき集めて(本来はき出してはいけないモノをはき出して)清水の舞台から飛び降りる覚悟で落札したのが次の出品です。
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一見してなんでもないジャンクカメラの集まりです。私が興味を持ったのは右下のOLYMPUS PEN-Fとの影響関係を感じさせるハーフサイズとおぼしき一眼レフ機でしたが、実は左上のミハマ-Xがかなりの珍品です。

これらの出品者となった古物商は大まかなカメラの分類はともかく、カメラの来歴や特殊性についてはまったく承知していなかったものと思われます。これも指摘のあるところですが正直なところ、もし一点ごとのていねいな出品であったりしたら、かえって一台あたりの値段が高騰して、私はどれかひとつでさえ落札ができなかったかもしれません。

実のところ私はマミヤの事業について通り一遍の知識でさえ怪しいのです。

そこで、Twitter上でなるべく情報を公開することにして皆様のお力に頼ることにしたのですが、最終的には皆様から大変多くの情報提供や資料のご恵投のご協力を頂くことになりました。

結果、この一セットだけでも、日本の戦後カメラ史の断層の露出したなかなかに興味深いものであることがわかってきます。 

最悪の場合、上記のように「なにか面白そうだけれどよくわからない」「ロマンの産物」というあたりが落としどころとなって終わりとなりかねないところもありましたが、幸いにそうならず済みそうなのは、本当にひとえにご協力いただいた方々のおかげです。皆様のご厚意に心より感謝を申し上げます。

 

02.MAMIYA製 ハーフサイズ一眼レフ試作機

・全体像 / 外観

実際問題として、実物を確認するまで一見ペンタ部に見える部分がそうではなく、一眼レフではない、という可能性もありました(それはそれで面白かったろうとは思いますが)。

 

・裏蓋 / 内部 / フィルム巻き上げ機構 など

 

・レンズ交換式の事実が判明 / マウント周辺部 / ミラー 

 

・交換用(望遠)レンズの存在

そして、実は一連の出品の最後の方で、予想外の高騰に刺激を受けてなのか本来は出品の予定がなかった(ひょっとしたら処分予定だった)のではないかというモノまで続々と出品され始めます。これらがきちんと本体とセットとして出品されていたら、落札価格はこんなものでは済まなかったでしょう。

それらについてはまたあとで触れますが、Twitter上でおつきあいのある旭コンタックスさんが試作用のパーツとして集められたのではないかと思われるレンズ等をまとめた出品の中に、このカメラのものと思われる交換レンズが含まれていたのに気づかれて一式を落札され、ご厚意で望遠レンズをお譲りいただくことになりました。 改めて御礼申し上げます。

 

・マウント径 / 試写

 

・フィルムの装填と機構上の特徴について

実際にフィルムを装填して動作確認をしてみます。十全な状態であるとはいえないカメラを不用意に操作することは故障を引き起こす可能性も高く、注意が必要です。

このような機構を採用したカメラは他にも例があるというご指摘をいただいています。 

 miffyさんからのご指摘です。

 一眼レフでありながら、PEN-Fではなくレンズシャッター機のPENのサイズを目指したというのはありそうです。

 

・このカメラの関連資料とカメラ史上の位置づけについて / 意匠登録

冒頭で「既製品を元に改造したマニアによる一点ものかとも思われましたが、そうであれば珍しくはありますが、その重要性については議論の分かれるところ」だと書きました。

確かにMAMIYAの銘はありましたが、これが本当に社内の公式な企画として取り組まれたものなのか、当時社員であられた長田氏が個人のプロジェクトに戯れに刻んだもの、という可能性もなくはなかったのです。

しかし、既製品から流用しての改造品という訳でなく新規に作られていること、またその精度から企業のプロジェクトである蓋然性は高まっていました。そしてTLの皆さんのお力で、裏付けとなる公的な文書が発掘されていきます。

これまでほとんど世に知られていなかったこのカメラは、確かに市場というカメラ史の表舞台には出てきませんでしたが、しっかりとその足跡を残していたのです。

この前後に鍵アカウントから「このハーフ一眼レフ試作機に使われている擬革は、マミヤオートデラックスII(1962年)などで使われているMの字をかたどった擬革同様」というご指摘をいただいており、このカメラの検討されていた時期の傍証となります。

 

・旧蔵時の姿を求めて

先ほど「本来は出品の予定がなかったのではないかというモノまで続々と出品され始め」たと書きましたが、それぞれの出品が元々入っていただろうことが読み取れる空き箱や革ケース、予備のパーツなどが出品され始めました。

こうなれば乗りかかった船です。

いずれこれらのカメラはしかるべきところに納めることになるでしょうが、その将来に向けて、できうる限り旧蔵時と思われる姿に近づけておかなければならないという使命感のようなものに駆られて、もうひと踏ん張りすることになります。

page.auctions.yahoo.co.jp

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ただ、この一眼レフの関連と思われるパーツが同時に出品されていた他のカメラのパーツと一緒になっていたため、恐らくその落札者ではないかと思われる方と競合するなど、予想以上の出費となってしまったのはご愛敬です。

なお競合者様には、ハーフサイズ一眼レフ試作機用以外のパーツは引き渡しますのでもしここをご覧になっておられたらTwitterのDMでご連絡ください。

この最後の出品のなかに入っていたのは機構の検討用の模型と思われるモノでしたが、ここからこのカメラになるまでいったいどれくらいの過程を経ることになったのか、そして、ここまで至っても市場に出ないことがあるのだということには、物作りの厳しさを思い知らされます。 

同時進行的に様々なことに取り組んでいるため、どうしても調べるのが遅くなってしまいご紹介いただいた資料の読解もまだまだです。

このカメラの内部は独自の機構の可能性が高いため私ごときで手をつけることは不可能でしょう(むしろやるべきではに)から、ご紹介いただいた資料に目を通し、なんとか一度、試写ぐらいまではたどり着きたいものだと思っています。 

 

03.レンズシャッター一眼レフ試作機(プリズマットPH?)

さて、このセットに含まれていたカメラはあと三台あります。くどいようですが、マミヤについては通り一遍の知識も怪しい私ですので到着時の簡易報告を並べつつ、皆さまからお寄せいただいた見解をまとめておきます。

・外観

 

・お寄せいただいた見解

  

04.レンズシャッターAE機試作機(ELCA?)

こちらは恐らくELCAの開発初期、それもELCAの銘が定まる前の時点での試作機と思われます。ベースとなっているダイキャストはELCA以前の35mm機のものです。

冒頭で述べたように、ELCAの試作機がまとめて出品されていましたが、本来はこの一台はその筆頭としてまとめられていなければならないものだったのでしょう。 

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実は別の出品にももう一台試作のELCAが入っていたようで、全てが揃っていれば大変興味深いモノだったろうにと、特にELCAが「世界初」を謳って(誇大なものもあったようですが)市販に至ったカメラであるだけに残念なところです。

この試作機の時点ではCOLOUR 35という名称で開発が進められていたのでしょうか。当時いよいよカラーネガフィルムの普及が始まっていたという情勢が背景にあったのかもしれません。

・外観 

・お寄せいただいた見解 

 

05.Mihama-X / 駿河精機の背景

最後に、これはマミヤ製のカメラではないのですが駿河精機のMihama-Xが含まれてしました。先に触れたように珍品と言っていいカメラの一台で、下記にあるように過去の出版物の転載としてでなく、現物の写真がネット上に出たのは今回のオークションが初めてではないかという指摘をいただいたほどです(ただ、すでに詳細は失われていますが、実際には一例ほど中古での出品画像と思われるものがあるようです)。

駿河精機とミハマシリーズについてはぜひ近内一眞氏の『ミハマシックス物語』に目を通していただきたいのですが、ミハマの歴史の最終局面になって登場した35mm機である35-AとXの関係には詳細不明な点が色々あったのですけれども、今回の出品の経緯で少なくともMihama-Xは長田氏の手によるものだったのではないかという可能性が浮上したことになります。 

それを踏まえてカメラ・コレクターズ・ニュースの該当号の記事を読み直すと、今となっては確認することはできませんが、粟野幹男はある程度このカメラについて経緯を把握されていたのではないかと思われる節があります。

今回入手したカメラの中ではこのミハマ-Xが一番古いと言うことになるのでしょう。、ファインダーはかなり曇っているものの、このセットの中でこの一台だけは現状のままでも実写可能で、近日中に試してみたいと思っています。

06.雑感

私程度では手に負えないモノ、手に余るモノを勢いに任せて招来してしまった、という思いは正直あります。

広く浅くが信条の私による、せいぜいが表面をなぞった程度のまとめは気合いの入った皆さまからすれば喰い足りないもどかしいものであろうことは、本当に申し訳なく思います。

皆さんから寄せていただいた情報・見解の引用部分はともかく、本人は精々「触ってみた」程度のことしができていないまとめには力不足を痛感します。

また、最初にその姿に魅せられたままの勢いで突っ走りましてそこに公開は全くないのですが、以下に触れるように、市場に出たわけではなく後につながらなかった35mmハーフサイズ一眼レフの試作機よりも、ELCAやプリズマットPHに連なると思われる試作機の方がよりカメラ史としてはより重要なのかもしれません。

長田氏の個人ブランドであったろうLANGFELDからCarolなどこれまで知られていた機種への展開や駿河精機との関係など、今回の出品の全体を手がかりに追えるモノ・コトはまだまだたくさんあるのでしょうけれども到底私の手に負えるものではなく、ただ記録だけを留めておきます。 

また、最近のインターネット(特に日本語圏のWorld Wide Web)上にこのような形で情報を置くのがいいのかどうかというのも悩ましいところで、PDFなり冊子なりでワンクッション置くことが必要だったろうかとも思いますが、それをやろうとすると恐らく出せないままになるという予感もあり、Twitter上で追っておられた方には何の新情報もない拍子抜けのまとめで申し訳ないのですが、Twitterの急流ではあとから流れが追いにくく、備忘録として一端まとめさせていただきました。

このカメラ達が、そのポテンシャルを開放するのはもっと先のことになるでしょうが、私の手元に引っかかったのも何かの縁と言うことでご寛恕いただければと思います。

07.捕逸

カメラメーカーとして歴史・実績のあるマミヤですが、途中に倒産を挟んだにしろまとまった書籍が非常に少ないことに驚きました。

以下でも触れられているクラシックカメラ専科の特集号やカメラ新書の作ぐらいしか思いつかないのが現状です。

かつての四畳半メーカーに限らず、むしろ今でも活躍するようなメーカーでもよほどの大メーカー以外ではなかなかこういうモノは社内はともかく社外に向けてはまとまらないモノなのかもしれません。 

90年代~00年代頃のネットであればもう少し記述もあったかもしれませんが、当時の頁はそのころの主要サービスが終了したことで大量に消滅しています。

awane-photo.com🔰 (@cvcnet)さんがいくつか参考となるサイト(Internet Archive上ですが)を紹介してくださっているので最後に引いておきます。

たくさんの知見を寄せていただいたみなさま、本当にありがとうございました。 改めて心より感謝を申し上げます。

撮影メモ 20200712

*カメラ:Kiev-4a(Custom Paint)
*レンズ:Helios-103 53/1.9
*フィルム:ILFORD XP-2
*撮影開始:2020/07/12
*撮影場所:市街地周辺

メモ:ロシアから届いたカスタムKiev(先行試作機・試用分)のテスト。Kievとはまだ十分に「友達になった」という感覚はないのだけれど、届いたからには使わなければとおっかなびっくりフィルムを詰めるなど。

f:id:afcamera:20200713082550j:plain

 

写真集紹介コンテスト「 #あなたの一押し写真集 」全エントリー紹介

5月15日から6月5日にかけてツイッター上で「 #あなたの一押し写真集」という写真集紹介コンテストを開催しました。

当初の期間(5月27日まで)の終了間際にエントリーが増えてきたので受付期間を延長したのですが、予想を遙かにこえるご投稿をいただきました。本当にありがとうございました。

 昨日でエントリー期間が終了しましたので取り急ぎ全エントリーをまとめます。基本的にご恵投をいただいた順です。

なお、審査対象とするにはレギュレーションに従ったものである必要がありますが、TL上の投稿を見てタグを使っていただいた投稿もあり、企画の意図を鑑みて幅広く収録しています。

追記(2020/06/07)

再チェックして5冊の抜を追加しました。申し訳ないです。特に5月31日ごろに投稿されたものを拾い損ねていたようで。あと、エントリーの終了直前。確認不足をお詫びいたします。きちんと管理できないのでこちらのコメント欄は閉じているので、他に抜けがあったらtwitterの方で教えていただければ幸いです。

追記(2020/06/08)

ご連絡をいただいて2冊を追加しました。6月4日・5日分です。まだ抜けがありましたら本当に申し訳ありません(汗)

 

当初予定:5月15日~5月27日までのエントリー

 

期間延長:5月28日~6月4日(終了前日)までのエントリー

 ここで審査委員三名で話し合って募集期間の延長が決定されました。

  

 

最終日:6月5日(受付終了日)のエントリー

期日も迫ってきて一日あたり3~5投稿、投稿のない日もありと、だいぶん落ち着いてきたかなと思いきやの最終日、ここまで様子を見ていたのか、新規のご投稿はじめ終了間際まで出し惜しみ無しの投稿の続く一日になりました。

 〆切まで残り1時間半を切ってからのラストスパート

 

エントリー終了!

みなさまご参加ありがとうございました。後日の結果の発表をお待ちください。途中でいただいたコメントや、また今回のご投稿をみて考えたことなどはいくつか書いてみたいと思います。