窓
「写真」という翻訳語はむしろPhotograph / Photgraphy理解の妨げになっていやしないかと思うことがある。それも年々増えていく。
「写真」とすることで日本写真史が輝いた側面も確かにあるのだけれど、その方面を"最終的に"後押ししたのが土門拳で、その負の側面が70年代には明らかになり、有効期限は80年代までには完全に切れていただろう。
だけれど、90年代半ばからこちら。"写ルンです"は"デジカメ"と"プリクラ"そして"写メール"、今は"インスタグラム"へ。その方面の写真をきちんととらえようとしたものは海外はともかく国内ではみあたらない。
このときの撮影だとは思うけれどもメモの抜けの可能性高し。この前後の撮影には違いなく同種のフェイクなのは確かなのだけれど。