光画図書室閉架書庫

写真史や撮影行為にまつわるあれこれを放り込む納戸。

パウル・ヴォルフ「カメラの眼、生きた寫眞」

戦前から戦後にかけて銀座でカメラ店を営んでいた双美商会が発行してたと思われるPR誌「フタミニュース ダイヨット」の戦時中の号(1941年3月号)に、当時出版されたパウル・ヴォルフの写真集から文章と作品が転載されて、また写真集についての評がついていたのが当時の反応として興味深いので併せて起こしました。

当時の日本と写真、アマチュアの撮影がどういう状況に置かれていたのかは、表紙の「ここは写してよいとこか」の煽り文や裏表紙の「戦線へ慰問の写真を送りましょう」の広告からも読み取れるでしょう。

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そんな、すでにかなりの統制が実施されていたなかで特別の配給を受けてまで出版されたのがヴォルフの写真集でした。戦前・戦中にヴォルフがなぜそこまで評価され、影響を与えることができたのか、その一端は読み取ることはできるのではないかと思います。

戦前の日本におけるライカの普及を考える上で大きな働きをしたヴォルフについては以前、別の原稿の文字を起こしていますのでそちらもご覧ください。

パウル・ヴォルフ (写真家) - Wikipedia

photoworks.hatenablog.com

なお、ヴォルフ(1951年 逝去)の著作権はあらゆる意味で切れていますが、翻訳には翻訳者の二次著作権が発生します。しかし、翻訳者不明のため公開後五十年で保護期間は満了しています。

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カメラの眼、生きた寫眞

パウル・ヴォルフ

 

 今日から一年の間を寫眞の自習にあてゝみようではないか。足の向くまゝに歩き、眼を開いて自然の中を行つてみよう。そして先づ最も小さい部分を捉へることを試みよう。小さい物を大きく見、大きい物を小さく見ることを學ばう。

 一年の間の自然の變遷を眺め、草原、平野、樹木、草花、日光と雨、霧と雪、の中に自然の法則にある變化を見出さう。これらを見ることは決してやさしいことではなく、また是非必要な勉強である。しかもこれはより佳い寫眞を作らうといふ諸君の、省略することも道具を以て或は處法を以て置き代へる事も出來ない必修科目である。如何なる指導者からも敎はることの出來ない諸君の自修すべき間題なのである。

 かくして以前には見ることの出來なかつたものを見、また他の誰もが見得ない所に或る物を見ることが出來るに到らう。
 然しなほ吾々の眼はカメラの眼と異つたものであることを常に經驗されよう。寫眞に關する限り吾々の眼をもつて或るものを見ることは問題ではなく、寫眞的に何を見出すかゞ問題なのである。一つの物から寫眞的に何を捉へるかゞ決定的であり、それによって寫眞藝術に到達するのである。
 常に自身に對し厳正に批判的であらねばならぬ。萎縮するは不可である。より良く先んじ得た人々に悪意で對してはならぬ。

 かく自然の中に學ぶこと一年にして、諸君は物の見方の異つて來たことを感じるであらう。空に浮ぶ雲はその形が多種多様であり岸を打つ波の線は絶えず動いてゐる。吾々の撮影のために形を變へ線を動かしてくれてゐることを感じよう。樹も灌木も風に曲り、老人の顔には過ぎた日の運命と業蹟が現れてをり、若い人には生の歡びと滿足が溢れ、遊びや戯れ中に眞の子供の顔を見出すであらう。
 吾々の周圍には生命、愉悅、運動、押へることの出來ない喜び、躍り上る歡喜がある。諸君の手にあるカメラは、特にそれが小型カメラである場合、それらの對象と共に生きることを欲し、躍動する畫のためにこそ諸君のカメラは生れてゐるのである。
 諸君はこれらの美を捉へずして何を捉へようといふのか。
 諸君の周圍には對象は豊富な筈である。私は私の周圍によつてこれらの寫眞を作つた。諸君は今日よりよき機械、より進歩した材料、及びよき周圍をもつて、よりよき寫眞を作り得る筈である。
 かくして楽しい休暇の思出とする畫に圍まれる日が來よう。これらの書は大きい、多い、樂しい思出をその時のまゝ小さい印畫の上に寫し出したものであらう。繪の中から波の音をきゝ、風をきゝ得ようし、子供達の戯れる聲、砂上を走る足跫、さては戀人のさゝやきをまでその寫眞の中に聽くことが出來るであらう。

 私には如何なる畫を如何にして作れといふことは出來ない。諸君には朝から夜中までの諸君自身の生活がある、子供があり友人があり、特異な風景があるのだから。
 思想の缺乏は文字で救ふ事は出來ない。理想の缺乏は技術と違って私には救ひ得るものでない。機構及び技法は学ぶことが出來、又學ばねばならぬものである。これこそが繰返して述べるやうに、素人寫眞家を永久に素人の域に留らせるか、より高いものヘ進ませるかを分けるものなのである。

―『ヴォルフ傑作寫眞集』より―

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ヴォルフと模倣
田中操

 新しく出版された「ヴオルフ傑作寫眞集」を手にして、その記事を讀み、寫眞を眺めて先づ第一に感じることは、ヴオルフの寫眞が吾々にも寫せるやうにといふ心で比の本が編まれてゐるといふことだ。寫眞頁の最初に載せられた野原に坐つた女の寫眞に、巨匠ヴオルフと雖もその初期には吾々とあまり距りのない寫眞を寫してゐたのだなと心たのしくさせられる。

 此の本はヴオルフの優れたたのしい、うれしい、美と歡びの寫眞、眞劍な熱と汗の寫眞などを、逸散させぬためにあつめた寫眞帳だとみるよりも、私たちに寫眞を上手になれと言葉と寫眞とで敎へて呉れてゐるヴオルフの寫眞の解説書だと解したい。「學ぶといふことの最初は手本の模倣だ」といふヴオルフの言葉は正しい。學ぶといふ意味で私たちがヴオルフと同じ寫眞を寫すことに何の躊躇することがあらう、誰に遠慮することが要らう。眞似て、消化してそれを糧として成長するのだ。

 寫眞愛好家諸君よ、この手本のうちの一枚を選んで、頭の中でではなく、實際に諸君がそれと同じ寫眞を寫してみられるとよい。模倣といふものでさへも容易な勉強ではなく、彼の言葉通り高い價値あるものであることに氣づかれるだらう。試みに諸君の周園にゐる誰かをモデルに賴んで、何の困難なポーズでもない16 や23の寫眞と同じものを寫してみられよ。モデルの良しあしや、表情の自然不自然を云ふのではない。撮影者として諸君が何を發見し何を學ばれるかをみたいと思ふ。

 私たち寫眞を寫すことの好きなものにとつて、寫眞はみて樂しむものではなく、自ら製作して樂しむ實踐スポーツなのだ。

「ヴォルフ傑作寫眞集」は近來の一大快著だと私は思ふ。この書を寫眞家に推奬する價値を代表する言葉がある、林内閣情報官の序文の標題である。

 追ひつけ追ひ越せヴォルフ!

 ― ヴオルフから學ぶもの より―

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* 著者の田中操については不明。詳細がわかる方がいらしたらご教示いただければ幸いです。

* 本文を尊重して一応旧字体歴史的仮名遣いで起こしていますが、一部エディタで入力できない漢字などがあり、そこは現行書体になっています。また現代仮名遣いになっていたり入力ミスがあったりした場合はすいません。あくまで自分用のメモです。参照・利用はご自身の責任にてお願いします。