書肆萬年床光画関係資料室

写真史や撮影技術、カメラ等について研究趣味上のメモ置き場

カメラ雑誌の"月例"写真を批判する(「フォトコンテスト」(1960年11月号),写真同人社)

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「フォトコンテスト」誌1960年11月号ではこの年度の”他のカメラ雑誌の”月例受賞作からフォトコンテスト誌がベストテンを選出するというなかなか挑発的!な企画が行われたのですが、その特集に際しての武烈孫(ブレッソン)氏の批評。

 いや熱い。そして、ほとんどアサヒカメラや日本カメラの休刊時に言われたようなことがこの時点で既に提起されていることに苦笑せざるを得ない。
(匿名記事にてすでに著作権の保護期間は終了しています)

先に掲載した1961年1月号の評論「六○○万人の戸惑い」とは問題関心を共有しながら論調が異なるのが興味を引くところでしょうか。

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2 カメラ雑誌の"月例"写真を批判する

武烈孫


今年一年間の、月例写真ベスト10をえらぶという仕事がしゅったいして、アサヒカメラ以下六誌六十冊(一月号から十月号まで)の月例写真欄をまとめて見る機会にめぐまれた。めぐまれたというと、大変ありがたいようだが、実状はその反対で、かなりめいわくな気分である。そんなことは商売以外に、よほど物好きな写真狂でもなければ、やる気になるものもないだろう。

というのは、むかしはそうでなかったのである。マス・コミがまだこれほど発達せず、写真を要求しなかった時代には、カメラ雑誌の比重も、新しい人たちには想像もつかないくらい高かったし、従ってそのカメラ雑誌に占めるアマチュアの月例写真というものも、写真の流れの中心部に近い深い流れを流れていた。写真を知り、写真を語る場合には、この中心近い深い流れを知らなければ、何もいえないほどの比重を、月例写真はもっていたのである。


いまは事情が一変してしまっている。マス・コミが発達し、写真がそのほうへ吸い上げられ、人々と写真の関係は、けっして特殊なものではなくなっている。大衆を相手とする写真のない雑誌など、もはやなりたたない。写真はごく当り前の、便利で的確なコミュニケーションの道具になっている。写真の中心の流れは、カメラ雑誌から一般の雑誌へと、次第にその様相を変えたのである。

それはまた、写真のつくり手の移動をも意味している。むかしはカメラ雑誌の流れのほうが、なんといっても本流で手ごたえがあったわけである。しかし近頃では、ちょっと打ち込んだ作品なら、アマチュアでも、カメラ雑誌よりも一般雑誌のグラビアに売り込むことを考えるようになっている。そのほうが餌も豊富だし、出世も早い。なんといっても、本流に乗りたいという感情はリクツのほかなのだ。

こういう時代にも、カメラ雑誌は依然として、かなりの月例人口をかかえ、それが有力な読者対策というかたちで、入選だ、佳作だをくりかえしている。しかし、そこにはもはや写真の本流はない。いうなれば、かつて本流であったよどみがあり、それに僅かにチョロチョロと水が流れ込んでいるぐあいである。


こんにちの月例写真というものは、要するに時代を変えていくような、本流としてのエネルギーとは関係がなくなっているのである。いわばむかしは一個のエネルギーの源であり、時代をいくつか変えていった、熱い芸術的意志があったわけだ。その熱い意志をめぐって、アマチュアと編集者が四つになって創造の意志をたかめ合った。しかし本流を他にうばわれたこんにちのカメラ雑誌は、そうした創造の意志のかわりに、保身の意志をつよめないわけにいかなくなっている。

この点、カメラ雑誌は、まことにブザマな時代離れを演じながら、なお命脈をたもつために、熱い芸術的意志のない月例制度に若干の保償をえているかたちである。だからこんにちの月例写真というものは、積極的な写真の意志から維持されているものとは程とおく、ただただ、カメラ雑誌の消極的な保身のために――もっと端的にいえば、カメラ雑誌社の何人かが、食いっぱぐれのないために、読者のご機嫌をとりむすぶてだてに維持されている、といっても過言ではないくらいである。

皮肉な人は、これをサロニズムの偉大な遺産などと呼んでいる。たしかに月例写真というものは、サロニズム華かなりしころに発達して、サロンにおける現物の陳列を印刷化したところに、当時の大きな意義があった。部落の交流が活発になり、小さくヒネかけた写真芸術が、とにもかくにも拡大した視野の中から創造のエネルギーをうみ出していったのである。そうした遺産があればこそ、まだまだこんにちの月例も、アマチュアの一部には、純粋な創作活動のハケ口と認められ、尊重もされている。だがそれすら、こんにちの写真事情から考えると、いたましいサロニズムの後遺症のような感じがするのである。


こうした月例写真のこんにち的事情を頭にして、各誌一年分のそれをひとまとめに見るという仕事は、なかなかつらいとナットクしてもらえよう。しかもただ見るだけではなく、何百のそれらの作品から石をのぞき、玉をえらぶという段では、何がいったい石であり、玉であるのか、わかりようがない。つまりこんにちの月例写真には、その写真をささえる時代の熱い意志が、いまいったような意味で失われているからだ。仮りに月例写真を芸術としてみよう。と、芸術の本性は不変であるかもしれないが、芸術の表現は、時代に動的に反応しなければウソである。しかし、時代に動的に反応していく構造が、はたして月例写真のむかしながらの形のなかにあるだろうか。かなの疑問である。ということは、カメラ雑誌そのものが、時代に動的に反応していく構造にあるだろうか、という疑問に通じた問題でもあるからである。

写真に寄せられた時代の熱い意志というものは、とうのむかし、カメラ雑誌から逃げ出してマス・コミ一般の手に移っている。とすれば、カメラ雑誌は真剣にマス・コミの写真を超えた、"明日"の写真を探求しなければならないはずである。が、現状は片手に旧きよき時代の写真をにぎりつづけ、片手にせっせとマス・コミの落穂を拾って時代に合わせたつもりでいる。ススだらけの農家に電気洗濯機があるようなチグハグな感じである。このチグハグな"現実"を月例にも要求して、雑誌じたいが何がナニやらわからなくなっている。電気洗濯機を買うよりも、まずススだらけの家を建て直そうという熱い意志がないのである。呼びかけようという気がないのだ。

あるカメラ雑誌の編集長は、筆者にむかってこう言ったものである。「カメラ雑誌というやつは、婦人雑誌と同じでね――なるほど、どれもみな似たり寄ったりで、どれを買ったっていいようなものである。そこに熱い意志というものがあるだろうか。はたしてアマチュアはそれで満足しているのだろうか。そう思いたくはないのである。が、また別のある編集長はこう言う。「ウチは、"家の光"でね」

――だから、そんな熱い意志というもののない、たんに雑誌社員が食いっぱぐれないためにせっせとサービスするだけの、それほど値打ちの下がってしまった月例写真というものに、唯一の発表の場をもとめざるをえないこんにちのアマチュア写真から、すばらしい玉がうまれ出るなどということは、まずオトギバナシと思っていいのではないかという気がする。アマチュアに対しては、まことにいたましい気がするのである。しらずしらずに、アマチュアもまた、それが慣習であるように、好んでその空気に埋没しているのである。

そのいい例は、写真欄の全体から割り出せるのである。

たとえば、そうしたカメラ雑誌の表座敷に陳列された写真であるが、これがそもそも百貨の見本市みた(注:原文ママ)ようで、ヌードやグラマーのパートがあり、三池争議や安保斗争のパートがあり、俳句の一つもひねりたくなるような山水のパートがあり、精薄児(注:原文ママ)の絵みたいな造形のパートがあり、といったふうに到れり尽せりで、編集者の無知を証するのか、あるいは趣味の広さをあらわすのか読者にはわからないから、何んでも写して応募してみようということになって、わき座敷の月例欄までがそのヘタな縮図になる以外にない。かくて百ページに余る写真欄は、表座敷からわき座敷まで、いったい何のために印刷されなければならないのか?といったつまらない質問にも返答のできないナンセンスな文化をさらすだけで、芸術的にも、社会的にもまるっきりプラスにならない映像のハキダメに、プロもアマチュアも、せっせと写真を投げ捨てるだけである。

これでは写真が泣くだろう。だから、応募をやめろといってもやめられないアマチュアは、どうせハキダメに捨てる写真だから、せめて"捨て賃"を高くとろうと現実的になるしかない。それに対して、カメラ雑誌の"捨て賃"は余りにも安いのが、また困った問題である。

経済の二重構造ということが、最近よくいわれる。だが二重構造は、大企業と中小企業の関係のような経済のしくみにばかりあるわけではない。身近かな問題として、カメラ雑誌をささえるプロとアマチュアの関係にも、それがあらわれている。アマチュアは、何十年写真を発表しても、カメラ雑誌の二重構造のしくみの中ではアマチュアである。かれらは、この二重構造の制約の中にあえぐだけで、その写真の生命が終ってしまう。そんなところにも、アマチュアの創造のエネルギーを小さくしてしまう原因があるわけだ。


ここらで結論をのべなくてはならないが、つまり、そういう時代の熱い意志を。失った、消極的な商業主義になり下がったカメラ雑誌に、教育され、同化され、埋没していくのがアマチュアの能ではないということである。アマチュアは、それがすべての人ではないにしても、能ある人はもっと自分を大切にしなければならない。生きるために「へ」(注:原文傍点)もひれないでいるような編集者や、現代においてろくな才能もない写真家の審査に呼吸を合わせキンタマまで抜かれてしまうようなアマチュアではどうにもならない。どこまでが商業主義で、どこまでが後退主義か、見きわめのついた人はさっさとやめるベきである。時代に対する熱い意志のない写真を何十万生産しても、それはまったくイミのないはなしである。六十冊のカメラ雑誌をかなり丹念に見たところでは、まずそういった感じが第一に頭に来た。ちょっと悲しい気持である。今年度の"月例スター"に関するかぎり、ルビーのようなあやしい光りを感じさせる作家はいなかった。月例作家は年々小粒でシロウトくさくなっていくのである。このままでいけば、ついには"さくらコンテスト"のような、常識的な人生パターンや、事物の表面的な解釈でしかものの言えないアマチュアのために、輝かしかるべきアマチュア写真は全面的に押し流されていくような気がする。

月例写真は、たとえそれが雑誌の商業政策から出たことであっても、段階的な部門が幾重にもあることだし、ある部門では大いにコマーシャル・ベースを行くのもよいが、ある部門では、やはり熱い意志をもった、確信にみちた写真芸術を打ち立ててもらいたい、すくなくともその方向から一歩も外れない姿勢だけでも示しつづけてもらいたいと思う。

月例がパッとしないのも、年々小粒でシロウトくさくなっていくのも、結局するに社会的にも芸術的にも、時代と密着して行けないカメラ雑誌とアマチュアの乖離にあると思われる。アマチュアの創造的エネルギーなどという殺し文句が、批評家の口から出たのはついこの間のことだった。にもかかわらずアマチュアに潜在する創造的エネルギーの触発される面が、いまのカメラ雑誌にはほんとうに少いのである。

(「フォトコンテスト」(1960年11月号),写真同人社)

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六○○万人の戸惑い アマチュアの"定義"をめぐる論争 (「フォトコンテスト」(1961年1月号),写真同人社)

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「フォトコンテスト」誌(1961年1月号)所収の評論が興味深かったのでテキストを起こしました。(匿名記事にてすでに著作権の保護期間は終了しています

主要なカメラ誌で一瞬起こりかけた名取洋之助とそのほかの写真評論家、ハイアマチュアの間の議論ですが、それがそもそも既に分厚く存在したアマチュア層からはどう見えたのか。

「どうもこういう言論は、国民国民とわめきながらそれが一部の国民しか指していない政治論者のロぶりと同様、アマチュア、アマチュアと唱えながら、六〇〇万人の存在とは縁のない、ごく一部のプロづいたアマチュアしか味方にしていない論議の印象をうけるのである。つまりこういう批評家にとって、六〇〇万アマチュア路傍の石ころでしかないらしい」

フォトコンテスト誌は元々ペトリとの関係が深い雑誌だったらしく、初期はペトリの友の会(ペトリクラブ)の会報という側面ももっていたらしい。

w.atwiki.jp

のちに刊行号数を引き継いで写真批評主体の「カメラ時代」誌に衣替えするものの、この路線は一年で止み、この辺りの経緯を正しく把握はしていないが再び「フォトコンテスト」誌が創刊する。その後は地方のアマチュアに焦点を据え「旬刊」「月刊」など刊行形態や版元、誌名を変えながら、現在の「フォトコン」誌(日本写真企画)へ続いている。

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昨日/今日/明日

甘茶亭の写真界時評

六○○万人の戸惑い

▼アマチュアの"定義"をめぐる論争

昭和三十一年に創刊した本誌は、この新年で足掛け六年を生きぬいてきたことになる。当時は、写真人口四〇〇万などといわれ、その爆発的な増加が、何かといえば取り沙汰されるような状態であって、日本のカメラ産業が繁栄を謳歌していた時代である。

昭和三十二年の本誌には、表紙の題字上に「四〇〇万人のカメラ雑誌」というキャッチ・フレーズが刷り込まれている。写真雑誌界のニュー・フロンティアをめざした気おいといえば愛きょうもあるが、とにかく「四〇〇万人」は写真界の合い言葉の観があったことは事実である。

それがいまでは、六五〇万とか、七〇〇万とかいわれるように、池田内閣の所得政策より一足先にカメラ人口は倍増をとげている。カメラのような耐久消費材が、国民のあいだに年毎にふえていくのは当たりまえの話だが、そのめざましい増加ぶりは、カメラ雑誌が売れて笑いが止まらないだろうというようなシロウト筋の見方になって、われわれ出版にたずさわるものをニガ笑いさせている。

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同じことは、写真機や感材のメーカー筋にもいえるようだ。さぞ景気がいいでしょうねえと、いわれるということである。が、このほうは、これから厳しくなる貿易自由化の問題をかかえて、前途に楽観はゆるされない、というところらしいのである。その理由の一つとして、われわれ日本人の"舶来崇拝"があげられている。貿易の自由化によって、ドイツ製その他の外国カメラが日本にどしどし入ってくると、こちらがどしどし出て行く以上に喰われるのではないか、という心配があることである。フィルムなんかでも、現在はまったく富士、さくらの独占企業になっているわけだが、今後はコダックやイルフォードなんかがじゃんじゃん売り込んでくることが予想される。写真界の地図がかなり変わってくるのではないかと、早くもその対策に額を集めているのが三十六年の年明けの表情であるようだ。

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しかし一方、写真ジャーナリズムのほうでは、貿易の自由化なんていう政治には影響されないが、別の思想という政治には、これから大いに揺れ動きそうな様相を見せている。そのいちじるしい事例は、去年の安保騒動を頂点とした報道写真家のキャンペーンであり、一部写真評論家のオピニオン・リーターぶりである。

カメラ芸術八月号の論壇で、重森弘海氏は「デモに参加した写真家たち」という一文によって、デモに参加しない日和見写真家や無関心評論家を攻撃し、デモに参加せざる者は写真家に非ず、とでもとれそうな主張をかかげている。この意見は、無事泰平の写真界にバクダンを投げたようなものなのだが、やはり全体として無事泰平のムードの濃い写真界には、さっぱり波紋が起こらなかった。しかし写真界の基調がやはり無事泰平であるだけに、まかり間違うとそういった主張は、言論ファッショめいた印象を与える心配もある。泰平のムードにいらだつのか、この人の言動はときどきハネ上る傾向があるようだ。

では、それほど無事泰平の基調のつよい写真界が、なぜ思想という政治に揺れ動きそうな様相があるのかというと、いまの写真ジャーナリズムの表層が、どっちかというと、まん中から左寄りの球をストライクにとる傾向がつよいからである。前記重森弘淹氏や、伊藤知巳氏、渡辺勉氏などがそのオピニオン・リーダー(理論的指導者)の代表で、この人たちが写真ジャーナリズムで最も活躍し、いわばまん中から左寄りの球でないとストライクにとらない。写真でも、土門拳をはじめ、田村茂、浜谷浩、長野重一東松照明、藤川清といった第一線のスターが、いずれも左寄りの直球をビシビシほうっているわけだ。

カメラ雑誌は、これらの動きを最もつよく押し出して、ジャーナリズムの面目を昂揚しつつある。だからそういった時点下に、右寄りの編集者兼評論家兼写真家の名取洋之助氏が発表した、プロとアマチュアの公式的な分離論が袋叩きにあったのは当然ともいえたのである。

この時ならぬ波紋は、去年の写真界のトウ尾を飾るにふさわしい賑やかさで、いろいろの雑誌にとりあげられ、ほとんど一発で名取論は潰滅のうき目を見てしまった。読者の中にもそれらを読まれた方があると思うが、まだ一つ、大きな問題が残っていると思うので、改めてここにとりあげてみよう。あなたに関係のある問題である。

名取氏の論というのは、カメラ芸術に連載された「欧州パトロール」という記事の最終回で「日本の写真界を顧みて」と題する洋行帰りとしてのエッセイの一部分である。その論旨を要約すると、
「日本の写真人口は多く、カメラも立派だが、写真を生かして使っているかどうかということになると、いささか首をかしげないわけにゆかぬ。……本来実用的なものの実用性を忘れ、趣味に走るのは日本人の特性だ。しかし、これがアマチュアだけのことなら大した問題ではない。ところが、問題は趣味尊重のアマチュア精神が、本来実用の写真をつくるベきプロの人たちにも浸透しているところにある。その結果、商売道具であるべき技法上の秘密を、カメラ雑誌などに発表したり、プロとして発表する権利のない失敗作や、試作品を公開したりする。プロ作家をしてそういうあるまじき逸脱をさせるのは、ひとつには趣味性と実利性が奇妙に混在したカメラ雑誌という日本独特の雑誌のあり方の罪でもある。また、プロ、アマの混乱を指摘すべき批評家までがまきこまれて混乱はさらにひどくなる。批評家は、アマ、プロの区別をせずに、同じようにリアリズムを求めたりし、"社会的関心"を高めることを要求する。カメラ雑誌という非実用(趣味)の場に社会的テーマの写真がはんらんし、プロまでがカメラ雑誌を本当の仕事の場だと錯覚する。――結局、日本の写真界のゆがみは、写真の実用性を重視しないところからきている。実用の写真と趣味の写真、プロとアマとはっきり区別するところにしかそのゆがみを正す道はない……」というのである。

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これに対して、反論の一番手は渡辺勉氏によってあげられた。(カメラ芸術十月号)
「プロとアマの相違を、失敗が許される許されないなどという基準に求めるのは、一見もっともらしいが危険なことでもある」ばかりでなく「実用性というスローガンで写真のあらゆる問題を割り切ったり、写真家の態度や表現への意欲に対してさえ実用性を要求する氏の意見は俗論というほかはない。こういうことをしていたら、写真家はマスコミの中に陥没して自己喪失の状態にもなりかねないし、写真家に表現の伸展と新たな創造を期待することもむずかしくなる」というのが、その要旨である。

また、二番手の重森弘淹氏はこう反論する。(フォトアート十一月号)
「プロとアマの同存状態は外国にはないと名取氏はいい、プロはプロ、アマはアマともう一度別れて出直すことが必要だと説く。……しかし次ぎのような事実はどうか。たとえ名取氏の指摘するような写真雑誌における同存状態が日本写真界独特の現象だとしても、戦後のプロとアマチュアの交流は、事実上アマチュアの写真意識を変革し、向上させたではないか。あるいはこういうかたちにおける交流が、いわゆる写真ブームをつくり上げる大きな原因ともなっている。しかも、こうした広汎なアマチュア大衆の支持によって、プロ作家もまた成長し、体質を変えていったといえないか。
 アマチュア大衆を母体にしたリアリズム運動などというようなものが、果たして外国にあっただろうか。あまつさえ、名取氏のいう実用主義的な写真の方向には程遠いものであったかもしれないが、すくなくもサロニズムから脱却し、たんなる趣味写真に終始するようなアマチュアイズムから自らを解放したのである」

三番手の吉村伸哉氏は、こう解説する。(カメラ芸術十一月号)
「写真のアマチュアにむかって、"君らは趣味の写真をとっているのであって、決して実用の写真をとっているのではないのだよ"といったとしたら、おそらくたいがいの人は目を丸くするだろう。名取氏の意見にそのコトバ通りに従わなければいけないとしたら、われわれは日常の写真を、"実用性"というカテゴリーにいささかも抵触することがないよう、おそるおそる"趣味的"にとらねばならないことになりそうだ。また、どんなときでも、グラフジャーナリズムに実利的な商品として売れるような可能性がないように、注意してシャッターを切らねばいけないということにもなるかもしれない」
と、アマチュアの側に立って、チクリと皮肉をいうのである。

三者三様、それぞれ反論のもっていきかたはちがっているけれども、根本は同じで、要するに名取氏の乱暴な二元論に反対し、写真の創造性の追求にプロ、アマの区別などあるわけはなく、趣味とか実用とかいうように、写真が単純に割り切れるものではない、といっているわけである。

考えてみると、ずいぶんバカバカしい論争で、中学生の討論会みたいな材料でしかないわけだが、六〇〇万(少く見積って)のわが党の士は、これをどんなふうに理解されるだろう。

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関係があるといったのは、まさしくそこの点なのであり、どうもこういう言論は、国民国民とわめきながらそれが一部の国民しか指していない政治論者のロぶりと同様、アマチュア、アマチュアと唱えながら、六〇〇万人の存在とは縁のない、ごく一部のプロづいたアマチュアしか味方にしていない論議の印象をうけるのである。つまりこういう批評家にとって、六〇〇万アマチュア路傍の石ころでしかないらしい。

たとえば、重森氏のいうリアリズム運動もそれほどのものではなかったのだし、それによって「サロニズムから脱却し、たんなる趣味写真に終始するようなアマチュアイズムから自らを解放した」アマチュア写真などというものは、プロづいたごく一部の"月例作家"をのぞいてほかにはない。批評家がプロ、アマの区別をしないという名取氏の非難は、その意味で当たらずといえども遠くないのであるが、要するにこの論議は、写真というものを、ものの創造の次元にまで煮つめて考える人たちと、そうでない、たんなるカメラ万年筆論者との意見のくいちがいの上に咲いたアダ花のようなものであったわけだが、わが党六〇〇万の士にとって、いずれを是とするかは、また問題のあるところだろう。

というのは、本誌の読者をはじめとする完全に大多数のアマチュアは、プロが屁をひろうがどうしようが、そんなことには一向頓着ない"趣味"の写真家である。しかも十分に"実用"の写真を心得て撮っている専門家でもある。分けろという名取氏の意見にも合わないし、プロもアマも本質は同じだという渡辺氏や重森氏の主張にもそわない。「私は誰でしょう」と質問せざるをえないのである。

そして、こういう大多数の"例外"の立ち場からすると、われわれの存在を置き忘れて、アマチュア、アマチュアと、あまり勝手な風を吹かせてもらいますまい、といいたくもなろうというものである。正直にいって、そんな空論を書いて一金のもらえる批評家の奇妙な、"実用性"、こそ問題であり、そうした写真ジャーナリズムが左寄りの球をストライクにとっても、とらなくても、何ンの関係もないのがアマチュアというものではないか?


(「フォトコンテスト」(1961年1月号),写真同人社)

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東郷堂『ナイス号 撮影法』

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東郷堂のNice号の撮影マニュアルです。Nice号については以前簡易な報告をしていますが、今回入手した個体にはこれまで見たことのない撮影法の冊子が入っていました。東郷堂と暗室不要・白昼現像フィルム使用カメラについては以下の記事でまとめているのでご覧ください。

photoworks.hatenablog.com

そちらでも1934年の発売ということにしていますが、「だいたいその頃」とご理解いただければ。ただでさえ軽く見られる『円カメラ』の系統で、さらに最廉価帯の入門機でありながら、なかなかのモダンなデザインで仕上げてあることに驚かされます。

このあと日本は急速に第二次世界大戦と太平洋戦争に突き進んでいき、出版物をはじめ各種の製品が戦前の水準を取り戻すのには戦後かなりの時間がかかってからになりますが、かえって戦中、戦後のイメージが強すぎて大正末~昭和初期のイメージが正確に伝わらない状況になっているのでは、というのは懸念するところであります。

写真・カメラを主題として取り上げている、または作中で重要な役割を果たす漫画作品リスト(2021/03/28版)

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現在 147作品紹介(2021/03/28 現在)

写真・カメラ(あるいは撮影)を主題として取り上げている、または作中で重要な役割を果たす漫画作品を紹介しています。ただ「登場する」というのではなくある程度具体的な描写があり、実際のカメラ史や写真史、撮影・現像等のプロセスに踏み込んだものを中心に掲載しています。

  •  年号は連載ではなく単行本準拠(一部除く)。複数の版がある場合は最初のものをとりあげています。いずれ物語の舞台になっている年代で分類するのもやってみたいですが時間切れです
  •  写真や撮影技術、カメラやその周辺文化の作中での取り扱いの程度には差があります
  • SF・ファンタジー色の強い作品でカメラをモチーフにしたガジェットが登場しているような場合、またカメラマン等の職業や写真についての関連文化について実態と大きく異なった描写がされている作品でも、カメラや写真に対する社会の認識のありようを表していると取られる場合は収録しています。(2021/03/24 追記)
  •  なるべく正確であるように心がけていますが、保証はできません。ご利用は各自の判断でお願いします

漫画作品としてのストーリーや表現での評価によるリストではないので作品としての完成度にはバラツキがありますが、それでも時代の空気を濃厚に感じさせるものなど、当時の写真作品を鑑賞するうえでの参考資料になりうる作品があります。

興味深い作品についてはいずれ個別に紹介できればと思うのですが、未読の作品も多く今後集めて読んでいく上でのリストでもあります。

リストの作成に当たってはTLにご恵投をいただいた皆さまからの情報を参照させて頂きました。ありがとうございました。もし取りこぼしがありましたら申し訳ありません。 

 ※ 更新は終了していますが、改訂の予定はあります。 

 

◆ 写真・カメラを主題として取り上げている、または作中で重要な役割を果たす漫画作品リスト

現在 147作品紹介(2021/03/28 現在) 

更新履歴)

2021/03/28イカ伝,エリア88,らんだむくらぶ,キャッパマン,FRESH,BOYS BE...2nd Season,くそじいじとカメラと私 追加 全146作 最新の更新分のみ掲載、それ以前の更新情報はリストの末尾で掲載 

(1950年代)

一峰大二(1959~)『事件カメラマン』芳文社
 ※ 「痛快ブック」昭和34年1月号~昭和36年春)連載。作中ではスピードグラフィックや当時の最新鋭機種「キヤノンP」もかなりリアルに描かれているとのこと。

(1960年代)

一峰大二(1961~)『探偵カメラマン』講談社
 ※「少年クラブ」昭和36月号~37年3月号連載。

寺田ヒロオ (2011)『カメラマン金太郎』(上下) マンガショップ
 ※ 連載は「小学三年生」(1962年~)

さいとう・たかを (1968~)『ゴルゴ13』(199巻~続刊中) リイド社
 ※ 長期連載のなかで写真・カメラとそれにまつわるテクノロジーや周辺文化を題材としたエピソードが定期的に登場している

藤子不二雄 (1969~)『ドラえもん』(全45巻) 小学館
 ※ 藤子・F・不二雄。長期連載のなかで写真・カメラとそれにまつわるテクノロジーや周辺文化を題材としたエピソードが定期的に登場している

(1970年代)

藤子不二雄 (2002)『喝揚丸ユスリ商会』中央公論新社
 ※ 藤子不二雄A 連載は1973~「劇画ゲンダイ」

秋本治 (1977~)『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(全200巻) 集英社
 ※ 長期連載のなかでカメラが銀塩からデジタルに移行していく過程を定期的に取り上げている

・江波じょうじ (1977)『カメラマン・サム』 朝日ソノラマ

岡元あつこ (1977)『ひいらぎ写真館』朝日ソノラマ
 ※ 表題作を含む短編集

さいとう・たかを (1977)『カメラマン寸前』(全2巻) リイド社

望月あきら (1978~)『ズーム・アップ 』(全8巻) 秋田書店

坂口尚 (2000)『坂口尚短編集 (第1巻)』チクマ秀版社
 ※ シリーズ/午后の風の一作「コラージュ」収録。初出は月刊コミックアゲイン(1979年5月号)

新谷かおる (1979~)『エリア88』(全23巻) 小学館

ビッグ錠 (1979)『ピンボケ写太』(全3巻) 集英社

・細川智栄子あんど芙~みん (1979~)『伯爵令嬢』(全12巻) 秋田書店
 ※19世紀末のパリが舞台。後半、主人公は女流カメラマンとして活躍。

・政岡としや (1979)『ああ 日本活動Y写真』 少年画報社
 ※ 活動写真とは映画、Yとは猥褻、活動Y写真でブルーフィルムのこと。直接の写真ではなく映画だが、関連分野の記録ということで収録。漫画図書館Zで公開(後述)。

村野守美 (1979)『キャメラマン双葉社

 (1980年代)

池沢さとし(1980~)『シャッターシャワー』(全4巻) 集英社
 ※ マンガ図書館Zで公開(後述)

・柴田あや子 (1980~)『恋のシャッターチャンス!』(全6巻) 集英社

・鳥図明児 (1981)『夢庭園』奇想天外社
 ※ 短編集。「星の群れ草の群れ」収録。「マンガ奇想天外」掲載

新谷かおる (1981)『シリーズ1/1000sec.』(全2巻) 朝日ソノラマ

・石田 まさよし (1982~)『ピントぴったし』(全8巻) 小学館

たがみよしひさ (1982~)『軽井沢シンドローム』(全9巻) 小学館

藤子不二雄 (1982)『夢カメラ -異色短編集5』小学館
 ※ 藤子・F・不二雄

川崎ゆきお (1983~) 『ライカ伝』(上・下) チャンネルゼロプレイガイドジャーナル
 ※ 単行本での書き下ろし作。直接カメラ・写真に係わる物語ではないが、登場人物や国名などが実在するカメラブランドを下敷きにしている。神話的なストーリーの背景に、ごく大掴みにではあるが日本製カメラの攻勢に守勢に立たされていくドイツ製カメラという枠組みが援用されている。マンガ図書館Zで公開(後述)

・万里村奈加 (1983)『ラブ・フォーカス』講談社

・三山のぼる (1983~)『ブリキ細工のトタン屋根』(全5巻) 講談社

矢野健太郎 (1983~)『ネコじゃないモン!』(全13巻) 集英社
 ※ 2000年代のリイド社版には作者による時代の解説ありとのこと

くらもちふさこ (1984)『東京のカサノバ』(全2巻) 集英社

小山田いく (1985~)『ウッド・ノート』(全8巻) 秋田書店
 ※バードウォッチングが主題

田渕由美子 (1985)『浪漫葡萄酒』集英社
 ※ 表題作を含む短編集

大和和紀 (1986)『N.Y.小町』(全8巻) 講談社
 ※ 舞台は明治。主人公の志乃はやがてアメリカに渡って写真師となり活躍する

ゆうきまさみ (1986~)『究極超人あ~る』(全9巻) 小学館
 ※ 2018年に続編の第10巻刊行

里見桂 (1987~)『スマイルfor美衣』(全12巻) 小学館

・築島進×左京景 (1987)『突撃バリバリ君』桃園書房

小山田いく (1989)『ろこモーション』(全3巻) 秋田書店

つげ義春 (1988)『無能の人』(日本文芸社)
 ※ 短編集。「カメラを売る」収録

水沢めぐみ (1989~)『チャイム』(全3巻) 集英社

 (1990年代)

吉森信也 (1990年頃?~)「らんだむくらぶ」学研
 ※ 未単行本化作品。連載は学研の写真・カメラ誌「CAPA」。1993年ごろにBN(Brand New)を冠した新シリーズ「BNらんくら」に移行。

 ・あさりよしとお (1991)『まんがサイエンス』(全12巻) 学研プラス

・荒尾和彦/嶺岸信明 (1991~)『カメラマン物語』(全5巻) 日本文芸社

・八城正幸×井上紀良 (1991~)『GULFの鷹』(全3巻) 集英社

原秀則 (1991~)『部屋においでよ』(全7巻) 小学館

・柳澤一明/小池 一夫 (1991~)『盗撮影手パパラッチ』(全6巻) 集英社

石川サブロウ (1992)『オレの瞬間 石川サブロウ短編傑作集』集英社

・八幡政男/松本美由樹/斉藤ひさお (1992)『漫画 上野彦馬物語 写真術に賭けた男』全国PGPネットワーク

森田信吾 (1992)『栄光無き天才たち』(16巻) 集英社
 ※ 名取洋之助の伝記(生誕~終戦前後まで)

 ・矢島正雄はやせ淳 (1992~)『シャッター』(全16巻) 双葉社

 ・よしもりしんや(吉森信也)×工藤誠一(1993?~)「キャッパマン」学研
 ※ 未単行本化作品。連載は学研の写真・カメラ誌「CAPA」

小道迷子 (1994)『ぱしゃりんこ』潮出版社

矢野健太郎 (1994~)『バスト・ショット』(全3巻) 秋田書店

・高梨みどり (1995)『ぽうとれいと』集英社

吉原昌宏 (1995)『ライカの帰還』新潮社
 ※ 原題「とんびの眼鏡」。9話まで収録。12話を収録した完全版(2007)が幻冬舎より出版

・千田武志 (原作)/今道英治 (画) (1996)『峡友 -三段峡開発秘話-』戸河内町(現・安芸太田町教育委員会

赤石路代 (1997~)『サイレント・アイ』(全6巻) 小学館

玉越博幸×イタバシマサヒ (1997~)『BOYS BE...2nd Season』(全20巻) 講談社

一式まさと (1998~)『写ゲキboyシュート』
 ※ 未単行本化作品 (連載:コミックボンボン(講談社))

おかざき真里 (1998)『シャッター・ラブ』集英社

・奥田桃子 (1998)『FRESH』集英社
 ※短編集。「カメラ!カメラ!カメラ!」収録。マンガ図書館Zで公開(後述)

 ・市川ジュン (1999)『幸福の眼』集英社
 ※ 舞台は料理カメラマンの世界

冬目景 (1999~)『イエスタデイをうたって』(全11巻) 集英社

西ゆうじ×田名俊信 (1999~)『蔵の宿』(52巻~) 芳文社

(2000年代)

谷口ジロー×夢枕獏 (2000~) 『神々の山嶺』(全5巻)
 ※エベレストで遭難したジョージ・マロリーの遺品とおぼしきカメラ(ヴェスト・ポケット・コダック)が物語のキー

川崎ぶら秋重学 (2001)『ニナライカ河出書房新社
 ※ 連載は1995~スピリッツ21(スピリッツ増刊号/小学館)。漫画図書館Zで公開(後述)

ひぐちアサ (2001)『ヤサシイワタシ』(全2巻) 講談社

・六本木綾 (2001~)『オート・フォーカス』(全5巻) 白泉社

たがみよしひさ (2002~) 『軽井沢シンドロームSPROUT』(全7巻) 秋田書店

・長浜敏海/小林紀晴 (2002)『写真学生』集英社

あさりよしとお (2003~)『るくるく』(全10巻) 講談社

・田川滋 (2003)『デジタルカメラのひみつ』学研広告宣伝局教材資料制作室
 ※ 非売品

・三山のぼる (2003)『フォトガラ屋彦馬』(上下巻) リイド社

大石まさる (2004~)『ピピンとピント☆』(全3巻) 少年画報社

・高梨 みどり (2004)『アメリカなんて大きらい!』(全2巻) 講談社

西ゆうじ/木村 直巳 (2004)『ビッグショット』実業之日本社

畑健二郎 (2005~)『ハヤテのごとく!』(全52巻) 小学館

木葉功一 (2006)『フルーツ』小学館
 ※ 短編集。表題作収録

高木信孝 (2006~)『でじぱら』(全5巻) メディアワークス

・岡井ハルコ/山崎由美 (2007)『写真の神様』講談社

やまねあやの (2007~)『ファインダーの標的』(シリーズ全10巻) リブレ出版

・GUNP (2009~)『瞳のフォトグラフ』(全3巻)ソフトバンククリエイティブ

小島あきら (2009)『まなびや』(1巻~未完)スクウェア・エニックス

・後藤集平 (2009~)『銀塩少年』(全4巻) 小学館

・双 (2009~)『空色スクエア。』(全4巻) 芳文社
 ※ 主人公がライカM3を使っている設定

鳩山郁子 (2009)『ダゲレオタイピスト』(青林工藝舎)
 ※ 初期の銀板写真が死と深く結びつき、逆説的に永遠や生の欲動を呼び起こすものであったことを描いた作品

松山せいじ (2009~)『鉄娘な3姉妹』(全4巻) 小学館

森薫 (2009~)『乙嫁語り』(13巻~以下続刊) KADOKAWA
 ※ 湿板写真と撮影旅行が登場するのは11巻(2020)以降

 (2010年代)

・梅野えり子 (2010)「オート・フォーカス」(読切)集英社
 ※ 単行本未収録。マンガ図書館Zで公開(後述)。ザ・マーガレット(2010年1月号) 掲載

 ・たかみち (2010~)『ゆるゆる』(全3巻) 少年画報社

・たかみち (2010)『りとうのうみ』ワニマガジン

・土田健太 (2010)『LOCK ON!』(全2巻) 集英社

・中村尚儁 (2010~)『1/11 じゅういちぶんのいち』(全9巻) 集英社

・杜講一郎×さくらあかみ (2010)「茜色の方程式」(未完) ライスバリー
 ※ 別名GUNP。未単行本化作品。掲載誌休刊により未完。「ComicリリィPLUS」Vol.1~2(ライスリバー)に掲載。プロローグ「ファーストキス」は前身誌「Comicリリィ Vol.3」(2010)に掲載

園田健一 (2011~)『ブレット・ザ・ウィザード』(全4巻) 講談社
 ※ 舞台は1960年代アメリ

天王寺きつね (2011)「ネガ⇔ポジ」(読切) 芳文社
 ※ 単行本未収録?「つぼみ」vol.11(2011) 号に掲載

松山せいじ (2011~)『ゆりてつ ~私立百合ヶ咲女子高鉄道部~』(全4巻) 小学館

・貴島煉瓦 (2012)『レンズドロップス』(1巻 ※ 打ち切り) 角川書店

桐木憲一 (2012~)『東京シャッターガール』(全3巻) 日本文芸社

・クロマメ (2012)『【ハメ】俺様カメラマンの言うとおり【撮りっ!】~鬼畜××調教日誌1~』(1巻のみ) KADOKAWA
 ※ 電子版のみ。合本版が2014年に刊行。

 ・佐藤順一/momo (2012~)『たまゆら~hitotose~』(全3巻) マックガーデン

・ざら (2012~)『しかくいシカク』(全3巻) 芳文社

千明太郎 (2012~)『キミイロフォーカス』(全10巻) 秋田書店

・月子 (2012~)『彼女とカメラと彼女の季節』(全5巻)講談社

・鳥飼規世/橘悠紀 (2012)『デジタルカメラのひみつ』学研パブリッシング
 ※ 非売品

・ナイロン (2012~)『フォトカノ(Your Eyes Only)』(全5巻) 白泉社
 ※ 本編4巻。外伝1巻

・永山愛子 (画)/蛭海隆志・長倉洋海 (作) (2012)『学習漫画 世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ集英社

野上武志島田フミカネ&Projekt Kagonish (2012)『ストライクウィッチーズ アフリカの魔女』角川書店

・柚木'N (2012~)『フォトカノ(Sweet Snap)』(全3巻) アスキー・メディアワークス

・あさのゆきこ (2013~)『閃光少女』(全3巻) KADOKAWA

丸山薫 (2013)『事件記者トトコ!』(全4巻) エンターブレイン

・十文字アリノ (2014)『守りたい、年下のアイツ ~カメラマン×ピュア学生~』(全2巻) オトメチカ出版
 ※ 電子版のみ

・空木哲生 (2014)『スナップガール』KADOKAWA
 ※短編集。表題作収録

・町村チェス (2014)『フォーカス&コントラスト』宝島社

永福一成×能條純一 (2015~)『月をさすゆび』(全4巻) 小学館

・野萩あき (2015)『消失ハレーション』KADOKAWA/エンターブレイン

山川直人 (2015)『写真屋カフカ』(3巻~以下続刊)

・SILVA (2016)『センチメンタル・ロデオ』祥伝社

・奈華よし子 (2016)『彦馬奔る―写真の開祖の青春の日々』長崎文献社

西荻緑里 (2017)『潤♂ブライド ~わがままカメラマンの俺様結婚式~』たかだ出版
 ※ 電子版のみ

・いいだともき (2017~)「カメラバカにつける薬 in デジカメWatch」(連載中) インプレス
 ※ Web連載。一部私家版による単行本あり。

・おにお (2017~)『ふたりのじかん』(全2巻) 竹書房

友野ヒロ (2017)『僕の友達は売れないカメラマン』メディアソフト
 ※ 電子版のみ

 ・Boichi/稲垣 理一郎 (2017~)『Dr.STONE』(20巻~以下続刊) 集英社
 ※96話~(11巻収録)でダゲレオタイプ(的なプロセス)を再現する

 ・本名ワコウ (2017~)『ハダカメラ』(全9巻) 小学館

秋本治 (2018)『ファインダー-京都女学院物語-』集英社

・あfろ (2018~)『mono』(2巻~以下続刊) 芳文社

・カサイウカ (2018)『あとは恋だけなんだって』コアマガジン

桐木憲一 (2018)『金沢シャッターガール竹書房

たなかのか (2018~)『恋の撮り方』(全2巻) KADOKAWA

・だよね (2018)『野良カメコのピラミッド』KADOKAWA

阿木絢子 (2019)『シャッターチャンス (女たちのリアル)』大洋図書
 ※ 電子版のみ

・あるた梨沙 (2019)『明日を綴る写真館』KADOKAWA

・いいだともき (2019~)「カメラバカにつける薬 in デジタルカメラマガジン」(連載中)インプレス
 ※ 未単行本化作品

・岩見樹代子 (2019~)『ルミナス=ブルー』(全2巻) 一迅社

桐木憲一/MUGENUP (2019)『写真甲子園 シャッターガール moment』小学館

・こめおかしぐ (2019~)『あの夜に咲く』アフォガードコミックス
 ※ 電子版のみ。完全版が2020年に刊行 

・滝川シズル (2019)『レンズ越しに脱がされて ~強引カメラマンと欲情グラビア~』宙出版
 ※ 電子版のみ。

(2020年代)

・うず (2020)『くそじいじとカメラと私』ぶんか社
・唐沢野枝 (2020)『水商売まで堕とされて~人気モデル、DVカメラマンと駆け落ち~』秋水社L
 ※ 電子版のみ

・しろ (2020~)『カメラ、はじめてもいいですか?』(1巻~以下続刊) 少年画報社

・畳ゆか (2020~)『泣いたって画になるね』(1巻~) 小学館

田中モトユキ (2020)『ペンタプリズム』(読み切り) 講談社
 ※ 少年サンデー35号(2020)掲載。単行本未収録

・津田七節 (2020~)『秋山さんのとりライフ』(1巻~以下続刊) 秋田書店

・にどね杉 (2020)『NEONTOWN』(全4話) 徳間書店
 ※ 電子版のみ

・野花さおり (2020~)『ためいきの春に恋の夏』(5話~) ジュリアンパブリッシング
 ※ 電子版のみ

・灰咲きり (2020)『君の瞳に奪われたい』KADOKAWA

・シリ崎 (2021~)『あの憧れが、レンズ越しに染まる』英和出版社
 ※ 電子版のみ

  

更新履歴)

※ 2021/03/27 ピピンとピント☆,ハヤテのごとく!,ファインダーの標的,鉄娘な3姉妹,りとうのうみ,1/11,ゆりてつ,俺様カメラマンの言うとおり,守りたい、年下のアイツ,消失ハレーション,センチメンタル・ロデオ,潤♂ブライド,あとは恋だけなんだって,あの夜に咲く,レンズ越しに脱がされて,水商売まで堕とされて,NEONTOWN,ためいきの春に恋の夏,君の瞳に奪われたい,あの憧れが、レンズ越しに染まる 追加 139作 

※ 2021/03/26 ドラえもん,夢庭園,ぽうとれいと,まなびや,ダゲレオタイピスト,茜色の方程式,ブレット・ザ・ウィザード,ネガ⇔ポジ,あの夏で待ってるフォトカノ(Sweet Snap),フォトカノ(Your Eyes Only)追加 119作

※ 2021/03/25  ゴルゴ13, ひいらぎ写真館,坂口尚短編集,恋のシャッターチャンス!,夢カメラ,ラブ・フォーカス,東京のカサノバ,浪漫葡萄酒,N.Y.小町,突撃バリバリ君,GULFの鷹,オレの瞬間,サイレント・アイ,幸福の眼,カメラバカにつける薬 in デジカメWatch,僕の友達は売れないカメラマン,野良カメコのピラミッド,シャッターチャンス (女たちのリアル),カメラバカにつける薬 in デジタルカメラマガジン 追加 全108作

※ 2021/03/24 事件カメラマン,探偵カメラマン,こちら葛飾区亀有公園前派出所,伯爵令嬢,キャメラマン,シャッターシャワー,ウッド・ノート蔵の宿神々の山嶺,るくるく,空色スクエア。,月をさすゆび,ふたりのじかん,泣いたって画になるね,ペンタプリズム 追加 全89作

※ 2021/03/23 Dr.STONE 追加 全74作

※ 2021/03/23 リスト作成 全73作

 

リスト作成にあたって情報提供を頂いた皆さま 順不同)

六波羅深雪@名ばかり専門職 様 @rokuhara7
ヤマダトモコ 様 @yamatomo413
TheoryOfConstreints 様 @kubohisa
awane-photo.com 様 @cvcnet
カズさん 様 @kazz045
久馬 衛 様 @John_Munchkin
Jun Sugawara 様 @syasinbu
リットル 様 @999cc
冬泉 様 @etoileerrante1
Joe 様 @joe500bianco
中嶋秀磨@ひでま提督 様 @imagebank_
初心者マークK.I.M初心者マーク秋葉原超同人祭(3/28)ラ28 様 @xkim99
中嶋秀磨@ひでま提督 様 @imagebank_
dat27103 様 @dat27103
yorgenviche 様 @holespoles
乙城蒼无(Otusiro,Aomu) 様 @aomu
初回特典大ライス 様 @kosakinium
yoshi 様 @yoshi_sdkfz181
最中義裕 様 @monakayoshihiro
白峰彩子 様 @mtblanc_a
高坂 狭霧 /Seraphim 様 @f1m6PbYfv0T8kNk
るくるる 0(:3 )~ 様 @lcrll
エスペリカン@skanpeli

漫画図書館Zにおける公開作品

一部の作品はマンガ図書館Zで無料公開されています。(2021/03/28時点)

www.mangaz.com

www.mangaz.com

www.mangaz.com

www.mangaz.com

www.mangaz.com

www.mangaz.com 

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参考・関連サイト

50作以上の作品をしっかりした記述で紹介している充実したサイトです。残念ながら2013年で更新が途絶えています。最近ではなかなかないスタイルですが、いつまで残るか分かりませんから、内容に興味のあられる方は早めの閲覧をオススメします。

seesaawiki.jp

Twitter上でお世話になっていて今回も貴重な情報をお寄せ頂いた六波羅さんの旧サイト。3作品の紹介ですが読み応えのある内容です。この次のサイトでもかなり充実したコーナーを作っておられたのですけれどもそちらは既になくなっています(Googleのキャッシュ等である程度を読むことはできる)。なお、こちらのブログもすでに更新は止まっていますが、いくつかの作品について記事を拝読できます。いつまで残るか分からないのは前述のサイトと同じなので、内容に興味のあられる方は早めの閲覧をオススメします。

www2s.biglobe.ne.jp

次の二つの記事はサンライズカメラのサイト内のコラムです。比較的新しめの記事ですですが、「ヤサシイワタシ」「無能の人」という、サンライズカメラのファン層からはおそらく少し外れたところの作品を読みやすい分量でとてもよくまとめて紹介しています。この「カメラ小説・漫画紹介」のコーナーは残念ながらPart.2までで終わってしまったようですが、ぜひ続けて頂きたかったコーナーです。

sunrise-camera.net

sunrise-camera.net

 

以下は比較的新しい形式のブログで紹介作品の重なりも大きいのですが、書影やあらすじの確認では充分参考になると思います。

lab.hendigi.com

mangapedia.com

www.camera-doctor.jp

photo-promenade.com

ksk-h.com

pro.bookoffonline.co.jp

少し長いあとがき(2021/03/28)

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『新案特許 東郷堂製 明光印画紙 説明書』

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『新案特許 東郷堂製 明光印画紙 説明書』

東郷堂 ヒット号(トウゴーカメラ・ヒツト號(下図)) 添付のもの。フィルムではなくこちらは印画紙の説明書だが、こちらも明光フィルムと同様一枚ずつ紙製の撮り枠に入っていて、注意は必要ながら焼き付けから現像・定着まで自然光・人工光下で取り扱うことができた。

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